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[掌編]最後かもしれないラムネのこと

 夏の花火大会は、海岸でおこなわれる。
 人口二万人ほどの小さなまちでの大会を楽しみに、人びとが港に集まる。出店もつらなり、北国の田舎の高校生にとっては夏休みを彩る大きなイベントだ。
 ひゅうっと音をたてて、闇にひと筋の煙がたちのぼる。瞬時に弾けた大輪の華は、ちょうど私が自転車をこいでゆるやかな坂道をくだり、港に着こうかというとき夜空で咲いた。

「ヤバ、はじまった」

 バイトのせいで、待ち合わせに遅れてしまった。私は自転車をいったん停めて、急いでユリちゃんにLINEする。でも、花火に夢中なのか既読にならない。
 駅前で待ち合わせていたものの、私が遅れたら先に行ってと伝えてあったので、ユリちゃんはもうこの場のどこかにいるはずだ。

 サエちゃんと三上くん。それから、田辺くんと。

 花火があがる。出店の裏に自転車を停め、ユリちゃんからの返信を待ちながら人混みを歩く。
 小さな花火が、連続で咲いた。

「まいったな……」

 スマホを握ったとき、「次の花火は大きいです!」と、エコーのかかった女性の声がこだました。あたりは一瞬静まって、誰もが夜空をあおぎ見る。
 ひゅるるると音がたち、まばゆい星屑が闇夜を灯す。歓声と拍手の中、私は浴衣姿のサエちゃんと三上くんを見つけた。よかった、いた。
 近づいて話しかけようとした寸前、躊躇して足を止める。すでにつきあっているふたりの奥に、仲良く並んでいるユリちゃんと田辺くんを見たからだ。

 浴衣姿のユリちゃんは、背の高い田辺くんを見上げながら空を指す。田辺くんはうなずいて、ユリちゃんに顔を向けるとなにか言う。そして、ふたりは笑った。
 高校生でいられる最後の夏だから、今夜、ずっと好きだった田辺くんに告白するつもりだった。この気持ちは誰にも話していなかったけれど、話さなくてよかったとなんとなく思う。
 また花火が弾ける。その一瞬で、私は悟る。

 あ、そっか。田辺くんも、私と同じことを考えていたのかもしれない。
 その相手は、私じゃないけれど。
 
 田辺くんを好きになったのは、三年で同じクラスになってからだ。
 席替えのたびに隣になるので、運命かもと勝手に思ってしまった。田辺くんは面白いし、誰とも同じように接してくれるし、なにしろ笑顔がすごくいい。いろんな「いいな」を集めているうちに、姿を探すようになった。そのうちに、田辺くんの動きのすべてを記憶にとどめたくなっていったのだった。
 ずっと彼女がいなかったから、もしかして田辺くんも私のことを……なんて、どうして思ってしまったんだろう。ほんと、私バカだなあ。

 ジーンズにTシャツ姿の自分が、ユリちゃんやサエちゃんよりもずっと幼く思えた。スーパーの倉庫のバイトだから汗もかいているし、髪もぐしゃぐしゃだ。
 冷静になればなるほど、恥ずかしさで隠れたくなる。もういいや、帰ろう。どうしたのってあとで訊かれたら、バイトが終わらなかったって嘘をつけばいい。
 スマホをポケットに突っ込んで、私は数歩あとずさった。
 
 ユリちゃんが空を見上げる。そのきれいな横顔を、田辺くんはずっと見つめていた。
 それを見て、私は思う。
 恥ずかしいことをしなくてよかった、って。
 花火が連続であがる。ユリちゃんは飛びあがって喜び、田辺くんはきらびやかな花火そっちのけで、ユリちゃんをずっと見下ろしていた。
 既読にならない理由がわかった。きっとふたりはつきあうことになる。そう直感する。
 私はきびすを返す。手に入らなかった想いがあふれて、やりきれなくなって駆け出した。

「瀬野じゃん」
 
 いきなり声をかけられて、びっくりする。同じクラスの林田くんが、出店の前にしゃがんでラムネを飲んでいた。
 アイドルみたいな容姿なのに、本人はいつだってまるで意に介していない。茶髪はぼさぼさで、ジーンズにサンダル、黒いTシャツ。まるで寝起きで来たような恰好だ……なんて、私も人のこと言えないけれど。

