職場における過剰適応の連鎖
Twitter(現:X)に、こんなポストがあった。配偶者に対してじゃなくても、こういう意味不明に攻撃的な気分ってあるよなあ、と思ってしまった。
以前の同僚が部署異動してから人柄が変わった
取引先との懇親会で、同じような話題になった。取引先のひとりが言う。
「以前、同じ部署にいた同僚がいて、さいきん業務上のやり取りをしたら、えらく怒られた。具体的にはTeams(Microsoftのチャットツール)で依頼したら非常識だと言われた。そこから派生して、こまかな言葉遣いにまで苦言を呈されて、凹んだ」
その同僚は大らかな人だったのに、ずいぶん印象が違ったらしい。
「異動した先の部署にこまかな御作法とかを気にする人がいるんじゃないですか? その状況に適応するストレスを、無意識にぶつけてる、とか」
そんなことをぼくが言うと、「そうなんですよ! ロシアみたいな部署なんですよ。上意下達っていう感じで」と仰る。当たったみたいだった。
そうなんだよな。過剰適応って連鎖するんだよなぁ。
「いつから自分はマッチョ思想になったのか」
これは実体験なのだけれど、社内関係者が多くて、スケジュールがタイトで、かつ失敗できない案件を担当したときがあって、そのときに自分の内心に過剰適応の連鎖を感じた。
案件はさいごまで間隙を縫うように進んだ。一歩でも間違ったら、案件自体が消失し、わりと問題になるので、われながらプレッシャーを感じていたように思う。
そんな中で、ある後輩と別件のプロジェクトに関する打合せをしていたら、会話の中で、後輩に対して苛立ちを覚えている自分に気づいた。
後輩は、まっとうな愚痴を言っただけだった。なのに、ぼくは「プロジェクトの初期を推進するために必要な役割なのだから、愚痴らずにやればいいのに」とか思っていた。
……思った後で「おやおや?」と心がざわついた。いつから自分はこんなマッチョな思想の持ち主になったのだ、と。願わくばサラリーマン人生、ゆるキャラみたいに生きていたいと思っていたくせに。
違和感ある考えが生じたとき、その言葉を紙に書き出す。それを習慣にしている。良くも悪くも批判せず、小さな昆虫か爬虫類をながめるように、その言葉に溶け込んでいる感情を探す。
そのときに、ははーん、と気づいた。自分は、案件の色々な要素に神経を削られている。ストレスでとがっている。そして、とがった矛先を後輩に向けようとした、と。ナイフのようにとがった神経は、刺す相手を探すらしい。
攻撃的になる自分をコントロールする方法
仕事では、誰が悪いわけでもなく、一時的にストレスがかかる場面がある。その渦中にいるときに、攻撃的になる自分に気づいてコントロールすることはとても大事だと思う。
ぼくがコントロールのために取った方策は、翌日の朝、時間有休をとってサウナに行くだった。思考の中の雑草を、サウナの熱と水風呂で枯れさせる。
ときに気分が浮き沈みしたり、尖ったり丸まったりすることは仕方がない。でも、今の自分の形状がどうなっているのか、どんな気分の色をしているのか、束の間でも、内省の時間を確保するといいらしい。
気づかないうちにナイフみたいにとがっては、触れるもの皆、傷つけてしまわないように。
最後まで読んでいただきありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。 いただきましたサポートは、書籍や芸術などのインプットと自己研鑽に充てて、脳内でより善い創発が生み出されるために大切に使わせていただきます。