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慰労会のこと、想像以上に物事が動いていること。【日記】

一週間というのは、過ぎてしまえばこそ早いけれど、一日一日が濃密で、一ヶ月くらい経った気持ちになる。

特に最近の私の周りは、なんだか大きな変化の最中にあるにも感じる。
皆そうなのだろうか。

この文章では、慰労会のこと、そしてその後のことをご報告しようと思う。


5月7日(火)

話は少し遡る。この日はGW明けの初日だった。この日の日中のことは、前回の記事で綴らせていただいた。ここでは夜のことを綴りたいと思う。

この日の定時を過ぎたくらいの時間、私はチームマネージャーことKさんと慰労会の約束をした。社交辞令で終わるかもしれなかったものが、現実味を帯びた瞬間だった。

ocjinmおくさんが幹事で慰労会やりましょう。」と言われ、私は「検討しておきます(汗)」と答えた。

というのも気持ち一つで話を切り出してはみたものの、どういう集まりにすればよいのか見当がついていなかったためだ。

この日私はマイルストーンがあって、遅くまで仕事をしていた。

(今はこのことさえ変化の最中にあるけれど)私の勤め先で遅くまで残る面々はおおよそ決まっていた。
私が所属している拠点では、私と、私以外の女子二人と、年上の男性と取締役だ。

私以外の女子二人は、本当に頑張り屋さんだった。
私より一回りも若いというのに、背負わされた多くの仕事を、投げ出すことなく真剣に取り組んでいる。

その二人は、三年目と二年目のいい先輩とかわいい後輩の関係でもある。
二人の掛け合いは絶妙でおもしろく、「ラジオとして聞きたい」と二人に伝えたこともある。

私は二人とチームが違うため、同じ仕事に取り組むことは殆どない。
だけど、同じ空間で時間を重ねた分、小さくとも思い出もあって、見えない絆が生まれているように私は感じていた。

それも、己が明るく柔和になって来たからこそだとも思う。

突然だけど、勤め先の簡単な見取り図を作成してみた。

メインの部屋は仕事専用で、サブの部屋は丸テーブルでごはんを食べたり、会話をしたりする。コーヒーメーカーが置いてある棚もある。

春になってメンバーが増えて以降、私はサブの部屋の奥のカウンター席で仕事をしている。

この日もいつもの面々が残っていた。しかし珍しくいい先輩の子が、サブの部屋で仕事をしていた。

彼女は春になってメンバーが増えて以降、新人さんの面倒を見るため、メインの部屋で過ごしていた。

珍しいなと思って仕事を進めていると、背後からしくしくと泣く声が聞こえて来た。

すぐに声を掛けるべきか迷った。しかし私自身一刻も早く仕事を終えたかったのと、何よりその子は私より仕事が出来るので、生半可な気持ちでは声を掛けられないと思い、私は目の前の仕事を終えることに集中した。

少しして、かわいい後輩の子が、サブの部屋にお菓子を取りに来た。
サブの部屋には白い恋人の空き缶が置いてあって、お菓子のドネーションボックスになっている。

この時だと思った。かわいい後輩の子と、いい先輩の子の元に私は駆け寄った。

泣いていたことを、心配していた旨を話した。
いい先輩の子は「やってられるか!」と小さな声で怒っていた。

かわいい先輩の子は、いい先輩の子を近くで見て来ているので、うんうんと首を振っていた。

いい先輩の子は、器量の良さもさることながら、真面目さと根性が並大抵ではなく、とんでもない仕事量を第一線でこなしていた。

私は前線にはいないし、無理なことは無理とすぐに騒ぎ立てるため、彼女と比べ、精神負荷の少ない仕事の仕方をさせて貰っていた。

それゆえ、掛けてあげられる言葉も少なかったし、私では彼女の辛さを取り除けないと感じていた。

だからこの時、慰労会のメンバーと日時が決まった。

仕事が出来る人を救えるのは、経験豊富で仕事が出来る人しかいないと、私は考えたのだった。


5月13日(月)

慰労会当日であり、前回の記事を投稿した翌日だ。

私にとって、短納期案件の提出日でもある。
慰労会があるため、私の十八番「当日中(夜遅く)」が使えない。
さらに先方から仕上がり予定時間を聞かれ、17時と回答してしまった。

手に汗を握る一日となったけれど、週末に進めておいたこともあって、なんとか間に合わせることが出来た。(しかし一日くらいは余裕がないとダメ。)

