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息苦しい壁紙には訳があって

寝つきの悪い人へ。

①壁紙の二面性

スマホの壁紙というものは不思議なものだ。
朝は「のれん」のように
ほとんど無意識にくぐるような存在だが
夜になるとまるで「」のように
自分の前に立ち塞がることがある。

ひとたび夜が更けてしまえば
美しい風景、フランクなイラスト、可愛い動物。
どの壁紙を選んでも
何かを塞がれている」感覚になる。

そうした目の前の閉塞感から逃げるようにして
僕らはTwitterやYouTubeを開く。
それらのアプリから広がる「景色」を見ると
自分は塞がれていない」と感じられる。

そして
「景色」に自己を同化させ
集合体の一部となることで
僕らはようやく安心して
意識の電源を落とす。

そうして
昨晩には「」そのものだった壁紙が、
途切れた意識が朝日と共に顔を出す頃には
のれん」のように感じられるサイクルがある。

②壁紙と柳の木

こうした現象は江戸時代にも発生した。
「昼に存在してた柳の木が
夜になると幽霊に見える」。
この現象と壁紙の件は
根底は同じと言えるだろう。

茨城県筑西市の「市野辺大柳」

壁紙も柳の木もただそこにあるだけで
何も変わっていない。

変わったのは
「周囲の明るさ」と「自分の解釈」のみ。

③暗闇と孤立

私が思うに
「壁紙」の話も「柳の木」の話も
本質は「暗闇への恐怖」であるように思う。

そのさらに奥の本質は暗闇によって生まれる
「孤立への恐怖」だと推察している。

ここまでの話をまとめるとこういうことだ。
「夜の壁紙」や「夜の柳の木」の
本質は「暗闇への恐怖」。
そして「暗闇への恐怖」の
本質は「孤立への恐怖」というわけだ。

④孤立に怯まない人について

ある程度の社会性のある人間は
孤立の恐怖に耐えられない。
つまり暗闇の恐怖にも耐えられない。
つまり夜更けのスマホ画面にも
暗闇の中の柳の木にも耐えられない。

「ハブる」という現象すら
「ハブる」という形で
「交流」しているわけだし、

僕らは「死」にでもしなければ
ある意味「孤独」ではないのかもしれない。
故に「真の孤立」が
「死」の中にあるとわかってるから
僕らは「死」を連想させる「暗闇」を
恐れるのかもしれない。

⑤まとめ

暗闇を怖がるのも
壁紙を怖がるのも柳の木を怖がるのも
まともな証拠!

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