見出し画像

適格な夢を抱くことの大切さ。

自己啓発やスピリチュアルでよく言う、「想いは現実化する」ということ。確かにその通りだと、実感、経験から思います。ヒーラーさんたちも、いろいろなジャンルで啓蒙のメッセージを発信している人々も、ビジネスのために嘘を言っている訳ではありません(あ、もちろん中には稀にそういう方々もいらっしゃるとは思うので、見極めてセレクトしてくださいネ・・)。

私は二十代の後半、アンニュイな時期を過ごしました。人に診てもらう事こそ無かったけれど、軽い鬱のような状態だったのでは、と思います。一時は「軽く」も無くて・・当時からスピリチュアルな知識や環境もあったり多趣味でもあったので、(気が強くもあったし、、)自分で少しは調整・修正することが出来ていました。でも、いわゆる「落ち込んだ」状態で少なくとも数年間は、引きこもるように幼い子の育児だけしているような生活を。

そこで出会ったいわゆる「ホリスティック」な癒しの分野で、一気に。本当に一気に癒されて元気が出て、世界観も一新、現実を変えていく羅針盤も手にしたような感じでした。そこで起きた事、その後続いてきたことからして、「想いは現実化する」のは間違いない。だから「ポジティブであれ」というメッセージは、本当です。で、いつもだとここで、

「そうは言っても急に誰でもポジティブになれる訳ではない。不安や恐れのパターンを人それぞれ持っているし、頑張ろうとしても体や感覚や深いところからの気力が付いてこない・・生まれ持ったエネルギー、環境から受けたエネルギーがあるから、まずはそれを変えていこう。そのためには、はい、エナジーワークやヒーリングがおすすめですよ」という、PRになる訳ですが(笑)
(一応リンクも貼っておきます^^)

今日はそうではなく、そんな「人間とはホリスティックな存在なのだ」と気づいた私が人生を組み立て直した時、強い意志や気持ち、想いだけではどうにもならないこと、踏んでいかなければならない手順と、絶対に外れてはならない基本の軸のようなものがあるよな・・・と、体験から学んできた部分について。

少し難しい事を挟みますが、今のスピリチュアルの始まりと言われるのが19世紀末に始まった「神智学」です。当時の文献などは研究というレベルでなかなか難しいのですが、それを一般的な言葉やメソッドに置き換える作業がその後欧米で続いて、結果的には1970~80年代くらいに、東洋思想やヨガ、瞑想などがブームになった刺激を受けて、ニューエイジというものが出来ていった。それが、現代のホリスティック分野に続いています。

(日本のスピリチュアルはその後、江原さんブーム、神社ブームでまたちょっと変容していますが。)

その神智学では「意思」ではなく「意図が大事」と言っています。どう違うか? 私なりの解釈ですが、「意思」は個人の想いや、エゴセルフが「こうしたい」と考える「自分」を出発点としたエネルギーになります。「意図」のほうはもう少し波動が高いもので、いわゆるハイヤーセルフがその人の中に浸透している高次元的な、魂が今世持っている目的を果たすための計画と連動するもの。つまり人格のほうが、魂(ソウル)を無視して勝手に走行するのではなく、自分を魂と感じて生きていることが前提です。

人は、魂を自分の中に感じた時。自分は永遠の時を生きてきた魂なのだと知った時。その方向性に向けてスパークした時の喜びで「覚醒」します。ああ、自由だった、と、解放されて宇宙の愛の中に回帰するような安心感や高揚感を感じた時。だからこそ、走り出せる。最初は「意思」=「想い」で良い。いわゆる少年少女が抱くような「夢」でも。その方向性が魂のプランに合っていれば、そして適格なタイミングを待てば、叶います。

その前にやらなくてはならないこと、学びの課題を抱えている場合は、宇宙はそれを伝えてくる。せっせと学びをこなす。直感を大事にし、人との絆、出会いを大切にしながら、努力も喜びだと感じてコツコツと。その学びや、目指している方角が適格であれば、「想い・意思」はいつしか冷静な「意図」となり、ソウル、ハイヤーセルフの助けや導きを得て夢は叶う。

楽をして美味しいところを・・という姿勢などは、必ず道の途中で矯正されることになりますし(笑)、若気の至りは誰にでもあり、プロセスの中で成長していく。途中途中、小さな夢や目標は叶えてもらい、また頑張れる力となる。その繰り返し。「大志」を抱きつつ、日々ココロやハートを「意図」する方向へ。ベクトルが合っていれば、そして諦めなければ、あなたの夢は必ず叶います。

Love and Grace
Amari