落合陽一
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落合陽一が何者かわからないときに読むnote(無料配信)
落合陽一です.色々やっていると言われても,実は僕個人としては色々やってるつもりはなくて,何かで紹介されるとき毎回肩書きに「メディアアーティスト」と答えるように,基本的には広義のメディアアートを愛する32歳で,全てはその派生で生まれてきたものであることはずっと変わっていません.
この記事は,目次的には個人(作家)としての落合陽一,大学教員としての落合陽一,会社経営者としての落合陽一,研究プロジェク
GW日記3日目:「アートサイエンステクノロジー・呼吸レベルで噛み合うにはそこで生活しなくてはならない.スタイルとオブジェクト:デジタルネイチャーと質量への憧憬」
アートサイエンステクノロジー・呼吸レベルで噛み合うにはそこで生活しなくてはならない.
私にとって「映像と物質」,「デジタルネイチャー」,「質量への憧憬」,「猫・キノコ・遊牧民」,「ヌル即是色色即是ヌル」のようなものスタイルである.デジタルネイチャーの展示も質量への憧憬の展示も2018ー2019だけど,大体スタイルは2-3年くらいおきに新しいものが他されている(作家は常に回顧展と新作を繰り返すよう
GW日記2日目:「残り2つのネタに悩んでいる」
思いつきがいいネタが通過していった後は2つのネタに悩まされる.よくある話は最後にとっておいた方のネタが思いつくと最初のネタも思いつく,考える順番が逆なのでいつまで経っても片方が思いつかないというやつである.これ,人生で何十回も経験しているんだけれども何が原因かわからないからいつもこれで時間の損をする.文章も企画も作品のアイデアもそう.
GW日記1日目:展覧会の準備,私は東京を歩いている.トラ彦は寝ている.
夏から秋にかけて展覧会が4つ控えているのでその準備を始めるゴールデンウィーク.コンセプトと作品を固めつつ,足りないアイデアを練るのに様々な場所で様々なものを見る.
GWは昔から結構好きな季節なのだけど,毎年だいたいアトリエから出ずに作業をしていることが多い.
寿司も意外と重要なファクター(この写真はこの前有働さんと行ったお寿司
私は春のベネチアを歩いている.(その1)
ビエンナーレがギルティ多毛作という話は前回書いた.
その法廷に立つのも多毛作か? いやジャッジをするのは善良な市民のエンタメかと思いながらも批評性を考えるが,多毛作は否定できないと思う.
4月末,別日本について考えていた
松岡正剛さんのところに何度か遊びにいっている.
weeklyochiai にお越しいただいたのも,AIDAに行かせていただいたのも懐かしい.
楽さんとの掛け合いが良かった.
本が出るらしい(私は書いてないのですがなんとなく)
ベネチアビエンナーレ,ギルティ多毛作が溢れ出す
植民地のようなアクション,贖罪と懺悔,そしてそのアセット化.
ギルティ多毛作というべきアートの現場は今日も元気である.貴族のインスタを積み立てるルネサンス期絵画,貴族の推し活宗教画,貴族の石積立貯金教会.最近積み立てられているのは犯罪と贖罪と懺悔の物質化である.
カウンターカルチャーや反体制アートとその出自をどう分けるかが問題であるが,シャルジャビエンナーレのときに感じなかった「多毛作感」がベ
計算機自然について考え続けて早9年.
2年前のことになる。日本フィルハーモニー交響楽団とのプロジェクトを毎年やっているのだけれど、その「遍在する音楽会」と名付けた2022年のプロジェクトでジョン・ケージのミュージサーカスを中心として音楽会を構成した。そのときにリサーチしている中でジョン・ケージの面白い言葉を見つけた。
55年後、我々は計算機自然の濁流の中にいる。生命は拡張され,彫刻は変容する。太陽の「烏」から「鏡」へのモチーフの継承は、質量のない自然の自由を建築へと連繋させ、展示の墓所性を生命へと転換できるか。
というわけで万博1年前です.シグネチャーパビリオンの発表もあり今日は発表会.映像をまず見てね.