アニメ 「葬送のフリーレン」感想 第1話~5話まで
アニメで初めてフリーレンと出会った者の感想。
劇伴Evan Call×主演種崎敦美×人を知る物語=最高に決まっとるやん。
「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」と「魔法使いの嫁」好きにはクリーンヒットよ。
「葬送」の意味を考えてみる
ヒンメルの「葬」儀を「送」っている途中だから葬送なのでは?というのが、5話まで時点での考え。
こじつけが強いかもしれないけれど、フリーレンがヒンメルの葬儀で涙を流すのは、棺の埋葬シーンで、完全に土に覆われてから。
葬儀が終わってからようやく泣けたという解釈をするとして、葬儀が終わってからようやく実感伴ってきて泣くっていうパターンかと思うけれど、フリーレンはそこに、どうしてもっと知ろうとしなかったのかという後悔が伴ってくる。ぼーっと参加した葬儀は、故人との告別という機能をしっかりと果たせていたのだろうか?もしかして、フリーレンにとってこの葬儀はノーカンなんじゃないの?
そして4話ではフランメの手記によって、ヒンメルともう一度話せるかもしれない可能性が浮上して、オレオールを目指す旅が始まる。
魔王城と同じ道故に、フリーレンは必然的にヒンメル達との冒険の旅路と思い出を辿りながらの旅程になる。
旅の仲間は同じではないけれど、同じではないからこそ、以前の旅との比較で、たったの10年だったヒンメル達との旅の意味がより深くなっていくんじゃないか。
これって葬儀で故人についての思い出を語り合うのと似てないか?
しかもハイターとアイゼンが共謀して、フリーレンがもう一度ヒンメルに会える機会を探していたってことは、ヒンメルの葬儀でフリーレンはヒンメルにろくに別れを告げていないんじゃないか。
オレオールでの会話が本当に最後の会話になるのなら、それがフリーレンにとって、ヒンメルの葬儀の終わりになるんじゃないか?
(おっと幻覚が強くなってきた気がするな)
とか思っていたけれど、原作ではとっくにタイトル回収が行なわれていてこの流れ全部妄言かもしれない。
単純に関わってきた人たちの葬儀を送り続ける立場だから、「葬送」かもしれないけれど。
「実は残念」なギャップが良……
深読みを誘うタイトルも魅力の一つだけれど、登場するキャラクター達が実は残念な一面があるのが人間臭くてとても良ッ……!
イケメンで人格者で魔王を倒した勇者が実はナルシストとか、お酒飲み過ぎて週一で二日酔いの僧侶とか、朝起きられないし、ミミックに自ら引っかかりにいく勇者パーティーの魔法使いとか、前衛だけど実は臆病なドワーフとか、とか……!
なんかこう、役職から連想されるキャラクターと実際の中身の落差がいいんよ。
あと感情表現の振れ幅が狭いフリーレンとフェルンの師弟コンビだけれど、感情の薄さの方向性が違うのがまたいいんよな。フリーレンは知識人故の静けさ、フェルンは感情の振れ幅があまり無い故の静けさ……みたいな感じで。
他者への関心は無表情度が高いフェルンの方が高いのも、この師弟コンビのいいところな気がする。こういう対比、好き。
あと、ヒンメルがフリーレンに時々見せてる慈愛に満ちた表情が好きです。現代パートも好きだけど、過去回想のシーンも好きだー!
多分シーズン1最終回を迎える頃には、制作陣による良い塩梅のヒンメル×フリーレンの関係匂わせに号泣しているに違いない。ヒンメル関連のフリーレン、他関連の時より表情明るい気がするし、絶対この二人なんかあるでしょ。
次回予告の文字が浮かんでは消える演出も好きえです。フォント名までは分からないけれど、ちょっとぬるっとしたかんじというか、インクだまりを感じるようなあのフォントにファンタジーを感じて次回が楽しみになってしかないんですね。
そしてもしかしてだけどオレオールに着いて帰ってきたらまたエーラ流星の季節じゃないですか? 3度目のエーラ流星にフリーレンが何を思うのか……そんなん号泣必至じゃないか。
最後までお読み頂きありがとうございます! 楽しんでいただけたのなら幸いです。 よい1日を🍀