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日記

とんでもないスピードで二か月が通り過ぎた。10月は長年お世話になったバイト先を辞めたので(とは言っても色々あってその後変な契約を交わし月4回だけ4時間働いてる)大量に余った有給消化をしていて、特段なにもしていなかった。時間が余っているので色々やろうとしたのだがなにもできなかった。映画も4本くらいしか見れなかったし、ネタもほとんど書けなかった。自分は締切やストレスがないとなにもできないのだなと知ることができただけでもかなりの収穫があったと思う。養成所が本格的にはじまり、新しいバイト先で四苦八苦しはじめてから作業がはかどりはじめる。
養成所で自分の歴史をA4サイズ(枚数無制限)でまとめるという課題があり、「元相方と対談」というページを作った。とーやとあれこれ振り返ったのだが「落合君がテンション高い時ってあんまりおもしろくないよ」と、俺が10年以上かけて最近気づいたことをさらっと言ってくれて流石だなって感じだった。とーやがいたらなと思う瞬間が養成所のなかで何度もある。同期達の「コンビ」というものをまじまじと見てやっぱり相方っておかしな存在だなと再認識する。プールサイドで過ごした3年間は素晴らしいものだったのだと今になって知る。振り返ると全てが美しい瞬間でつまりは青春だったということだ。
とーやは今競馬とゴルフにハマっているらしく、元々人生設計的なことを淡々と進めていいくタイプの人だとは思っていたけど、来年くらいには「老後」や「死」について考えだすのではないかっていくらいにプランが進みすぎている。墓とか若いうちにたてる感じの人だ。その隣に俺の墓も建てようかな。
ふと今思ったんだけど、俺はこのままだと母親と同じ墓に入ることになるのだろうか。すごい疲れそうで嫌だ。墓石の中で使ったものを元に戻して関連のこととか言われたくない。奥さんと同じお墓がいい。そこら辺ってどんなルールなんだっけか。そうゆえば親父の墓が未だどこにあるのか知らない。雨の中傘も差さず墓の前で親父が吸っていたセブンスターに火を付け、少し吸ってからお線香がいっぱい入ってるところに入れて、憂鬱な顔で空を見上げている俺を遠くからカメラが撮っていて「彼は今なにを思うのだろうか?」みたいなナレーションが入った次の瞬間に、何事もなかったかのようにライブの舞台裏とかのシーンに切り替わるやつをやるのが夢なんだけど、実際マジで行っても無感情だと思う。骨だし。
火葬場のことが今でも忘れられなくて、でっけえ引き出しみたいのを開けたら親父が骨になってでてきて「もうこれなんでもねえじゃん」って思った記憶がある。不謹慎だけどちょっとおもしろかった。なんでもなくなってしまった親父の骨を、みんなで泣きながら韓国の焼肉屋とかででてきそうなでっけえトングでつまんで壺に入れていくことの意味が本当に分からなかった。母親に「諒もやりなさい」みたいなことを言われてマジで怖くて嫌だったんだけど、本当にあの時はトングで強く挟んで骨を崩さないようにするってことに注力してた記憶がある。それはもう物質の話でしかないし、ここに父親はいないって思ったあの感覚は間違いないと思う。魂は別やねん。
田我流の野音に行ったり、踊ってばかりの国の野音に行ったり、ナベプロの先輩達のライブを見にいったり、同期と毎週飲んだり、一時間ごとに人格が変わってしまう人と二人きりで働いてたりと、書きたいことが山ほどあるのだけどそれはまたあとで書きます。毎週月曜日とかに週1回ペースで日記は更新していくつもりです。よろしこ~~。
養成所のライブが2月からお客さん入れるみたいで投票制なんでマジで来てほしいです。問答無用で僕に投票してください。お願い致します。


落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。