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自分で学ぶ時・手を借りるべき時。

「癒し」にまつわる仕事をしていると、どうしてもクライアントさんが大きな壁やハードルを越えられずに苦しむ様子を見る事があります。苦しみの元、というのは「魂」と「人格」の間で生まれる摩擦が原因ですが、当の自分自身にとっては誰であっても、その状況を客観的に分析するよりも、やはり生じてくる感情を、事実、現実として体験する。

魂、いわゆるソウルは(もとは完璧な愛の存在だったのですが)完全体ではないけれど・・地上で生きている我々が認識する人格=パーソナリティに比べると遥かに賢く、五次元的な存在です。一方で、人格はこの世に生まれ落ちて物理的に生きている自分が全てであると思い込んでいるから、DNAやホロスコープ等々、ソウルシルテムにインプットしてきた情報が描き出すドラマを、現実としてヴァーチャル体験。泣いたり笑ったりしています。

が、基本この人生劇場は、ソウルであることを思い出すために体験している試験会場のようなもので。これはインド哲学、ヨーガ思想などでいう「ブラフマン」と「プラクリティ」の関係に似ています。

人生で重要な局面に差し掛かった時。つまり、ソウルに向けて人格が、飛躍的に成長するチャンスが訪れているような時。・・それに抵抗する人格の中の影の部分(シャドウセルフと言います)が、前に進まないようにと強くもがくので、「現実世界」は不具合を起こす。体調や現象や人間関係や何かとの関係性などに「問題」を体験する。あるいはそうじゃなくても心が苦しいと声を上げる。

「ああ、この方向にあるコレ、に目を向けて・・ココ、に気づいて、修正に掛かると、きっと現実も好転する」と、ヒーリング視点では見えてきたりもするけれど。癒しの世界では、なんでもアドバイスすれば良いというものでもなく。順番にひとつずつ、自分で気づいていくのだろうな。とヒーラーとしては感じることがある。

一方で、本人は「大丈夫」と言っていても、水面下ではシャドウセルフがグイグイと綱引きをしている時もあって・・小さなことの積み重ねが続いて、気丈に「大丈夫」と思っていても、急に人格がシャドウセルフに乗っ取られるような方向展開を見せることがある。

そんな時は、「ああ、もっと早くハッキリとアドバイス出来ていたらなあ」と、ヒーラーやティーチャーとしては、悔やむこともある。きっと癒しの仕事をしている人々は、みんなそうですね。適格に導けなかったかも、と、仕事人としての自分を責めるようなことも。

いや、普通の人間関係だって、友人同士だって皆、同じです。優しさの方向性やその裏にある心、相手を成長させたいのか、とりあえず慰めておきたいのか、気づいて欲しいという気持ちを実行すべきか、今はとにかく安らいで貰うのが良いと判断するか。助けを求める側も見極めが必要で、決して無理をせず、変な遠慮をせずに、Help! と言えることも大切。

導き手は、匙加減が難しいと同時に、アドバイスや話を受け止める立場の自分の心の背景に、何があるか。自分自身が難を避けるという利己の動機か、真に相手の為を思って魂に向けて響く言葉や行動で、利他を実践できるか。

自分で立ち上がってもらうべき時もあるし、人が手を差し伸べなくては立ち上がれず(シャドウセルフが強くて本人の力だけではかわすことができず、シャドウによって引きずり下ろされる)・・という時もある。

導く人は、自分自身の魂、ソウル、五次元的な感覚(自分なりの神様のようなフィーリング)をうまく地上で運用できると、他者のケースにもアドバイスがしやすくなる。その法則やコツがわかるからだ。そして利己ではなく利他の精神と、誤解を招かない言葉のセンスも必要で、なかなか難しい。

そう、大切なことというのは、難しいものなのです。

Love and Grace
Amari