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改札横に黒板があってな あの頃はメッセージを残したもんだ

人々よ。

昨日は久しぶりに故郷の茅ヶ崎へ行ってきたぞ。

当初の目的は実家がある二宮へ、商いの品物を取りに。
泊まっても良かったんだが、何と山頂なので電波が入らず。夏の朝は雲海の中だ。
ソフトバンクの頃には入っていたんだが、楽天に変えたら全く入らない。
楽天もまだまだだな。

と、言うことで飯だけ食って二宮を後に。
親父もお袋も相変わらず。銀髪で年相応なのは当然だ。
二人とも染めたりせずにネイキッドスタイルで、格好良かったよ。
若作したりせずに、ありのままの自然体で日々の生活を送るってのは素晴らしいよな。
我が両親ながら誇りに思うよ。
大多数が、若作をしがちだ。それは悪いことではないな。ただ、年相応に自然体の人が単純に格好いいと思うだけ。俺はね。

そう言う俺自身は赤髪だけどな。
アラフォーにもなって。これは若造ではない。
髪があるうちに遊んでおこうという、刹那的な道楽だ。

しかし、あれだな。
晩飯の時間が早い。7時前に夕餉が始まる。
そして、親父は9時には寝る。
そして、きっと、夜明け前に山に籠り、刀と竹刀と紫檀の鍛錬棒をそれぞれ数千回ずつ振り回すのだろう。

何のために?
強くなるために。

歳いくつ?
古希イヴ。

古希を目前に、ただ純粋に雄としての強さを求めるあのストイックさには敬服する。
正に、範馬勇次郎だな、ありゃ。

そうこうして、せっかく久しぶりに湘南に帰ってきたんだし、青春時代を過ごした茅ヶ崎へ。
東海道線に揺られ、降り立つホーム。
当然、青春時代とはかけ離れた様相だ。
改札左手のニューデイズはないし、切符を切る駅員もいなければ、メッセージを残す黒板もない。
俺が中高生位の頃は、まだギリギリ、黒板があってな。

携帯、ポケベル、ピッチのちょうど過渡期だ。
1mは言い過ぎだが無駄に長いアンテナとか、先端がイルミネーションとか。
当時は着メロって言ってな、電話を着信する時の音楽を自分たちで打ち込んで作ったもんだよ。
三和音でな。笑
五和音が発売された時なんて、凄まじい衝撃を受けた記憶があるよ。

ギャルがルーズ履いて、厚底履いて、CECIL、ココルル、アルバ着て、ムラスポのビニールバッグを背負ってた時代。チョベリバッ!MK5!チョバブー!

公衆電話で#2#2のメッセージも送ったな。
10万円分のテレカとか、無限テレカとかあったよな。
令和じゃ見ないね。
なんでもスマホ。

すまん。話がそれた。

そして、旧友が経営する飲食店のうちの一店舗
駒源-come again-へ訪問。

ビビッドなレッドカラー

訪問するも旧友の司は店におらず。
よくよく考えれば当たり前か。
多店舗展開するオーナーが現場に立つわけないよな。笑

とりあえずLINEする。

すると、秒で来た。
なんて、フットワークの軽い経営者だ。
感動した!(元首相 小泉風)

店に着いた途端、まあお客様からお声のかかることかかること。若きイケメン経営者は違うね。

俺がまだサラリーマンの頃で数年前。
新橋で彼と飲んだんだが、その時に、熊も経営者やれば?なんて話をしてもらったことがあってな。
その時には想像だにできなかった。
よもや、自分が個人事業主になろうとは。

今ならわかる。
なって良かったかどうかは分からないが、生きてる実感はする。
毎日、満員電車に揺られて。
給料も頭打ちで、年に五千円も上がれば御の字。
そんなサラリーマン時代。
俺はやめて良かったと思う。
いや、サラリーマンの方々を否定してるわけではないよ。それぞれが、それぞれに合った生き方をすることが大事だ。
ただ、俺にはサラリーマンは合わなかったように思う。
この先、分からないけどね。

人生はまさかの連続だ。
楽しもう。逆境こそ。

彼の話を聞くうち、とても励まされたし、共感した。
彼も気付けば多店舗展開していたと。
自ら展開したというよりは、周りに推され流れるままに。正に行雲流水。行く雲、流れる水の如し。

そして、経営を手掛ける初期の頃は周囲の意見が冷ややかで人が離れて行ったこと。
そして、実績を出すと周囲が戻ってくること。
さらに経営者ゆえの孤独。

バッキバキに刺激を受けた。

やはり、久しぶりに会うと良いね。
令和の世にこういう言葉は使ってはいけないかもしれないが、言いたい。

男子、三日会わざれば刮目せよ『三国志演義』呂蒙

多くの人に会うべきだな。
そして、かつての友を訪ねてみることだ。

成長している。驚くほどに。

俺は俺のやり方で進んでいこう。

彼と次に会う時には、少しでも成長した自分を見せられるように。

あんた、格好良いよ。

でも、あのクエルボ口移しの文化は無くしてくれ。笑

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