非の打ちどころのない正しい言葉は、記憶に残らない
コロナ禍でしんどい時、元日本テレビの藤井アナウンサーの言葉が話題になりました。
またスキージャンプの高梨選手が服装の規定で北京五輪が失格になった際も、励ましの言葉が話題になりました。
藤井アナウンサーの言葉が多くの人の心を打ったのは「自分の言葉で話していたから」ではないかと思います。
例えば小学校から大学にかけて出会った先生のほとんどが授業中、教科書をただ淡々と読んでいました。その一方で、数人ではありますが強烈に印象に残っている先生がいます。
・イタリア・ドイツ統合の過程を熱っぽく語りまくっていた世界史の先生。
・おうちの植物に歌いかけている歌を披露してくれる音楽の先生。
・「一生に一度でいい、小笠原諸島に行ってみたい」と語る地学の小笠原先生(本名)。
正しいことを静かに語ることが悪いわけではありません。藤井アナウンサーの発言について「アナウンサーとしてどうなのか」と否定派の方ももちろんいたことと思います。
ただどんなに内容が間違いなくても正論は心に響かないように、既定路線というのは印象に残らないものです。
自分の中にほとばしる想い、ルーツ、生まれ持った業。どうしても止められない純粋意欲、葛藤。そうした心の中で起こる戦いのプロセスや、話す方も聴く方も真剣勝負、みたいな命のやりとりは聴衆の記憶に深く刻まれます。
これは文章も同じで「これからは気をつけようと思う」なんて心にもないまとめは読み手に何の響きもありません。朝のニュースキャスターが思いっきり棒読みで「今日は爽やかな陽気で気持ちいいですね」というようなものです。
でも「10年前に口が滑ったことを心から後悔している。だからこれからも気をつけようと思っている」など、心からそう思っている自分の言葉はきちんとこちら側にも届きます。同じ言葉でも「何日も雨が続いて今日は晴れ!いや〜待ちに待った爽やかで気持ちいい陽気ですね!」と実感のこもったキャスターの言葉は共感できるように。
私たちはどうしても誰かに何かを伝える時「正しく、非のないように」を第一に考えがちですが、伝えてもらう側からすると上手くて響かない言葉より荒削りで正直下手でもこちらに響いてくる言葉を求めるように思います。
正しい言葉より、切実な想いは響く。
会社など組織では正しい言葉が第一とされますが、自分の名前で生きていくときは切実な、渇望する想いを表現していく人間らしさの方が、人の心に届くようです。
お知らせ🍀
通っていた傾聴のスクールにて、卒業生インタビューを受けました!
「なぜ話すのも人前に出るのも苦手なのに文章教室をやってるの?」についてお話ししています。ぜひ作業のお供にお聞きください!
5月28日(火)入門編のお席、まだあります。
平日クラスもあと1席大丈夫です。
美味しすぎるコロッケレシピのエッセイはこちら。
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
明日も適当にしっかり、参りましょう。