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1987:さよならのハニー&レモン[前編]

(連作短編「茶飲みともだち」#05)

 秋は文化祭の季節である。
 さいはての小さなまちに暮らすしがない公立高校生にとって、文化祭は人生のすべてを賭けた一大イベントだ。ずっと平凡に思われていた女子が眼鏡からコンタクトに変えて、おニャン子メンバーに引けを取らないかわいさであったことが知られ、男子の間で争奪戦が繰り広げられることはよくある話。だから、普段は冴えないやつが突然ステージ上でギターをかきならし、全校生徒六百人の頂点に君臨することだって、きっと絶対によくある話。けっして夢ではないはずだ。
 そう。ライバルがBOØWYの完コピバンドじゃなければ!
「ヨッシー先輩、応援してます!」
「ヨッシー、文化祭のライブ楽しみにしてるからね!」
 これでもかというほどジェルで髪を立ちあげた男子が廊下を歩くたび、もれなく女子が声をかけていく。絶対に認めたくはないのだが、同級生の吉崎は声も見た目もBOØWYのボーカルにそっくりだった。さらに身長の高いギターの丸山が加わると、まさしくBOØWYそのものになる。ようするに、吉崎も吉崎のバンドも文句なしにかっこいいってことだ。それなのに。
「……裏切り者め」
 僕の横で、ボーカル兼ギターのマサが苦々しげにささやく。数ヶ月前まで僕らのバンドのドラマーだったいっくんが、吉崎のうしろを歩いているのが見えたからだ。
「いっくん、髪立ててる」
 僕が言うと、マサは眼光を鋭くさせた。
「ああ。あれは、もうこっちに戻らないって意思表示だ」
 いっくんは以前より、その実力が密かに買われていたらしい。吉崎のバンドのドラマーが度重なる喫煙で停学処分とあいなり、誰あろういっくんがその座を射止めたからである。ほかにいなかったのかと思わないでもないが、たしかにいっくんのドラマーぶりは悪くないので、僕もマサも知らされたときには途方に暮れるしかなかった。
 そういうわけで、いっくんはいま、女子を引き連れる吉崎のうしろで、思いきりふんぞりかえっていた。こちらを一瞥すると勝ち誇った笑みを浮かべ、無言で通り過ぎていく。
「人って変わるんだな」
「ああ。モテたいって気持ちが、ああさせるんだ」
「まあ、わからなくはない」
「そうだな。全然わかる」
 マサと一緒に息をついた。
 一年のときに同じクラスで仲良くなった僕らは、ハウンドドッグのコピーをはじめた。でも、音圧のあるハウンドドッグの曲にスリーピースは無理があって、去年の文化祭は観客が帰っていくさまを見せつけられた。高二になった今年こそはメンバーを増やして……と意気込んでいた矢先の、いっくんの脱退はかなり痛い。
「今年はキーボードも探そうと思ってたのに、先にドラマーをなんとかしないと……」
「キーボードはあきらめて、ドラマーの捜索に集中しよう。この際、誰かに掛け持ちしてもらうか」
「やってくれる人、いるかな」
 僕がつぶやいたときだ。
「いないでしょ」
 うしろから声がして、振り返る。ほんの数年前までヤンキースタイルだった女子のほとんどが、いまや浅野温子のクローンと化している。そのうちの一人であるテニス部の渋谷トモミは、なぜか下級生の女子から「ミイ先輩」と慕われ、憧れられる存在になっていた。
 たしかに、カラスと揶揄される黒い制服に、さらりと伸ばしたロングヘアの相性は悪くない。大人っぽく落ち着いて見えるし、どことなく都会的でミステリアスでもある。
 だが、残念ながら僕の目には、やっぱりこいつはムーミンのミイにしか見えないのだった。
「断言したな」
「だって、あんたらのバンド、本物のハウンドドッグが泣くほど地味だもん」
 そう言って渋谷が笑った直後、同じクラスの三宅くんが廊下に出てきた。三宅くんは少女漫画に登場する男子のように線が細く、いつもヘッドフォンでなにかを聴いていて、なにかを読んでいた。和やかだが目に見えない壁があり、私生活はすべて謎。帰宅部のミステリアス男子である。
「三宅くん、じゃあね」
 僕が言うと、三宅くんは照れくさそうな笑顔で会釈し、去って行く。
「あいつ、なんか謎だよな」
 マサが言う。
「人見知りするタイプなだけだろ。話しかければしゃべってくれるし、いいやつだよ」
 そう言った僕は、渋谷を盗み見る。実はずいぶん前から、僕は気づいていた。
 渋谷が常に、三宅くんを目で追っていることに。