慰労会の参加メンバーは、私、いい先輩の子、かわいい後輩の子、Kさんの四人である。

いい先輩の子以外は、予定通り参加出来る見込みだったけど、いい先輩の子は、日曜日に休日出勤をしていたので、色々と心配だった。

先週、「忙しいことを理由に楽しみをなくすと悲しくなるから、楽しみな気持ちをエネルギーに頑張りましょう。」というKさんのメッセージを、私はいい先輩の子にシェアしていた。

しかし、私にとっては仕事を凌駕するほどの楽しみだけど、正直彼女にとってはどこまでか分からない。どうか無理だけはしないで欲しいと思った。

この日のためのチャットルームで、無理だけはしないで欲しい旨を伝えた。

かわいい後輩の子曰く、ランチの時にいい先輩の子は「今日は◯◯◯(店の名前)だ〜」と楽しみにしてくれていたようだった。

社内の予定カレンダーによると、17〜18時はいい先輩の子の案件のミーティングとなっていた。

ところが18時半を過ぎても、いい先輩の子は会議室から出てこなかった。かわいい後輩の子の判断で、店の予約を30分遅らせた。

19時近くになっても、いい先輩の子は会議室から出てこなかった。Kさんは「先に出てます。時間に店に行きます。」と先に会社を出た。
私とかわいい後輩の子で、いい先輩の子を待った。

この日は太陽フレアの影響で、空は赤紫色に焼けていた。

予約時間の10分前になっても、いい先輩の子は会議室から出てこなかった。チャットでメッセージを送って置き手紙を置いて、私とかわいい後輩の子は会社を出た。

店は、会社のほど近くの小さな海鮮居酒屋を予約していた。
小さい四人掛けのテーブルに、いい先輩の子以外の三人で集まった。

「握りはいい先輩の子が来たら頼もう。」と言いながら、まずは一品の食べ物と少しの酒を頼みながら、ぼちぼち慰労会は始まった。

私はKさんに話したいことが沢山あったはずだけど、なんだかこの場では話そうとは思わず、仕事のことや取り止めもないことを話しながら時間は流れた。

私が完全に早く帰宅したいタイプであることを知っているKさんは、先週、慰労会を月曜にしたいと打診した際、終わりの時間のことを案じてくれていた。
今日は21時くらいまでだね、と始めた時に話したけど、出来る限りいい先輩の子を待つことにした。

21時半になってスマホを見ると、30分ほど前にいい先輩の子から連絡が来ていた。
三人揃ってスマホのチェックが疎かになった頃だった。
今からでもぜひ来て欲しい旨を連絡をした。

それから10分ほど経って、いい先輩の子が店に到着して、色んなことを話した。

体感的にはいい先輩の子が来てからまだ30分も経っていない頃、時刻は23時を回り、閉店の時間となった。

Kさんは、いい先輩の子に「案件の責任は会社にあるから、そんなに頑張り過ぎないほうがいいですよ〜」「一週間くらい休んだほうがいいかもしれないですね。。」「いない人の穴は、いる人で埋めるから大丈夫ですよ。」と伝えていた。

Kさんの言葉は、裏表がなくて、Kさんが本当にそう思うから言っている言葉が多い。その分踏み込んだことはKさんはあまり言わない。

Kさんが入社した6年前の春は、勤め先が今よりも全然小さくて非常にカオスだった。
カオスでハードな状況を、KさんはKさんの自力で切り拓いて来た。
Kさんの胆力、判断力、調整力、コミュニケーション力、技術力、スピード、力の抜き方、そして人格の高さは本当に素晴らしくて、奇跡のような存在だと私はいつも思う。

そんなKさんも、入社した頃は「この場所では自分でどうにかしていくしかない。」という諦めに近い気持ちを抱いたという。
地方の零細企業ゆえ、世話を焼いてくれるような先輩も、切磋琢磨できるような同期も、Kさんには居なかった。
自分で自分を助けるしかなかった。こうした無念さを、Kさんの言葉の端々から感じることは結構ある。

この日話したことは、いい先輩の子の肩の荷を降ろすものだったかもしれないし、もしかすると、どこか無念な気持ちにさせてしまうものだったかもしれない。

もし私がいい先輩の子だったら、「よく頑張って来たね。」「あなたは本当にすごいよ。」「あなたがいなくなってしまったら、僕らは困ってしまう。」「でもずっと我慢してきたんだよね。本当に辛かったよね。」「だからここで少し休んでも大丈夫だよ。」「あなたが抜けた分は、僕たちでなんとかするから。」「戻ってくるのを待ってるよ。」など、気持ち一つの言葉が欲しかった。

