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実況アナウンスの宿命?


オリンピックが一部競技で

始まったが緊張してんのかな。

やっぱ自国開催で。


いや、選手もだろうけど

実況とかのアナウンスや

選手へのインタビューのほうも。


それと、実況ってもっと

進歩していいのにと思うのは

やっぱ違うのかな?


厳密には実況とリポーターは

まるで違う能力が必要だと思う。


リポーターの延長上に実況がある

と考えてしまうと、

つまらない出来になる。


リポーターは聴くことを

事前に考えてその状況に関係なく

聴いていく感じに見える。


実況も指導されたとおりに

正しいやり方を学び

訓練をした感じは見える。


でもなんだろうな、やり方を

忠実に守ってやってるんだろうな

という可もなく不可もなくが

まる見えで。面白さもない。


面白さなど必要がないという需要で

可能性をせき止めているのは

業界側の理屈でしかないんですよ。


もうプロの実況で個性を出す

そんな時代でもいいと思うけど。


リポーターは会社員でいいけど

実況は独立したプロが担うのも

面白いはずですよ。


でも個性は強めに残しておかないと

あとから易々とつくれるものでもない。


実況が目立っちゃダメ

みたいなその定説を近年特に

覆そうとしないのもどうなのかなと。


無観客試合とかだと必要以上に

情報で間を埋めようとする心理が

はたらいてしまう。


いや逆でしょ?

無観客だからこそ味わえる

選手の生の声や走る音。


ぶつかる音、声、指示、打球音。

リアルに聞こえてくるから面白い。


コロナ禍でのプロスポーツで

私たちも気づいた大きな利点。


まるで学習していないかのように

盛り上げようとしてしまう。


取材した伝えたいことを言いたい。

いろんな情報をすべて届けたい。

それが逆に邪魔になってしまう。


アナウンスはこうだ!という枠に

自分からハマりにいって

抜け出せなくなってる。


逆にしゃべる声がジャマになり、

生の緊張感や雰囲気を殺してしまう。


日本の社会にありがちな発想が

大きく横たわっているのだろう。


決められたルールのなかで

マニュアルを徹底して学ぶ。


全部マスターして

こなせるようになったら

個性を少しずつ出していい

みたいな。


周囲の人も全部こなせるなら

一人前だよ、認めるよみたいな。

意味わかりますかね?(笑)


日本の組織ってそういう

ムダなシバリが強くあって。


それじゃどの世界でも

通用したとしても

アタマひとつ抜け出せない。


時代が変わりたとえば

アナログからデジタルに

変わったりすると

「通用」だけだと追い付けない。


それはコンポンから変わるから。

通用しなくなるんですよ。


「通用する」ってのは内向きな姿勢。

共通理解があってその範囲内で

意味が通じることだけだと思う。


たぶんプロとして個を評価されるのは

外向きに意識されたそれ以外の評価や能力。


通用を積み上げてプロとなっても

アタマひとつ抜け出せるものを

残してこなかったからアタマ打ちになる。


彼らアナの技術は指導する技術も

向上したこともあり上がるんでしょう。


ただ残念ながらパターン化された

見分けのつかない声やしゃべり。


特に男性アナほど誰がしゃべっても

同じでつまらなく感じる。


アナウンスを離れたところで個性を

争い発揮して違いをつくろうとする。


違うだろって思いません?(笑)

声と言葉の商売ですよね?


土台を築いてから個性を出す

となると土台で同じことを

最初に基本だと仕込まれてる。


だから最初の段階で個性が潰される。

むしろ個性が強めに残ってる状態でないと

将来的に個性が死んでしまうんです。


おそらく個性のポテンシャルを

うまく活用できずに殺してしまう。


それを最初で殺してしまってるのが

日本のやり方に共通する従属性教育。


「ベース」+「個性」

このゴールが変わらないとしたら?

順番は逆だっていいはずで。


1にベース、1ができたら

2に個性、それで完成形。

じゃなくってもいい。


1に個性、1を面白がって育て

2のベースを少しずつ混ぜる。

1の個性を殺さないようにね。


こっちの可能性のほうが

面白いでしょ?


いっつも日本以外を例に出して

申し訳ないですが、外国のやり方って

逆のイメージのほうじゃないですか?


たしかに思い通りの従属性高めの

マシーンにはなれないかもしれない。

でもそれは公務員がいれば十分機能する。


時代に合わなくなっている気がして。

量産型の時代から個性重視に変える。


最初からマシーンをつくるのではなく

人の個性を磨きつつベースを仕込む。


すると面白い人材が、

面白く育つ気がする。

周囲の理解を得るのは

いまでも難しそうですが(笑)


相手が認めるものだけを提供しても

お互いに結果的に成長してませんからね。


実況もね、アナウンステクニックとか

情報をこまめに正確に入れる

ことじゃない気がするんですよ。


もう昔じゃないので、選手の情報とか

ネットでリアルタイムで検索したら

出てくることをなぞっても面白くないし。


視聴者の環境が整っているのに

実況する側が旧態依然という。

そんなイメージもあるんですよね。


もうちょっと先を行ってくれないと

視聴者を惹きつけられませんよと。


選手名を言うこと

誰が何をしているかを説明すること

出身校、チーム名、年齢など

情報として入れてくることを

当たり前のようにやってるけど

視聴者はあまり欲していない。


そういう情報を聴きながら

試合を観るのは

携帯もパソコンもない時代。


「こうしなければならない」

ってのを破れないのは

時代が変わっても常識が強めに残り

それが原因で動かせずにいるから。


牛乳にコーヒーを注ぐのではなく

コーヒーに牛乳を注ぐんです。

ああ、なんとなくいいたとえ出た(笑)


豆の産地や挽き方などの個性を

殺さないで牛乳という基本を

ゆっくり落とし込む感じ。

極端に言えばこれが海外のやり方。


日本はアナウンス学校に行ったりして

最初っから牛乳入れてしまいがち。

最初っから豆の個性を殺してしまう。


専門性ってもちろん大事なんですけど

専門性に従属姿勢が強すぎて個性死ぬ。

日本はそんな感じがしませんか?


カフェオレつくるのは同じでも

つくり方で味がまったく違うでしょ。


海外のほうが味わい深いカフェオレ。

いろんなおいしさが味わえる。


豆の個性やブレンド、無限に広がる。

そこを日本という国は試していない。


だからこそ、ワタクシは日本って

まだ可能性あるよと思ってる。


いろんなジャンルでこれまでの常識を

ちょっと変えたり、捨てたりすれば

まだ局面は変えられると感じるんですよ。


もんのすごくポジティブに

イメージが拓けてくるはずですから。


こういう気持ちを前向きにさせることが

実は、一番のカギなんです。


こういう文章の脈絡の無さや

ぶっ飛ぶところもまたワタクシの

面白い良さだと自覚してるので(笑)


整えるより面白いものを

皆さんもみつけましょうよ(偉そう)



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