大人の資質能力も問われるー資質能力とまなびのメカニズムより

汐見先生は、つねづねこれからの時代についての方向性を話していた。

大きく時代が変わり、教育もまた変わる必要があるということ。

今は時代の転換点。

その渦中にいる。那須さんは、そのことを

20年30年、あるいは100年先の人たちが、今僕らの時代の教育を振り返った時に・・・こう書いています

「永い人類史上、正解の量的蓄積とその型どおりの運用を学力とみなし、さらに教科ごとに分断したうえでわずか数十分のテストで測っては、そのスコアで人生の行方から、時には人間の価値まで決めてしまおうなどという愚挙の世界的蔓延が、18世紀終盤から21世紀初頭まで存在した」

100年後の人類が、こう笑ってしまうほどに、これからの教育は変わるだろう、変えたいということです。

学校教育における評価は、現在は多少、子どものプロセスや個人内の努力や変化に着目するように変わってはいるようですが、30年まえは相対評価でした。

いわゆる正規分布で、3というのが平均。5はクラスに30人いれば2~3人。2は8~10人。クラスの規模数により、成績評価は決まっていきます。

60点をとっても、クラスの多数が50点ならば評価は4ないしは5になりますが、クラスの多数が80点ならば3ないしは2という評定です。

相対評価は、あくまでそのクラスを構成する人員の平均点からどの程度離れているか、で評価されるのです(たしか)。

僕は、ほとんど3しかなかった人です。4年生かなんかで初めて体育で4をとったのが初めてで、嬉しかったのを覚えています。

ただ、多感な子ども時代で、評価「3」という現実は、自分は「3」という価値なのだ、という認識を冷酷に打ち付けます。事実、そのように思っていました。

親戚に「君は天才なんだから」と言われた時には、「3の人間なのに、何をこの人は言っているんだろう」と思ったのを今でも忘れません。

それほど、評価というのは重く、深く、子どもの心に刻み込まれます。


僕が教育を志したきっかけは、17歳の時に、なぜ自分が勝手に教師に評価されなければいけないのか、と思ったから。

3だの、2だの、評価され、それが全てだった子ども時代を経て、なぜそんなに極端に、一方的に、人の価値を決められなければいけないのか、と未熟ながらも疑問に思ったことが、きっかけでした。

僕が生きた小学校時代は80年代後半から90年代前半。高度経済成長期のすぐあとではありますが、お受験まっさかりの暗記中心の学び。

産業社会では、皆が同じレールを進み、正確に、効率的に、毎年同じことを遂行する人材が求められました。教育も同じ。

しかし、時代は変わり、知識基盤社会では、自分で考え、工夫し、最後まで取り組み、他者と協働していくことが何より求められています。

幼稚園という小さな規模の組織も同様。

むしろ、これから教育や社会を変えていく、僕ら大人の側の、資質能力というのが問われているようにも感じます。

このことを考えるときに、いつも思い出すのは、小学校4年のこと。当時、何かの授業がきっかけで、社会とあらゆる施設を自分で調べる、という課題が出る。

なんかそれが流行して、自分たちで、ゴミ処理場、交番、和菓子屋など色んなところにアポなし突撃取材をしていた。

教師に指示されなくても、自分たちでつながりを開拓し、行動する力が、こどもには備わっている。当時の担任がこれを意図していたのか、そのことについてどう評価していたかは知らないが、僕の中で大事な学びとして位置づいている。

自分で考えて、行動して、失敗しながら学んでいく。

誰かに言われたからではない。大人もそのことを自覚しながら、大人の資質能力を向上させる。それが、これからの教育にひつような一つでもある、と理解すべきかもしれません。

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