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2024年を生きてる日記(手術/帰省/家族/M-1/バイト/江口寿史展/トトロ/ピクミン4)

2024年1月1日
久しぶりに今年は日記をつけようと思う。茨城にいる。実家。先週かなんかに母親が病院に運ばれて手術の立会いが必要だったから帰省するのは一週間ぶり。身体の臓器を切除するような大きな手術だったのだけど、術後医者に呼ばれて「臓器を見ますか?」と聞かれて反射的に「見るかあ!」と大ボケに対するツッコミの言い方をしてしまったのを今頃反省している。先生は大真面目だったみたい。病院を出たら山岡家っていう地方に結構あるラーメン屋に寄るのを楽しみにしていたから、食欲を失いたくないと思って見なかった。タッパーみたいなのに入っているのを視野の隅で捉えた記憶がある。見ないよ。タッパーって親切な隣人が使うもので親族の臓器を入れるものではありません!!!そのあとラーメン食べて、実家に戻るも売却されたあとの実家だから馴染みがなく部屋番号が分からないという切なすぎるハプニングに見舞われながら、なんとなくの記憶を頼りに玄関を開けて、誰もいないリビングで寝て、次の日イヤホンとか医療用品とか色々買い物して母親に届けて、急いで東京に戻ってそのままバイトして、明けで寝ないで養成所行って大喜利してあんま上手くいかなくてそのまま同期と忘年会したら発熱した。M-1終わった瞬間に熱が出た。渋い大会だった。シシガシラの敗者復活のフォーマットが素晴らしくて、一本目で全然違うネタやってんの見て「マジか!」って大きな声で叫んだ。本番直後の居酒屋に集まる企画でノブさんが「犯罪を見ているようだった」って言ってておもろかった。くるまさんが登場した時、居酒屋にいる決勝メンバー全員が拍手で迎えてて、くるまさんはそれを無視して唐揚げを食べるってボケをしてノブさんが最速でそれをツッコんだシーンがあって、後日友達もそのシーンのことを言ってて、そうゆうの大事だよねって思った。コロナもインフルも陰性だったけど体調がずっと悪い。
母親は退院したから家にいる。おせちとか豚の角煮を作ってくれた。彼女は57歳で、57歳なのも先週診断書を見るまで知らなくて、医者の説明を聞きながら俺は大人になったな~って思った。あまりにも時間がない。「あと20年も生きられない」と母親がボソッと言ったから「そんなことは言わない方がいいし、思うのも間違っている」と真っ向から否定した。こうゆうのを逃してはいけない。俺は逃さない。ぐちやまに「落合は売れなきゃいけない理由が明確にあるよね」と言われて気合いが入った。その通りである。

2024年1月2日
体調が悪い。風邪を普段ひかないから病気に滅法弱い。大晦日に「水戸鑑定団」という場所に数十年振りに行った。水戸市のバスはPASMOが使えなくてなんかオリジナルのカードが必要で心からこの街嫌いって思った。高校生の時に水戸鑑定団に初めて行って、そこには漫画、フィギュア、ゲームと俺が愛する全てがそこにはあって、イオンくらいでっかくて最高で、あの時の高揚感を再現したいと思って向かったんだけど、蓋を開けたらなにもかもが過疎っていて悲しい気持ちになった。俺が成長したからなのか?と思ったけど多分違う。なんにもなかった。悔しくてチェンソーマンをその場で全巻買った。電子で読んだけど紙媒体でいるだろと思って買った。帰省先で買うものじゃないとバスで思った。
今日はずっと寝た。起きたら夜だった。なんか任天堂のゲームがしたいと思った。スト6とかAPEXとかオンラインゲームに疲れた。オフラインのゲームがしたい。任天堂が良いって思った。それからマリオオデッセイを買おうか悩みながらまた寝た。

2024年1月3日
東京に戻る。母親に水戸駅まで送ってもらう。去り際に一万円をあげた。「何十年も生きろって一万円だから」って訳の分からないことを言ってドアを閉めた。
体調が悪い。帰宅してまた寝た。

2024年1月4日
バイト先はまだ正月の雰囲気が漂っていてお客さんも全然こなくて暇だった。いつも一緒に働いている人が、俺がこれまでの人生で出会った中で一番変わっている人で「明けましておめでとうございます。」とか言わない人だから俺も言わなかった。みんなから誤解されているけど、実は優しいところも結構ある。1時間ごとに気分というか人格ごと違かったりして、すごい優しい時とコミュニケーション不可になり辛辣なことを言ってくる時がランダムにある。でもそこに悪意はなくてそれは彼が個人的に抱えている問題だから、ストレスではあるけど大したことではない。俺が事務所にいるときにそっと暖房を付けてくれたのとか、俺は見逃さないぜ!!

