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ガチの自己肯定感の高め方

一週間はあっという間だ。

平日は生業の仕事にひたむきに取り組んでおり、肉体も、気持ちも、多分魂も、しっかり入り込んでいて、腰を据えて文章を書けるのは週末になる。

先週の自己紹介にいいねをくださった皆様、本当にありがとうございました。

想像よりも多くの方に見ていただけて、嬉しい限りだった。

さて、この文章には少し大袈裟なタイトルを付けた。

いつも文章を書きに行くタリーズコーヒーの道中で浮かんだものをそのまま付けてみた次第だ。

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ガチの自己肯定感の高め方とは。

自己肯定感の高め方については、本を読むなり、検索するなり、誰かの話を聞くなりすることで、簡単に知ることの出来る時代になった。

しかしながら、頭の理解だけで身に付けた方法では、魔法が切れた時間の中ではあまり意味をなさない。

魔法が切れた時間というのは、等身大の自分で迎える自由な時間のことだ。ーーそのことをここでは現実と呼ぶことにする。

魔法が切れることを恐れている人は多い。もちろん私だってそうだ。

この世界には沢山の魔法が存在する。

魔法の力で現実から逃れることは、別段悪いことでは無いと思う。タイミングの問題もあると思う。

しかし、逃れ続けるとなると話は別だ。

逃れている間に等身大の自分の自己肯定感が自然に高まるかと言うと、それはNOだろうし、必ず現実と向き合わされる時は来る。

現実と向き合わされた時、A. 過ぎた時間が長ければ長いほど、B. 等身大の自分の自己肯定感が低ければ低いほど、A×Bで苦しくなる。

苦しければ苦しいほど、何か大きな力で現実がドカンと好転して欲しいとか、こんな人生もう嫌とか、極端なことを思ったりする。

この時が分岐点なのだと思う。たとえ死ぬほど苦しくても置き去りにしてきた等身大の自分と向き合うか、苦しみを打ち消すような新しい魔法を求めるか。

真に現実が好転するまで、現実と向き合わされる時は訪れる。

仮に機会を逃しても、バッドエンドのルートに入るわけではないだろう。だけど時間は進む。先行きは不安になる。

極端なことを言うと、全ての機会をスキップして人生を終えることも可能なのかもしれない。

だけど、そうやって生きるために私たちは生まれたはずではないわけで。

私たちは幸せになるために生まれて来た。そういう話も聞く。この言葉で安らぐ時もある。だけど起死回生の力は湧かない。ゆえにこれ一本では真髄に至れないことが分かる。

私たちがこの世界に生まれた理由の一つは、等身大の自分の自己肯定感を高めること、そして、等身大の自分を成長させることだと私は考えている。そう考えると力が湧いてくる。

等身大の自分が、自分の世界の真実のスケールなんだと思う。

そのようなスペクタクルなバックグラウンドがありつつも、等身大の自分の自己肯定感は、草の根的にこつこつ高めていく他はない。

***

ガチの自己肯定感というのは、等身大の自分の自己肯定感のことだ。

私は思い返すと25歳くらいから魔法が切れ始めた。

そこからなんだかんだ現実と向き合って来て、35歳の今、多分大きい魔法は完全に切れている。

しかし、本当の意味で向き合えたのは、正味ここ一、二年くらいのようにも思う。

等身大の自分は色々と傷ついており、どうしようもない悲しみを抱いていた。

その悲しみと、自分なりに向き合ってきた。

それで少しずつ少しずつ悲しみが薄れてきた感覚があって、現実の中においても、グッドバイブスでいられる時間が増えてきた。

少しずつ希望を取り戻して、人生が明るくなってきた感じがある。

そして昨日、なんとなく言葉に出来そうな気がして、この記事を書き始めた。

最近はどうやったら等身大の自分が前向きに生きて行けるか、真剣に考えている。

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ガチの自己肯定感の高め方。

1.本を読むなり、誰かの話を聞くなりして学んだことは、ひとまず心の中の道具箱に入れておく。

*すぐにそれが全てと思わないこと。

2.自分の人生と、この世界の原理原則について、自分なりに考察する。

3.この世界における自分の役割について、自分なりに考察する。

4.現在の自分の時期について、自分なりに考察する。

5.(3と4を踏まえて)自分が目指したい未来と、そこに向かうにあたり今出来ることは何かを、自分自身に訊ねる。

6.5で思い浮かんだことを行動に移す。

7.等身大の自分で今を生きる。(人事尽くして天命を待つスタイル)

