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打算で婚活して結婚して離婚して、反省点。

私は27で結婚して、30になる直前に離婚した。ちなみに今は34だ。27の4月に初めて会い、8月にはデートがてら結婚式場を見学し、11月には結婚。同居は翌年1月から。結婚式はその後5月にした。

計画通りに進んだと思う。でも自分の希望を自分がわかっていなかったのだと思う。自分が思う社会の"普通"に合わせるべきだと思っていたし、合わせることができると思っていた。

昔から結婚に憧れていた。今もまだどこか憧れているところがある。でもそれは概念に近い偶像への憧れであって、生活に即したイメージではなかった。結婚の実像を想像していなかったから、破綻したのだ。 

結婚へのイメージは幼少期から繰り返されたディズニー映画や、テレビドラマの幸せとされる風景からきているのだと思う。刷り込まれすぎて、自覚している今でさえ振り払えないこれは、もはや呪いだと思う。だって、私は生活を共にする他者がいることを想像するだけで不快なのだ。そう思っていても、憧れる気持ちは今でも心の中から消えない。そして、それができない自分に自分が1番失望している。

結婚するにあたり、私はとても合理的に動いたと思う。まず、26歳の時点で私の悩みは転職活動と婚活どちらを先にするかということだった。当時の私は新卒で入った会社で4年経ち、仕事でも違う景色をみたくなっていた。比較した結果、婚活を優先することにした。婚活をするのに市場価値がより高いのはその時だと判断したのだ。転職の年齢優位性より、婚活の年齢優位性の方が大きいと思った。私は結婚相談所で婚活をしたのだが、きっと結婚相談所では30歳前後以降に婚活のため登録する人が多いだろうと考え、若いうちの方が有利だろうと考えたのだ。若い方が価値が高いとは決して思わない。成熟していくのが今後も楽しみだし、若いというのは幼さ未熟さ生きずらさと同義だとも思っている。ただ婚活という市場においては、若いという肩書きは大きな利点なのも事実だと思った。

そして結婚相談所で出会い、結婚して、(転職して、)離婚した。
もちろん結婚生活を末永くしたいと願っていたし、そのための努力もしたつもりだ。ただ、今思い返すと、私は結婚歴が欲しかっただけなのではないか?というのもおそらく一種の真実なのである。当時勤めていた会社が昭和的で保守的な会社だったことも影響しているのかもしれない。時代が変わりつつあるとはいえ、やはり女性が1度も結婚せず過ごすのを忌避する雰囲気があった。忌憚なくいえば、結婚したということを実績として欲しかったし、もし上手く行かなくて離婚したとしても、バツイチというのはずっと未婚でいるよりも日本社会で生きやすいだろうという打算があった。
相手を見ているつもりで、何も見ていなかったのかもしれない。自分のこともみているつもりで見ていなかったのかもしれない。

今日はあまりにまとまらないのでひとまずここで更新しちゃいます。
また後日まとめます。

書く習慣1ヶ月チャレンジ中。
14日目の今日のテーマは「これまでに夢中になったモノやコト」

つづき

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