* * *

 駅前のアーケード街にある電気店は、電球と電化製品、レコードやCD、それに楽器が混在しているカオスな空間だ。
 CDや譜面を物色するため、僕とマサは毎日のように学校帰りに立ち寄っている。文化祭まで時間はないのにメンバーは足りず、どんな曲をコピーするかも決まっていない状態なのだから、今日という今日は焦りが頂点に達しそうだった。
 バンドをはじめたのは、高校に入学してからだ。古くなったベースを大学生の従兄弟からもらったのがきっかけで、なんとなく弾くようになった。そのうちに楽しくなってきて、仲間がほしいなと思いはじめた矢先、マサといっくんと意気投合したのだ。
 楽しいなと思えることが見つかったら、それを極めるといい。いつかきっとそれが夢になり、目標になる。そう教えてくれた習字教室の先生の言葉を現実にできると、僕は真剣に思いはじめていた。もしかしたら、いつかプロになれるかもしれない。そんな夢想をあっさりとやぶったのが、いっくんの脱退だった。
 いっくんが悪いわけじゃない。マサほど落ち込めない自分に、ふと気づいてしまっただけのこと。いったん気づくと、冷めた感情がわきあがる。
 バンドは楽しいけれど、僕の人生をかけるほどのものじゃない。これは違う。僕の夢じゃない――。
「おい」
 譜面を見ていたとき、マサが僕をつついた。
「なんだよ。なんかいいのあった?」
「そうじゃなくて。あれ」
 マサが楽器コーナーを指す。僕は目を丸くした。そこにいたのは三宅くんで、なぜかドラムスティックを手にしていた。買うつもりらしい。
「誰かに頼まれたんだろ?」
「誰かって誰だよ」
「わかんないけど、兄さんとかさ。いればだけど」
 僕が言うと、マサは納得した。
「ああ……そういうのか。まあ、このまんまもなんだし話しかけようぜ」
 レジに向かう三宅くんを呼び止めると、振り返る。一瞬驚き、はにかみながら言う。
「ごめん。全然気づかなかった」
「あっちの棚で譜面見てたんだ」
 僕の言葉に、マサが続けた。
「それ、誰に買ったんだ?」
 スティックを指差したマサに、三宅くんは言った。
「え? 自分にだけど」

* * *

 三宅くんを誘って、隣接する喫茶店に入った。アイスコーヒーを注文してから、正面に座る三宅くんをあらためて見る。
 人は見た目ではわからないものだ。図書館で本を読んでいそうな三宅くんは、吹奏楽部でドラム担当だったお姉さんの影響で、小学生のときから自宅の倉庫でドラムを叩いていたらしい。そのお姉さんは札幌の短大を卒業して就職したため、ドラムはすっかり三宅くんのものになったのだそうだ。
「なんでバンドやらないんだ?」
 マサの問いに、三宅くんは控えめに微笑む。
「ただ好きで叩いてるだけだし、バンドとかだと曲の好みの違いとかもあるから、もめると面倒かなって……。なんかさ、人ともめたくないんだ」
 だからいつも一人でいるのか。まあ、わからなくはない。
「いっつもなんか聴いてるけど、なに聴いてんの?」
 僕が訊ねると、三宅くんはウォークマンを取り出した。
「洋楽だよ」
「マイケル・ジャクソンとかか?」
 洋楽に疎いマサが、なけなしの知識を披露する。
「そういうのも聴くけど、最近はこれを聴きながらドラム叩いてるよ」
 ヘッドフォンを借りた僕は、再生ボタンを押した。まわりはじめたカセットテープから聴こえてきたのは、人生ではじめて耳にする音楽だった。
 リズムがはじけて、胸が踊って、この椅子から立ち上がりたくなる。なんだこれは。なんなんだ、これは。
「……誰、これ」
「スタイル・カウンシル。イギリスのユニットバンドだよ」
 そう言った三宅くんはカバンを探り、洋楽雑誌を取り出した。僕の知らないアーティストが山ほど掲載されていて、アルバムもたくさん載っていた。
 スタイル・カウンシルのアルバムジャケットも見た。左側に、二人の男性のモノクロ写真。シンプルな書体のアルファベットが、右側に並ぶ。そのとき、僕の息が止まった。
 ここは都会じゃない。誰もが知っている曲であれば、まれに入荷されることもある。でも、こういう洋楽を手に入れたければ、電気店で注文するしかない。
 ラジオは国営放送の番組しか流れないし、テレビだって深夜番組は放送されない。情報が限定された世界にいるから、テレビやラジオでしつこく流されるものに誰もが飛びつく。
 でも、そうじゃない世界もあるんだ。自分で手を伸ばせば、そういう世界を知ることができるんだ。
「なんだよ、俺にも聴かせろよ」
 ヘッドフォンをつけたマサも、とたんに目を丸くした。
「これ、ライブを収録したやつか?」
「うん。ライブアルバムをカセットに落としてる」
「最初から聴いてもいいか?」
「もちろん、いいよ」
 三宅くんの返事を待たず、カセットテープを巻き戻す。スイッチを押したとたん、テーブルの下のマサの足がリズムをとりはじめた。
「こんなの、はじめて聴いた。すげーかっこいいな」
「しかもさ、レコードジャケットもめちゃくちゃかっこいいんだ」
 僕が雑誌を指差すと、三宅くんがはにかんだ。
 僕は村井先生の言葉を思い出していた。楽しいなと思ったことを、極めたわけじゃないけれど。

 ――先生。僕はたったいま、目標を見つけた気がします。

「……いままで気にしたことなかったけど、こういうのつくる人、なんて言うんだろ」
「こういうの?」
「こういう、アルバムのジャケットみたいなやつ」
 アイスコーヒーを飲みながら、三宅くんは答えた。
「たぶん、グラフィックデザイナーって言うんじゃないかな」
 

 三宅くんを口説き落とし、文化祭で演奏する三曲を決めた。
 自分たちなりにスリーピースにアレンジし、めちゃくちゃ練習することをお互いに固く誓う。
 さいはての高校の文化祭のステージで、洋楽を披露するのは僕らだけだ。もしかしたらそっぽを向かれるかもしれないけれど、誰もやったことのない挑戦に無性にワクワクした。かっこよく完全にコピーできたら、絶対にみんな喜ぶ。無視をされる恐れより、その思いが勝った。
「どうせなら服も真似しようぜ。俺んち服屋だから、こういうジャケットとかシャツとかさ、母ちゃん貸してくれるよ」
 マサが言う。僕と三宅くんは喜んで賛同し、三人で笑った。
「完全再現だね」
 三宅くんが言う。僕とマサも、声を重ねた。
「完全再現だ」


[中編(#06)に続く]


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