見出し画像

9センチの子宮筋腫と対話してみた

さわってわかるほど下腹部にしこりを感じたのは、去年の秋ごろだった。
忙しいからと婦人科受診は後回しにしていたが、年末に病院で9センチの子宮筋腫があることがわかった。

診察で中年の男性医師はパソコンのキーボードを叩きながら、こちらを見向きもせず「10センチ超えたら手術ですけど、なんとか薬で抑えられる範囲です。それとも切りますか?」と無機質な声で聞いてきた。

薬で、と答えると「ではジェノゲストという、これ以上筋腫が大きくならないための薬を出します。副作用として出血やうつ症状が起こることがあります」と、簡易な説明をして診察は終了した。

人間は追い詰められると原因を探したくなる生き物で、それからの私も「なんでこんなことになったんだ」とばかり考えるようになった。

とても信頼している人からは「筋腫が仁美さんを守ってくれたんじゃないかな。身体の声をたくさん聞いてあげてね」と言ってもらった。

だが自分の身体と対話を試みるも「痛い辛いって文句ばかりいいやがって、脳や心臓と違って使えねえ臓器のくせに」と私の方がイライラしてしまって、とても対話できる状況ではなかった。
9センチの子宮筋腫は、権利ばかり主張する無能な部下にしか見えなかった。

当事者同士の間でらちがあかないときは、他者を積極的に巻き込むべし。
何百万もコーチングやカウンセリングに金をばら撒いて得た学びの一つだ。時折単発コーチングをお願いしている、コーチの辻本環さんにセッションをお願いした。早々に環さんに泣きつく。

「書くお仕事をもらったり文章教室を開いたり、自分の人生は少しずついい方向に進んでると思ってたのに、身体からこの仕打ちですよ。まるで急に奥さんに離婚を突き付けられた夫のような気持ちです。いったい誰が今まで養ってやってたと思ってるんだ!って・・ううう」

涙が止まらない時も比喩は止まらないのがライターあるある。あと比喩のセンス、ちょっと昭和ですよ??
ほとんど愚痴のような戯言にも、環さんはうん、うん、とただ聞いてくれた。

「やっぱり氷がいけなかったのかな・・」
「氷?」

実は私はここ2~3年氷食症という、氷をガリガリ食べないと気持ちが落ち着かない症状があった。
テレワークの日は10個入りの製氷皿を5回はバキバキしていたので、一日50個食べていた計算になる。さすがに子宮筋腫の診断が出てからは1個も食べていない。

聞いていた環さんに「氷は仁美ちゃんの、何を受け止めてくれてたの?」とまっすぐな声で聞かれ、荒波だった心の水面が少し静かになるのを感じた。
「イライラ」とぶっきらぼうに言ったあと「さみしさ」という言葉が唇をついて出た。

会社では契約社員として働いていて、一生懸命働いても「しょせんバイトさん」と言われたり、自分は会社にいてもいなくても同じような気がする。
加えて今いる部署はパワハラ上司の影響で何人も退職に追い込まれていて、皆自分を守ることでせいいっぱいの職場だった。

「そうか、本当はもっと会社の人とつながっていたかったのかな?」と環さんに聞かれ、そうだけど、そうじゃない気がした。

思えば子どもの頃、親に微笑んだり愛情を求めると同居していた祖母から「お兄ちゃんより出しゃばるな」と怒られるので、あまり表情豊かにしたり自分から甘えないようにしていた。
長子至上主義の祖母は、両親が兄と同じように私をかわいがるのがどうも面白くなかったらしい。

成長して、ある男性に親愛の情で心を開いていたら「俺に気があるんだろう」とストーカーまがいのことをされて面倒くさいことになった。

次第に「大人しくて礼儀正しい仁美さん」というキャラで壁をつくって、よっぽど安心安全な関係性でない限り、男女問わず心を開いて人に接しないようになっていた。

いつだったか母が親戚か誰かに「うちの娘いつも思い詰めた顔をして、家でも外でもちっとも笑わないのよ。女の子なんだからもう少し愛想がよければいいのに」と愚痴をこぼしていたのを聞いたことがある。

「そんなに長い間、ずっとおうちの中でも笑ってなかったの?」
「・・そう、ですね。そういえば、はい」
「ずっと気持ちを抑えていたの?」

ふいにその瞬間、無能な部下だと思っていた私の身体が、最前線で被弾しながら、ずっと私を守っていた兵士のように見えた。

セラピスト時代にどこかで聞いた「私たちが思うより、身体は高い知性と神秘に満ちている」という言葉を思い出す。
そうだ、身体は無能なんかじゃない。それはマッサージのときお客さんたちの身体を見てさわって、十分すぎるほど知っていたのに。

身体は私が思うよりよっぽど高い次元のところから、必死に私の命をつなごうと、守ろうとしていた。自分を抑え込む不器用な私を、身体は決して見放さず、限界まで私の心を守ろうとしていた。

大きい子宮筋腫が出来てしまった本当の原因はわからない。でも少なくとも私の身体は力の限り最善の働きをしてくれていたことに、やっと気づけたのだった。

鼻をかんだティッシュの山がテーブルの上に出来上がったころ「仁美ちゃんの心が開いたら、世界はどうなると思う?」と環さんから新しい問いが来た。

もう一回チーンと鼻をかんでから「世の中がもっと、スムーズに流れるような気がします。滞ってなくて、エネルギーが循環している感じ」と答えた。世界の話をしていたつもりが、身体の話のようにもなってしまった。

そういえば以前舞台を見にいった時、途中装置の故障で20分くらい舞台がストップしたことがあった。
再開して幕が開いたとき、ある女優さんが一瞬で舞台の空気を戻したのがお見事だったっけ。せっかく生きているのなら、あんな風に完全に流れが止まった世界にも、再び命を吹き込める人になりたい。

目の前の人に心をひらく、つながる。本当はずっとしてみたいと願って渇望していたことだ。多少ぎこちないかもしれないけど、自分の想いと行動はなるべく一致させておくことを、きっと身体も望んでいる。

道のりと時間を花束に変えて、笑えなくなったかつての自分に笑いかけるように、今度こそこれからは出会う全ての人に、心を開いていきたい。

窓辺のサンキャッチャーが放つ、朝のこもれびのような光が部屋に降り注いでいる。
「ゆっくりでいいから、ね」とやさしい声で言われている気がした。