レジェンド・オブ・スノウ 寓話編 第二話

第二話
 深夜だった。ふいに異様な雰囲気を感じテグリウスは寝床から飛び起きた。近くでパチパチと妙な音がして、どことなく空気がきな臭い。帆を張り簡易的に天井代わりにした寝場所は、薄闇にすっぽり囲まれており最初は視界がきかなかった。
 
「皆、起きろ」
 
 彼は大声を張り上げた。すぐに目が慣れ、微かな月明かりを頼りに船上から辺りをぐるりと見渡した。信じがたい光景に思わず息が止まる。浜に乗り付けた船の先端に火の手が上がっているのだ。横並びに停泊した船も同様のありさまだった。何ということだ。ここには、かつて命懸けで異人を救ったサムラのような人間は存在しないのか?
 
「皆、起きろ。船に火をつけられたぞ、早く逃げるんだ」
 
 テグリウスは狂ったように絶叫しながら、皆をたたき起こして回った。隣の船に向かって大声で叫んでも応答はない。こんな事態になるとはつゆとも疑わず、仲間たちは泥のように眠りこけているのだ。
 火はあっというまに、船の隅から隅まで余すことなく燃え広がっていった。テグリウスは燃え盛る火を背にして、船尾側から仲間らと共に暗い海に飛び込み、沖の方に懸命に泳いでいった。浜辺には松明や刀を手にした多くの人影が右往左往しているのだ。泳げない仲間は彼らに発見されるや容赦なくその場で切り捨てられる。猛火に包まれた船内から助けを求める悲痛な声が聞こえてくるが、もはやどうする術もない。
 テグリウスは先住民に見つからないよう、沖合で静かに漂っているしかなかった。が、海水を含んだ着衣はずっしりと重く、疲労困憊していた仲間たちは荒波に飲まれ次々と消えていく。しまいには周りに誰もいなくなり、テグリウスだけが残されていた。
 
「いつかきっと、おまえたちの仇を打ってやる、きっと、きっと必ず」
 
 海面にきらきらと火の粉が降り落ち、煙にぼやけた船体は仲間もろとも燃え尽きていく。悪夢のような光景を凝視したまま、テグリウスは呪いの言葉を吐きつづけた。
 それから、どのくらい泳いだのだろう。もはやこれまでかと観念しながらも、彼は歯を食いしばり、松明の灯の見えぬ浜辺にようやく泳ぎ着いたのだった。朝が来る前に人里離れた山奥に逃げ込まなくてはならない。テグリウスは自らを奮い立たせ、民家を避けてひたすらに歩きはじめた。白々と明けていく山道を死に物狂いで歩んでいく途中で、彼の足はひたと止まり、眼前の景色に両目が釘付けになった。道沿いにえんえんと続く満開の山桜が突風にあおられ、一斉に散りはじめた花びらが舞い踊るかに中空に流されていく。生まれてはじめて見る桜を、テグリウスは立ちすくんだまま食い入るように眺めた。自分を取り巻き縦横に降り注ぐ無数の花びらが故郷の雪に重なり涙があふれてならなかった。
 
「俺が旅に出ようなんて言わなければ・・」
 
 地べたに膝をつき彼は泣き崩れた。
 
「許してくれ、許してくれ」
 
 こぶしを地面に叩きつけながら、命を落としていった仲間たちの霊に誓った。
 
「おまえたちの分まで俺は絶対生きぬくから、けっして奴らには負けないから・・だから・・許してくれ・・」
 
 桜吹雪はいつまでも止まなかった。吹き荒れる雪にも見まがいそうなその光景は、壮絶なほど美しく、テグリウスはしばし魂を抜かれたように見とれていた。嫌悪していたはずの故郷の雪が無性に恋しく思い起こされ、涙が乾くことはなかった。
 その後の彼の足取りはわからない。が、山に迷いこんだ村娘が風体の変わった大男にさらわれ、ついに里には戻らなかったという話は伝え聞く。
そして時を経て、先住民に似ない異端の相をした人間が世に現れる。彼らはなぜか雪山に多く出没し、呪咀の宿命を断ち切れず遭遇した人々の記憶に畏怖の念だけを刻みつけ、後世にかけて、雪女や雪男や鬼という伝説の名称で呼ばれることになった。

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