*自分自身には常々ポジティブな声掛けをすること。

おもむろに書き出してみたけれど、大きくはこのようなところだろうか。

鍵となるのは、「等身大の自分を傷つけ、苦しめているのは、他でもない自分自身であること」を自覚することだと思う。

  • 「普通は」とか「皆は」といった、人という存在の一般的な在り方への固定概念

  • ユング心理学でいう「アニマ」と「アニムス」といった、自分の性や異性への固定概念

  • 実際に存在する誰かの固定概念

そういった「固定概念」VS「自分」で比較をして、自分に不足を感じて傷ついて、苦しくなる。

これが自分の思考の中で行われている。

もし、悟りを開くなどして思考が止まった場合、傷ついたり苦しんだりすることもなくなるのだろう。

だけど、私たちはそれを望んでいる訳でもない。

私たちは自分で克服し、自分で思考を味方に付けたいと思っている。

そういえばあどけない頃の私たちは、出来ないことが出来るようになる喜びを感じていたけれど、いつからかそのことを忘れてしまっていた。

お金を稼ぐことに追われるようになってからだろうか。

歳相応に幸せじゃないと恥ずかしいと思うようになってからだろうか。

そういった外側の状況に心を流され、判断を委ね、自分を傷つけることばかりを考えるようになってしまっている自分自身を、客観的に認めることから話は始まってゆくと思う。

***

ところで、人の人生には、ある程度のとこまで無意識的に進められる領域があると思う。

そしてその領域でどこまで進められるかは人それぞれである。

多分これが大きなポイントだと思う。

無意識的に進められた領域の進捗に、とやかく思うこともないだろうから、不平等だと嘆く必要がなくなる。

無意識的に進められるところまで進めた領域。そこが人生の第一フェーズで、実に運命らしい領域だと思う。

それで何らかの壁にぶち当たって、もう無意識的には進められなくなった時、人生の第二フェーズが始まる。ここからフリーシナリオ要素が大きく入って来て、運命だけではなく、魂で取り組む必要が生じてくる。

第二フェーズでは、当人にとっての必要なピースはおおよそ出揃っているはずだから、そのピースを手がかりに前に進めていく必要がある。由縁のある人生を歩んでいくためには。

私は27歳の頃、東京から故郷に戻った。その理由は、東京に故郷以上の由縁を見出すことが出来なかったからだ。

必要なピースというのは、何もポジティブなものばかりではない。

また運命というと、ドラマチックでスペクタクルな事柄を想起する。実際そうかもしれないけれど、運命が現実レベルに落とし込まれた時、日常のさも落ち込みたくなる事柄の中に隠されていることが、最近薄々分かって来た。

だから青い鳥症候群になって、現状に落ち込んでそこで終わってしまうことは、運命の50%を実質捨てているに等しい。

<中略>

己の現状に落ち込むことなく、隠された運命を見出しながら、自由に生きていくためには、思考、つまり考え方が鍵になってくると思う。

青い鳥症候群からも卒業しようか/ocjinm

ここまででお伝えさせていただいた自分で自分を傷つけている件も、少なくとも、

  • 自分の傷つくポイント

  • 自分の思考の癖

  • 自分が持っている固定概念

というピースが含まれている。これらを理解し、分析し、克服することで、核心的な生き方に確実に近づけると思う。

自分の過去と、過去から続いた今を、「全部自分にとっては必要なことだったね」と、自然に受け入れられた時から、真の未来への道が少しずつ見えてくる。

そうやって見えた未来への道を、一歩ずつ歩んでいきたい。

この生の全ての経験は、唯一無二で、一期一会だ。

希望を持っていきていく。

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