その街。(2024/02/20)
そこはひとつの街のようだった。いやそこで暮らしてきた人たちにとってそれはきっと街だった。おもしろくないことがありつらいこともかなしいこともあり、しかしたのしくもありわらいありをかしきことがきっと、あったのだ。それは街だった。それはだから街だったのだ。
先週、大学時代所属していたゼミの卒論発表会があった。仕事の日だったので参加することはできなかったのだけれど、LINEのグループでちょくちょく入ってくる発表会の情報を見てむかしのことを思い出す。ぼくたちの頃は同期が10人くらいもいて卒論発表会もてんやわんやだったが、今はもう大学側の事情やなんやらで、希望者を全員受け入れることができないとちょっと寂しげに言っていた先生を思い出す。でも少人数は少人数でじっくり生徒と向き合えていいよね、とも言っていた。見た目も若々しいとはいえ、もう定年も近いんだからあんまり無理しないでほしいなぁとは思いつつ、大学という箱で思うようにできなかったことを、退官後はしてほしいなぁとも思う。先生には、しずかでにぎやかに対話をし続けてほしいと思う。
先週、初めて剪定会に参加した。4年くらいりんごに関わっているけど剪定会というものにはまったく出たことがなく、というか出たくないと思っていた。でもなんとなく最近そういうものにも出てみようという気になって初めて出てみた。うちの畑から歩いたところの畑が会場で、歩いて3分くらいだった。雨脚が強まる中、1時間ばかり講師の方を追いかけるようにみんなでぐるぐると木をまわり、講師の方が切る枝をずっと目で追っていた。あぁそれおれも切りたいなぁと思ってた、あれれ、え、そこ切るの、なんでなんで、と答え合わせと新しい問いの無限ループにつまずいてひとり頭の中が忙しかった。
剪定会の後は座学で、公民館に行った。ドキドキしながら同じ地区の先輩農家の方々とあまり目を合わせないように一番後ろの席についた。りんご協会の方が冊子を見ながら昨シーズンのりんごを取り巻く環境のことやそれをふまえた今シーズンの防除についてお話をしてくれた。「カイガラムシ」というりんごにとってはよくない虫のことで一時もりあがる。カイガラムシは卵から孵ってから数時間しか移動できない、その時が来ると、あっさりと足が抜け落ち、その場に居を定め、自分の体を貝殻のように硬い組織で覆う、そうなってしまうと薬もなにも効かないのでその前に対策を講じるのが大事とのことだった。でも数時間しか歩けないのになんで木の上の方にいるんだろう、あいつらってどこから来るの、という質問が先輩方からあがり、心の中で「おぉぉ!」ってなった。協会の方もなんだかしどろもどろで、でも「こう言われてますけど自分にはわからないところでもあるので今度調べてみます」という潔い感じにまた「おぉぉぁ!」となる。あいかわらず諸先輩方は近づき難い空気をまとっているけど、なんだみんな、おもしろがってやってんじゃん、と思ってほくほくほっとする。
帰り支度をしていたら、テーブルを挟んで向かいに座っていた先輩農家の方から「去年はお世話になりました」と話しかけてもらう。昨年、加工用のりんごをたくさん買わせてくれた方だった。ひょえんとなり「こちらこそ昨年わぁぁぁ」とぺこぺこ頭を下げる。年明けに買わせてもらったりんごを加工屋さんで絞ってもらいたくさんジュースができたことと、これからがんがん売っていきますとお伝えする。「そうですか、いいことですねぇ」とお顔が緩んで笑いかけてくれたその方のやさしさがしみる。そういえば剪定会の時も僕自身にはあまり接点がなかったのだけどシャッチョがやりとりしていた方が、たぶん気にかけてくださって話しかけてくれた。「なんとなく、枝切りの空気感みたいなの、伝わりました?」とか「強い枝を切って弱い枝を残していくのが基本かなと思います」など親切にしてくださった。先入観に怯えていた自分が恥ずかしかった。もっといろいろな人たちと、お話してみたいなぁと思った。
