落合陽一

メディアアーティストで光や音や物性や計算機メディアの研究をしているような感覚的物書きで…

落合陽一

メディアアーティストで光や音や物性や計算機メディアの研究をしているような感覚的物書きで博士持ちのスナップ写真家です.多様性社会を目指す波動使いの准教授.noteは作家としての個人的な発信です.ご連絡はリンク先のお問い合わせまで. https://yoichiochiai.com

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  • 落合陽一の見ている風景と考えていること

    落合陽一が日々見る景色と気になったトピックを写真付きの散文調で書きます.落合陽一が見てる景色や考えてることがわかるエッセイ系写真集(平均で月25回くらい更新しています)

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    魔法の世紀

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    デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

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落合陽一が何者かわからないときに読むnote(無料配信)

落合陽一です.色々やっていると言われても,実は僕個人としては色々やってるつもりはなくて,何かで紹介されるとき毎回肩書きに「メディアアーティスト」と答えるように,基本的には広義のメディアアートを愛する32歳で,全てはその派生で生まれてきたものであることはずっと変わっていません. この記事は,目次的には個人(作家)としての落合陽一,大学教員としての落合陽一,会社経営者としての落合陽一,研究プロジェクトリーダーとしての落合陽一,メディアに出ている落合陽一,総括その他の順番に並んで

    • 4月、私はドバイを歩いている

      ドバイの街が好きである.シャルジャの街も好きである.

      • 4月末,別日本について考えていた

        松岡正剛さんのところに何度か遊びにいっている. weeklyochiai にお越しいただいたのも,AIDAに行かせていただいたのも懐かしい. 楽さんとの掛け合いが良かった. 本が出るらしい(私は書いてないのですがなんとなく)

        • 江戸から旅に出た龍神を探して.私は佐倉を歩いている

          桜舞う佐倉を歩く.絶好の季節だ. 佐倉の街の構造は実に面白い.神社を中心とした古い街だ. ご案内いただいた佐倉の皆様麻賀多神社の皆様に大変感謝.

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        • 落合陽一の見ている風景と考えていること
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        記事

          笛は風,太鼓は水.私は佐渡を歩いている.

          4月は旅多い日々だった.GWに突入したことはあまり生活に変化を生じない.いつも通りの平日はいつも通りにギチギチである. 地域と祭りと舞踊と音楽.観光産業としてではなく地域の中に根付いた地域芸能が続いていく美しさに魂を揺らされている.その美しさは私という計算機のクロックをアップさせ,センサーを鋭敏にする.魂は万物なる計算機の一部であり,有機的なソフトウェアだ.

          笛は風,太鼓は水.私は佐渡を歩いている.

          ベネチアビエンナーレ,ギルティ多毛作が溢れ出す

          植民地のようなアクション,贖罪と懺悔,そしてそのアセット化. ギルティ多毛作というべきアートの現場は今日も元気である.貴族のインスタを積み立てるルネサンス期絵画,貴族の推し活宗教画,貴族の石積立貯金教会.最近積み立てられているのは犯罪と贖罪と懺悔の物質化である. カウンターカルチャーや反体制アートとその出自をどう分けるかが問題であるが,シャルジャビエンナーレのときに感じなかった「多毛作感」がベネチアビエンナーレではそこらじゅうに漂っている.コンテクストが変われば作品も変わ

          ベネチアビエンナーレ,ギルティ多毛作が溢れ出す

          計算機自然について考え続けて早9年.

          2年前のことになる。日本フィルハーモニー交響楽団とのプロジェクトを毎年やっているのだけれど、その「遍在する音楽会」と名付けた2022年のプロジェクトでジョン・ケージのミュージサーカスを中心として音楽会を構成した。そのときにリサーチしている中でジョン・ケージの面白い言葉を見つけた。

          計算機自然について考え続けて早9年.

          55年後、我々は計算機自然の濁流の中にいる。生命は拡張され,彫刻は変容する。太陽の「烏」から「鏡」へのモチーフの継承は、質量のない自然の自由を建築へと連繋させ、展示の墓所性を生命へと転換できるか。

          というわけで万博1年前です.シグネチャーパビリオンの発表もあり今日は発表会.映像をまず見てね.

          55年後、我々は計算機自然の濁流の中にいる。生命は拡張され,彫刻は変容する。太陽の「烏」から「鏡」へのモチーフの継承は、質量のない自然の自由を建築へと連繋させ、展示の墓所性を生命へと転換できるか。

          幽体共鳴する空性の桜:ライブ編III

          というわけでIII

          幽体共鳴する空性の桜:ライブ編III

          幽体共鳴する空性の桜:ライブ編Ⅱ

          良きタイミングで始めてくださいー,からはいわかりましたー.からの というわけでアーカイブ動画をシェアです.

          幽体共鳴する空性の桜:ライブ編Ⅱ

          デジタル,古楽器、千利休。

          デジタル,古楽器、千利休。

          幽体共鳴する空性の桜:ライブ編

          すごいたくさんの皆様にお越しいただきありがとうございました.またやりましょう.

          幽体共鳴する空性の桜:ライブ編

          3Dで振り返る幽体共鳴する空性の桜

          渋谷の展示は終わってしまいましたが,ライブの動画の共有などしようと思います!

          3Dで振り返る幽体共鳴する空性の桜

          Tara号日記 10日目 船の揺れと丘の揺れ

          いよいよ陸地へ戻る日が来た.やっぱ船でみんなで過ごすことはグルーヴ作りなのかもしれない. もしデジタルネイチャーがディストピアだったとして,残った人類は何すると思う? という話をしながら過ごす.私は人類が最後になったらそれでも海洋調査をしているんではないかと思っている.機械が人類を滅亡させる未来は古いディストピアで,人類は数を減らしていって,自滅していく中,機械は能力をものすごく向上させていって,知的な野生動物や知的な森林のようになる中で,狩猟採集と冒険が好きな人類はその中

          Tara号日記 10日目 船の揺れと丘の揺れ

          Tara号日記 9日目 鼓膜で感じるよりも周波数の低い揺れで

          デジタル情報はエーテルのように空間に満ち溢れているというのに空間自体のゆったりとした変動を感じることはないし,イルカと違って我々は寝言を共有する人類でもない.夢を共有すると同じ夢を見るようになるだろうか. 道具をたくさん持っていても使わなければしょうがない.使いこなせるよく使う道具が増えることはいいことだ.そして毎日新しい道具の使い方を覚えることも新しい原理を学ぶことも良いことだ.そして新しい道具を創りながら暮らすとしよう.その道具の名前は最終的に新しい自然になる.

          Tara号日記 9日目 鼓膜で感じるよりも周波数の低い揺れで

          Tara号日記 8日目 環境と道具 

          人類の進化の長い物語には、道具の創造と使用が絡んでいる。初歩的な石器から産業革命を推進する複雑な機械に至るまで、道具は我々の文明を形成する上で重要な役割を果たしてきた。コンピュータサイエンスの出現は、伝統的な道具作りを超えるパラダイムシフトを意味し、計算中心で自然を解釈し直すことで生まれる自然の姿、いわば質量のある自然と質量のない自然の渾然一体となった新たな自然像「コンピューテーショナル・ネイチャー」(我々がデジタルネイチャーと呼ぶもの)を解き明かすものである。このナチュラル

          Tara号日記 8日目 環境と道具