「帰んの?」
「……うん、まあ」
「なんで? いいとこじゃん」

 林田くんはちょっと苦手だ。頭がいいくせに悪っぽくふるまって、誰の輪にも入らない。クラスメイトへの挨拶も常にテキトー。いつもひとりで音楽を聴いていたり眠っていたりして、協調性なんてあったためしがない。
 見た目がいいからモテるけれど、誰ともつきあわない。噂によれば東京の大学に進学するらしく、別れが面倒だからというのが理由らしい。
 また、花火があがる。

「林田くん、ひとり?」

 見ればわかることを、訊いてしまった。

「うん」

 ラムネを飲んでから、面倒そうに腰をあげる。

「瀬野、寝起き?」
 
 それはこっちのせりふだ。

「違うよ。バイトの帰りだからこんななだけ。林田くんこそ寝起きっぽい」
「そう、俺は寝起き。扇風機壊れてて、家にいても暑いからさ」
 
 大会が終わりに近づいて、たて続けにあがる花火に、人がどんどんと押し寄せる。
 帰ろうとする私の道すじが人混みにうまり、林田くんのすぐ近くまで背中を押されてしまった。そんな私に気をとめるでもなく、林田くんは身体ごと海を向いて花火を見続ける。私もあきらめて、光の渦を視界に映す。と、ずんと左肩が押されて、右隣の林田くんの腕に私の腕が触れた。
 そのまま、身動きがとれなくなる。困った。
 ごつごつとした林田くんの手の甲に、私の手が触れる。

「ごめん」
「なにが?」

 林田くんは気にしない。だから、お互いの手の甲が触れてしまっていることを、私も意識しないことにした。
 ユリちゃんと田辺くんのことも、気にするのはやめにする。
 ちくりとうずく胸の痛みが、弾ける花火の音にとけていく。ほんのり漂う海のにおいと、さざ波のかすかな音が、私の想いをどんどんどこかに押しやっていく。

 あーあ。でも、好きだったんだけどなあ。

 熱をおびた目頭が恥ずかしくて、舌を軽く噛む。舌を噛むと涙が止まると、なにかで読んだことがあったからだ。すると、林田くんの指先が動く。やがて、私の指先に触れてからまる。
 からまって、手のひらごと、軽くにぎられた。
 なぜなのか、よくわからない。でも、そうされたとたん涙があふれて、頬にこぼれた。とっさにうつむいて左手で涙をぬぐうと、ふいに林田くんが言った。

「瀬野って、卒業したらどこ行くの?」
「……たぶん、札幌」
「ふうん」
 
 それだけ言って、林田くんは口をつぐんだ。
 花火があがる。どんどん夜空を明るく消していく。
 林田くんは、強くも弱くもない力で私の手をにぎっていた。でも、なぜかいやじゃなかった。

「すげー煙」

 花火の煙が雲のようにわきたって、四方に散らばる光の邪魔をする。くすりと笑うと、ちょっとだけ林田くんの手の力が増した。

「瀬野がバイトしてるとこ、見たことある。おばちゃんとかおっさんとかと、ゴツいのやってんなと思った」
「バイト代いいから。私、専門いきたいから、ちょっとでも貯めようと思って」

 へえ、と林田くんが言う。

「そっか」
「……うん」

 高校最後の夏で、夜空には花火で、私も林田くんも寝起きみたいな恰好で、華やかな群れにとり残されたただのクラスメイト。
 べつに、恋とかじゃない。林田くんはそういう気持ちで、私とこうしているわけじゃない。それはわかってる。
 恋に似ていて、でも違うもの。そういうものも、この世界にはきっとたくさんあるんだ。

 その夜、私はなにかを落した。
 それは目に見えないなにかで、決して取り戻せないもの。
 もっと大人になったら、落してしまったそれがなんだったのかわかるのかな。

 林田くんの指が離れる。それでもしばらくふたりして、終わってしまった夏の夜の余韻の中にたたずんだ。人の群れが去っても、雲のように流れる煙を見上げて、火薬のにおいを吸い込む。

「あげる」

 空になったラムネの瓶を、林田くんはいきなり私に差し出した。

「え? 捨てなよ」
 
 林田くんが、くしゃりと笑った。

「中のビー玉っぽいやつ、あげる」

 じゃあ、と林田くんは背を向けた。
 私は瓶をかかげてのぞく。
 揺らすと、透明な球体がころころと転がった。
 手にするのが難しい、たったひとつの不格好なビー玉は、それからもずっと瓶の中で転がり続けていた。

(了)

illustration:NCG様


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