先週、仙台に出張していた妻から夜電話がかかってくる。毎月行われる会議が今回もたいへんおもしろかったようで、その日は親睦会もあってお話してみたいなぁというみなさんとお話できたようで、その声色からたいへんほくほくしている心持ちが伝わってきた。オサケハノンダケド、ヨッパラッテナイヨ、アタイ、ということでそれもまたたいへんえらいなぁと思う。その親睦会のなかで、そうすべき役割にいたのにそうできなかった自分、の話になったらしい。なんとなく切ない気持ちになりながら、近くで寝ていたキャッツを撫でてみる。そういうのはたぶん「いまだったらできるんじゃない?」という話ではないのだろう。そういう自分に躓いてしまった時、自分だったら、と考え始めようとしたけど、やめた。たぶん現在進行形でそういう自分に自分はいるのだろうから、いっときの仮説や仮定にはそれ以上の意味はない。たぶん、仮説や仮定それ自体、それをすることしないこと、それができることできないこと、の意味を、僕はもっとよくよく考えた方がいい。なに書いてるんだろう、自分でもよくわからない、でも書いておいた方がいいだろうと思って書いているけど、どうなんだろう。
出張から帰ってきた妻が疲れ果てていたので、真似して俺も疲れ果ててみる。久しぶりの土曜休みだったので、よっしゃやるぞぉぉぉ、と何をやるかも決まってないのに張り切って午前はがんばってみたけど、午後はガス欠。なにをしたのか覚えてないくらいたぶんぼーっとしてた。
日曜日。土曜日ぼーっとしたおかげで気持ちが晴れ晴れとしている。妻も元気になっている。モスで朝ごはんを食べ、買い出しをして、家に戻る。なんちゃってそば冷麺をお昼に食べ、昼寝をして、家の掃除をする。最近密教の漫画にハマっている妻が、玄関とコンロ周りシンク周りはきれいにしておいた方がいいみたいよと言っていたので、ちょっとそのあたり入念にやってみる。わるいものとかいいものがよってきたり出ていったりするみたいなことはいったん傍に置いて、ふつうに気分がいい。お掃除って大事。
夕方、お友達が遊びに来てくれる。とてもおだやかでたのしい飲み会だった。物怖じしないキャット2はたいそう可愛がってもらっていた。びびりのキャット1は2階の猫部屋のハンモックで小さくなっていた。でも興味はあるみたいで階段の途中まで来ていたりはしていた。キャット1の気持ちはよくわかるような気がして、だれに似たんだろうねぇと心の中で言ってみる。
「あったかい部屋から廊下に出たときのこの寒い感じ、冬っぽくていいよねぇぇぇ」と言っていただき、家のことなのに自分のことのようにうれしくなる。腹筋の話で腹筋が崩壊したりする。たまぁにちょっと真面目な話も。こういう感じ、好きだなぁ、と思う。来てくれてありがとうございました、という感じ。いい日曜日でした、ほんとうに。
先週の水曜日、青森市の松丘保養園に行った。学芸員の方にも同席してもらい、ずいぶんながくそこで暮らす方と社長と4人でおしゃべりをする。あっと言う間に3時間が過ぎる。ここでは時間の流れ方が違う。
「緊張していたでしょうから気をつけておかえりくださいね」と最後に声をかけてくださり、そんなことないですよとお返ししたしそうも思っていたのだけど、車の助手席に座ると、体が鉛のように重くなる。運転を妻に任せて弘前に戻る。
なにも考えられなかった。考えようとしても像を結ばない。気休めにMamas GunのLooking For Mosesを流す。
聴くと疲れる。聴くということは聴かれている、ということにひどく疲れてしまう。聴いた時間を回想しながら自分の小ささに身を置く、置いてしまう。それは耐え難くしんどい、泣きそうになるし実際泣いている。
これではあかんということで、帰りの途中、温泉に寄る。ひとがいてほっとする。体をゆっくり洗って湯船に浸かる。内風呂から外風呂に出て、肌寒さに身がしまり、心からしまる。戻ってくる、戻ってこれた。よかった、と思う。
その小ささしかもっていないのだから、それを賭金にするしかない。いやしくどうしようもない自分を元手に、聴くしかない。そういう道行きを覚悟してか細いからだで踏み出していかないことには、対話など、やってこない。
そう心が決まると、いまだに不安が胸をかすめることもあるけど、またあの人に会いに行こうと思う。時間はないのだろうけど、それでもちょっとでも時間を置いて、あの街にもう一度かならず行こうと思う。
昨日ほぼ日で谷川俊太郎さんの対談の連載が始まっていたことを知る。
それほど熱心ではないけど、僕も谷川さんが翻訳された『PEANUTS』が大好きで、いつかお金に苦心することが減ったら全集を買いたいと思っている。
『PEANUTS』を訳し始めたのはべつに特別なことがあったわけじゃなくて、頼まれたからやったんだ、というお話が好きだった。
それはたぶん、とてもたいせつなことなんだろうなぁ、という気がしている。
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