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全ての可能性の線を生かしておく

今日はとても風が強い。
しかし季節はすっかり春だから、今日は花を愛でるため、山の麓を軽く散歩した。

全ての可能性の線を生かしておく。

これはコイントスに似ている。

  • 昨日納期当日でなんだか23時まで覚醒してコードを書けた自分。

  • 帰宅後まったく休まらない悪い姿勢で朝5時まで寝落ちをした自分。

  • 寝落ちの後風呂に入って家中を整えてから寝直した自分。

  • 昼の12時半に起きた自分。

  • 住んでいるアパートの塗装工事がちょうど始まって家を出た自分。

  • 近所の公園の水仙や桜を愛でながら歩く自分。

  • スタバでプラントベースの抹茶ロール残り1点にあり付く自分。

  • マッチングアプリの一週間返信出来なかったメッセージに返信をする自分。

  • 昼の太陽に誘われて山の麓の公園を目指す自分。

  • 桜や木蓮を愛でる自分。

  • 帰路に着いて近所の公園あたりでほっとする自分。

  • 塗装屋のお兄さんがとても親切で感謝をした自分。

  • 実家に寄って母の活動報告に耳を傾ける自分。

  • 出かける準備をしながらおすすめ動画に出て来た話を聞く自分。

  • タリーズコーヒーに意気揚々と出かける自分。

  • 風が強い中海に立ち寄って陽を眺める自分。

  • Instagramのポストから「ルックバック」の試し読みに行き着く自分。

  • 「ルックバック」を読んで刺激を受ける自分。

  • 他の人のnote記事を読んで刺激を受ける自分。

  • 頭の中でまとまっていないけれどとりあえずnote記事を書き始める自分。

シーンごとに、バイブス、思うこと、考えていること、願うことは、一人の人間であっても結構に違う。

ひとまず、グッドバイブスの時はその瞬間を生きて、バッドバイブスの時は自分自身に問いかける必要があると、これまでで分かった。

バッドバイブスの時、可能・不可能は一旦脇に置いて、今この瞬間の等身大の自分に問いかける。

今なぜ辛い?
どうだったらいい?
どうなっていきたい?
と。

目の前的な答えが出る時もあるだろうし、少し先を見据えた答えが出る時もあるだろう。

しかしどのような答えであっても、全てそのままを受領する。
それだけで自分を救えることもある。

そして私には心に残っている言葉があって、「望みはその望みと同時に行動のエネルギーが与えられる」というものだ。(たしかあまね理樺さんのチャネリングメッセージだった気がする。)

今どのような状況であっても、自分が望む未来に向かうための行動が全ての瞬間に存在する。

それは往々にしてささやかなことが多い。(と聞いている。)

たとえば今日の私だったら、スタバに行ったこと、公園に行ったこと、実家に寄ったこと、タリーズコーヒーに行ったことなどが該当する。(と思っている。)

バタフライ効果という言葉がこの世界にあって良かったなと私はしばしば思う。

人事尽くして天命を待つ、や、ケセラセラという言葉もいい。

そして同時に大切だと思ったことは、ささやかでも実現した望みを自主的に数え上げていくことだ。

たとえば今日の私だったら、スタバで食べたいと思っていたプラントベースの抹茶ロールにありつけたこと、散歩の帰り道にこの記事のタイトルが思いついたこと、塗装屋のお兄さんに出会でくわして養生のために封鎖されていた窓を1つ解放して貰ったこと、この記事が書き進められたことなどだ。

自分が思っている以上に実現している望みは多い。

逆説的にいうなら、核心的な望みが実現していないことに捉われて、嫌になって、今を生きられなくなって、目の前で小さくとも起きている奇跡の数々を祝えないでいては、実現出来るものも出来なくなってしまうのではないか。

また人の生というのは、一色ではなくて多彩なもので、視野狭窄になってしまうことを世界は許してくれないだろう。

世界は、人に生きているうちに多彩な経験をして欲しいと願っているはずだから。

全ての可能性の線を生かしておく。どの線の否定も極力は避けたい。否定は殺す行為に等しい。

いずれかの線が自然に伸びていく様から、己の運命を知っていくことも出来るのだと思う。

桜でも、もう咲いている木もあれば、2週間くらい遅れてやっと咲き始める桜がある。そしてそれらの花の色や形は違うけれど、いずれにしても人間としては喜ばしくて愛でたいものだ。

世界は多分、人をそういう目線で見ているはずだから、もっと人生に期待して生きていいのだと思う。

希望を持って生きていく。

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