政治、宗教、性。世間でタブーとされるテーマを誰かに伝えるとき
ベッドにゴロゴロしながらfacebookを見ていたら、こんな投稿が私の目に入りました。
(多少ぼかしてますが)この投稿を見た途端、私の胸いっぱいにざわざわする感覚が広がりました。
言葉にしてはいけないことなど本来この世には一つもありません。
封印されてきた性に関する想いが自由になって、生きやすくなる人ができるのは素晴らしいことです。そして投稿したBさんは以前何かのワークショップでご一緒した人で、怪しい人でも何でもありません。
それでも私の中でBさんとの心の距離感が一気に出来たのを感じていました。
数年前「戦後GHQがどれだけ日本の政治に悪影響を与えたか」について長文で語っている人がいました。
わたしはたまたま日本の歴史について学ぶ機会があったので、彼の日本への想いやこのままではいけないという気持ちがわかります。しかしその投稿へのいいねやコメントは非常に少なく、その反応の薄さから彼の伝えたいことが伝わっていないのを感じていました。
政治、宗教、性。
世間一般的にないものとされている、公の場で扱うべきではないとされているテーマを扱うとき、どうしたら自分の想いが伝わるのか。
非常にむずかしいテーマなので明快な答えは出せませんが、私が思うに「順を追って伝える」ということは大事なのではないかと思います。
例えばあなたが朝、ゴミを捨てに行くとき顔見知り程度のご近所さんに会ったら、なんと声をかけるでしょうか。
おそらく「今日もいい天気ですね」とか「そろそろ花粉が飛んでますね」と、当たり障りのない話題をされると思います。いきなりゴミ捨て場で「あなたって素晴らしい人よね」と切り込むことはないはずです。
一方、コーチングなどでは自分の内面のことを主に話します。
本当に大切にしている想い・信念について十分に話しが進むと、コーチは「あなたのそういうところ、本当に素晴らしいよ」と内面についてクライアントに伝える場面があったりするのですが、ゴミ捨て場の会話と違ってその言葉が出るまでのプロセスがお互いにあるので、クライアントは自然とコーチの言葉を受け取ることが出来ます。
一説によると人は何かを伝えられるとき、下記の順番で伝えてもらうとスムーズだそうです。
環境・行動・能力というのは目に見えること。
「今日はいい天気だね(環境)」「こないだは当番代わってくれてありがとう(行動)」「そろばんできるんだね(能力)」と、お互いの間で確認できるものです。
そうしたお互いの間にあるものを十分に確認した後「あなたのそういう考えを素敵だと思うよ(信念・価値観)」といった目に見えない話に行っても、ここまでのプロセスがあるので相手は自分の言葉をスッと受け取ることができるそうです。
人は、自分の共感や納得のプロセスを一緒に進もうとしてくれる相手を信頼します。
冒頭の性についての投稿を見て私がザワザワしたのは、おそらく性のようなテーマは「信念・価値観・自己認識」といった目に見えないレベルに密接に関わっていること。
そこにプロセスなく語り始めた人への身構え、のようなものからきていたのではないかと思いました。(もちろん私の性へのトラウマのようなものも影響していると思います)
繰り返しになりますが、言葉にしてはいけないものなどこの世には一つもありません。
そして性や政治・宗教についてはあまり人々の話題に上らないようにと意図した人たちがいたであろうこと、そのことへの憂いもあります。
ただ伝え方に想いを馳せることで誤解や心の距離がひらくことを防げるのではないかとも思います。
単に伝え方がその時・その状況に合わなかっただけなのに、大事な人との関係が遠くなってしまうのは、なんというかもったいない。
伝え方が難しいテーマこそ、わかり合えた時の感動は大きい。
難しい状況の中でもベストを模索し続ける力こそ、表現力と呼ぶのだと思っています。
難しいテーマからも、難しい質問からも逃げない文章の先生でいたい。