でも、気持ち一つの言葉こそ、無責任に言い放つことは出来ない。

私は全てが嫌になった時、仕事に連れ戻してくれるKさんが好きだ。
だけどKさんは、仕事よりも大事なものがあって、大事なものを守るための仕事で、Kさんにとって素の自分でいられる場所もそこだ。

後ろ盾もなく、持っているものを全部ぶち込まないと立ち回れない女として、Kさんのような人に守られる女性と、自分との違いはなんだろうと考えることもある。

いい先輩の子はまだまだ若いし、私のように考えているとは思わないけれど、考えていないとも言い切れない。

だけど私は、勤め先の女の子たちから、沢山大切なことを教えて貰った。
好きな人に守られる以上に大切なことが、きっとこの世界には沢山ある。

「仕事なんてそんなに頑張らなくていいですよ〜」という言葉ではなく、「一緒に頑張っていきましょ〜」という言葉が出るようなムードだったら良かったのかもしれない。

そうやってこの日は解散した。


5月14日(火)

いい先輩の子は、体調が優れないようだった。それでも仕事をしようとしたけれど、彼女のチームマネージャーに止められ、この日は仕事を休んだ。

私はというと、日中久しぶりにKさんにタスク相談に乗って貰い、大変助かると同時に、チームが変わることがまたとても悲しくなって、半個室に隠れて泣きながら仕事をした。
このまま消え失せそうなまま今日が終わるのかと思っていたら、Kさんが進捗を聞きに来てくれて、仕事の進捗と共に何度話したか分からない心情をまた話させて貰った。
Kさんに話を聞いて貰ったらすっかり調子が上がってしまって、大分踏み込んだ話まで聞いて貰うに至った。


5月15日(水)

この日、いい先輩の子はお休みだった。

私は昼になって、前日の狼藉?をKさんにお詫びした。
「おくさんはきっと反省会をしているだろうなと思っていました(笑)」とKさんは笑ってくれた。
Kさんは私が朝一番でお詫びしてくると思っていたようだった。
「いや、タイミングが重要だと思って、昼までじっと耐えて仕事をしていました。」「虎視眈々とタイミングを伺っていましたよ。。」
「仕事に影響出そうだから先に言ってください(笑)」
ここまでで色々書いたけれど、私はKさんとの会話が楽しくて大好きだ。
この日もKさんと色々な話をさせて貰ったけれど、この記事では割愛する。


5月16日(木)

いい先輩の子が、しばらくお休みをすることになった。
彼女のチームマネージャーとKさんとの話し合いが開かれた。
取締役が、いい先輩の子の元メンターのメンバーとしている電話を聞きながら私は仕事をした。
いい先輩の子の元メンターのメンバーの存在がとても心強くて、ぐっと来るものがあった。


5月17日(金)

第一線で仕事をしているメンバーが招集され、話し合いが開かれた。
チーム定例もあって、Kさんは経緯を説明してくれると共に、おくさんの意見も聞かせてくださいと話を振ってくれたので、私は普段思っていることをお伝えした。


昨日・今日

何か大きな変化の最中にあるように感じて、私はここ最近のことを綴らずにはいられなかった。
特に全体を通しての気づきなどがあるわけでもなかったので、【日記】というラベルをつけた。

私が普段思っていることは、「建前だけ話を進めていては埒が明かない」「どんな状況でも厳しい言葉は使うべきではない」「無理なことは無理だから持続可能ではない」「普通に考えたら大変そうとか分かることを、無視して話をするべきではない」など、主に上が気持ちまわりで配慮に欠いていることの指摘だった。力が強い者から弱い者へのアプローチは、ちょっとしたことでも暴力になりかねないことを認識しておく必要がある。

これらは飾らない実直な私の考えではあるけれど、上にだけ問題があるとも思っていない。むしろ対岸の火事のようなスタンスでいることこそが、最大の問題だと思う。

ビジネスの問題点は、立場や役割やシステムに身を委ねて、人の気持ちを見ようとしないことにある。

であれば、私も今の立場を当たり前などと思わずに、感謝と共に、自分の頭で考えて、心に問いながら前に進むのみだ。

いい先輩の子が戻って来ることを待っている。

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