2024年1月5日
出禁にしたはずのおっさんが来る。常に泥酔していて万引き、暴言上等って感じのヤバイやつ。スタッフが彼のせいで精神的にやられちゃって長い休暇に入った。俺は全然平気。平気だけど大嫌い!!年始から盛り上がってきたぜ。
夜、電気屋に突然行ってピクミン4を買った。自分でも想定外のピクミン4を買った。レジでポイントカードを作りますか?と研修中の男の子に聞かれて、スマホの電池がないから大丈夫だと断ると、彼は隣のベテラン店員に声をかけ「お客様に充電器を貸してもいいですか?」と聞いた。ベテラン店員は露骨にかったるそうな顔をして「いいけど」と返事をした。俺は何が会ってもポイントカードを作ることにした。スマホで登録している最中、研修生が場を繋ぐように最近のスマホ事情の話をしてくれた。セールスとは一切無縁なただの世間話で心地の良い時間だった。「めっちゃ詳しいっすね!!」って言ったら「いや全然~~」って言っててめっちゃ詳しいんだろうなって思った。
まさか俺がピクミン4買うとはな~意外ですわ~って思ってきて、めっちゃ自転車の速度出た。勝手に。

2024年1月6日
目が覚めて、今年はもう楽しいことしかしねえって思った。生きていく上で苦しいことも見なくてはいけない、嬉しいことと等分に悲しいことも受け入れなきゃいけないってずっと思ってたんだけど(思ってたことにも最近気が付いた)、マジでそんなことをする必要がない!!!とハッキリ思えることができて、永遠に生きてやろうかなって感じだ。楽しく生きるって気合いがいるよ。
世田谷文学館に行って江口寿史展をみてきた。漫画をかきながら平行してかいたイラストのみが展示されているという企画だった。理由は漫画家だからって書いてあった気がする。館内BGMの音がめちゃくちゃデカくて、選曲も超よくて、これは江口寿史本人がチョイスしたものじゃないとあり得ないと思ったらやっぱりそうだった。館内BGMプレイリスト集と書いてあるQRコードを読み込んだらpdfでおもろかった。踊ってばかりの国の下津さんの「夕日」とか、Laura day romanceの「ウィノナライダー」とか入っていた。お客さんは年上の人ばかりで、みんな展示されている漫画を読みながら笑ってて青春を思い出しているのが分かった。稲垣潤一の「夏のクラクション」がかかった瞬間がやばくて空間を包む多幸感が半端なかった。グッズめっちゃ買っちまった~。

2024年1月7日
夜中にトトロを見た。母親の風邪が悪化してさつきが「死んじゃったらどうしよう?」って泣くシーンを見てから若干テンションが下がる。結果死なないんだけど、俺の親父は死んだしなと~とか思ったら全く関係のないネガティブな記憶が溢れ出てきて、去年まではそれについて解決するまで結論がでるまで考えてたんだけど、今年はもう辞めちゃった。知らね、おもんない、で終わり。ピクミン4をやったら元気が出る。トトロめっちゃよかったよ。宮崎駿が描く父親って言語上でのコミュニケーションはとれるんだけど、絶対的に分かり合えない、通じないって感じがして、宮崎駿は大人を本当にくだらない存在だと感じているのだなと思う。トトロに出てくる親父も君たちはどう生きるかにでてくる父親も「無害」すぎて気持ち悪い。あの無害さって断絶と似てる。届かない。

全く眠れなくて、じゃあ寝なくてよくね?って思って朝からドトールに来た。

年明けに吉住さんの「第6回単独公演 ティーカップを、2つ」を見た。最後のネタの張り詰め方お笑いライブであんまみない感じの緊張感だった。全体を通してやろうとしていることが最高で感動した。吉住さんが升野さんと決定的に違うのは、物語の先頭に立ちながら展開していくってところで、升野さんのおもろさは骨格の美しさにあるけど、吉住さんが書くコントは骨組みがいびつで、どっちもかっけえ。かっけえっておもろい。ピンのコントってカッコイイって思わせてくれて嬉しい。俺はなにができるだろう。養成所のみんなに会いて~な。養成所って思ってたより学校だった。バイト以外にちゃんと息ができる空間があることを毎日幸せに思う。

ドトールでコーヒーを飲みながら、朝方ピクミン達にカスタネットを運んでもらった時のことを思い出す。途中で「あ、やっぱり運ぶの辞めよ」って思って中断の指示を出したら、あまりにも俺に忠実なピクミン達が突然手を離すもんだからカスタネットがその場で倒れて、赤ピクミン15匹くらいが下敷きになって死んだ。「あ、やっぱり運ぶの辞めよ」みたいなあの時の急に方向転換するときの自分の感情すごい分かる。それでまともな結果がでたことない。宇宙船に資材を運んだピクミン達は運び終えたらそこで働くのを辞めてしまう。俺は遥か遠く先から暇をしているピクミン達を自分の元にまで来させるための笛を吹く。ピクミン達はその笛の音を聞いた瞬間に俺の元へと向かって来る。ではなぜさっきからすれ違う。俺が呼んだはずの無数のピクミン達が俺とすれ違っていく。なぜなら俺はピクミン達を迎えに行っているからだ。でもピクミン達は笛が鳴った場所に向かっているから、俺とすれ違っても見向きもしない。今ちょうどハンターハンターのキメラアント編を読んでいるんだけど、虫の怖さってこうゆうところだよね。反応と行動の間に文脈がない。「音が鳴った=動く」みたいな感じで全ての動機がアルゴリズムでできている。なのにどうして息をしているのだろう?生きること以外に目的がない命ってなんだ。「20年も生きてられない」とか言ってるおかんってかなり人間だ。宮崎駿が描く父親も思えば虫みたいだ。断絶。怖い。俺はピクミンと分かり合ってるつもりだったけど、勝手に人間が人間の言語で意味付けをしているに過ぎなかったと知る。
でも前に精神科医の人が「人間は自分の人生に物語を作らないと生きていけない」って言ってた。その意味が少し分かった気がする。全てに意味があってもなくてもよくて、人間が生きる上で最も重要なのは「現実」とか「実際」とかではなく、「自分はなにを選んだか」ってことなのかもしれない。どう意味付けしてきたかってことが人生~~~。なんて迷惑な生き物なんだろう!

落合諒です。お笑いと文章を書きます。何卒よろしくお願いします。