戦う_ソフトウェア_エンジニア

【小説】戦う!ソフトウェア・エンジニア

『盤下の敵』(4)

●最前線

寝台列車に揺られながら、現地に到着したのは朝日が昇った直後くらいの時間だった。
夏の盛りのこの季節、外も内もめちゃくちゃ暑い。
寝台車の振動と騒音、それとこの暑さで良く寝た気が全然しない。

F主任が課長やリーダと交渉し、新人教育と現地調査を掛け持つ形で我々の出張が許可された。
ま、F主任が言い出したことを却下できる人は我が社にはそれほど多くない。

客先の工場はここから更にローカル電車を乗り継いで、さらに小一時間の郊外にあった。

最寄りの駅につくと、支店の作業員が我々を迎えに社用車で来てくれていた。
彼の名はMさん。まだ若い。20代だろう。
端正な顔つきと高身長にスタイル抜群。かなりモテそう。

このエリア一帯を彼一人で現場のデータ収集から、設備の調整や客先折衝までをこなしていた。

F主任がMさんに話しかける。

F:「久しぶりだね。元気だったかい?」
M:「はい。F主任もお元気そうでなにより。」

やたら親しそうだった。

私:「知り合いなんですか?」
F:「ああ、昔の同僚だ。っていうか、俺の部下だったよな」
M:「ええ、もう5年程前になりますかね」

もともとハードウェア開発者だったMさんが支店に移ってきたのは、実家のご両親の介護が必要になってきたからだと言う。
Mさんのご両親はまだ若かったが、父親が病気で倒れ、母親が看病疲れで鬱を発症。
とても夫婦だけでの看病は無理だということで、会社側の配慮があった。
当時としては、会社側が相当の配慮をした方だった。

Mさんの運転で客先の工場に向かう間、現場の状況を簡単に説明してもらった。

異常はまだ1〜2週に一回くらいの頻度で起きる。
頻度は高くないが、それよりも解決の目処が立っていないことに客先はイライラしている。
特に現場を仕切る「J現場長」は相当頭に来ているという。

工場は新棟で、環境はそれほど悪くない。
ただし、モータや発動機がかなり密集しているので、ノイズ源はたくさんある。
そのために、わざわざノイズに強い通信ケーブルが導入され、生産管理システム自体も盤(パネル)の内部に収められ、ノイズの影響を受けにくくなっている。

F:「ノイズの影響は本当にないのか?」
M:「はい。無いと思います。システムは盤(パネル)の奥に設置されてますからね。盤内にノイズが入り込むことはまずないと思いますよ。他のシーケンサのファームウェアも更新しましたし、シーケンサの通信ケーブルも念の為に耐ノイズ性能の高いものに変えたそうです」

盤は我々の間では「パネル」とも呼ばれている。
全金属製で扉のあるタンスみたいな形をしている。

主任の顔がちょっと曇った。

F:「ん?シーケンサの通信ケーブル変更なんて聞いてないぞ。」
M:「え、あ、はい。弊社設備とは関係ないので、お伝えしていませんでした。問題があるでしょうか?」
F:「本社の再現環境が現場とまったく同じ構成じゃないと、再現環境の意味がないだろ」
M:「あ、はい、そうですね。申し訳ありません。」

私は気になって、現場の設備図面を開いた。
シーケンサと直接にやり取りする接続は無い。
現段階で関係ないだろう。

それでも、F主任はうかない顔をしている。
もっとも、主任は機嫌が良くても悪くても、人相がその判断を難しくしている。

T:「なにか、気になる点でも?」

Tも私と同じ疑問を感じたようだ。

F:「この暑い時期になって現象が発生しているからな。ノイズの影響かと思ったんだよ。客先工場は恒温工場じゃない。夏場はとても暑くなる。そこで夏になるとスポットクーラや扇風機がフル稼働するのさ。一気にノイズ源が多くなる。」

どうやら、主任が担当した過去の現場では、ノイズの問題でごく稀に機器が誤動作する問題があったそうだ。
今回の異常の出方もノイズの影響を受けたときに似ているらしい。

そりゃ、我々ソフト屋がいくら考えても、ノイズの影響までは頭が回らない。
”全体を見ないとシステムを見たと言えない”
F主任の言葉の重みが少しわかった気がした。

我々の上司もほとんどはハードウェア出身で、ノイズについては昔から痛い目にあってきたので、対策は万全だと考えていた。

自社の再現環境でも、盤の横に馬鹿でかい扇風機をおいて、ガンガンにノイズを発生させている。
それでも、まったくトラブルは再現できていない。
盤を開けて試験したときに、一度だけシステム全体が緊急停止した。でも、今回のようなトラブルとは異なった現象だった。

Mさんの運転する社用車に揺られること40分程で、現地についた。
かなり大きな敷地である。
工場の敷地の端から端まで行くには自転車か自動車が必要だ。とても歩いて移動する気にならない。

受付で入門許可をもらい、そのまま社用車で問題の工場建屋の入り口に横付けした。

出迎えてくれたのは、相手企業の担当者とその上司、例のJ現場長である。

J現場長はいかにも「現場統括」長という出立ち。
F主任にも負けない体格と風体だった。

龍神 vs 雷神

っていったところだろうか。
J現場長とF主任は初対面だったので、お互いに名刺交換をした。
いたって紳士的である。今のうちはだが。

J:「ご連絡は頂いています。遠いところをお疲れ様ですな。で、今回はどんな施策を持ってきてもらえましたかな?」
F:「新しいファームウェアへの交換をお願いしたいと思っております。あ、それから紹介いたします。弊社のソフトウェア担当2名です。」

ファームウェアの交換は口実だった。実際にはほとんど変わっていない。

主任に紹介され、我々もドキドキしながら名刺交換する。
名刺をお客様にお渡しするなんて機会はめったに無い。
心なしか、J氏の目つきが厳しいように感じた。
(我々ソフトウェア担当者を大馬鹿野郎だと思っているのだろう)

J現場長はその場で「仕事が立て込んでますので」といって離れ、別の担当者に案内されて工場内に入った。

かなり広い。いや、相当に広い。
目的のラインに着くまでに、長い距離を歩いた。
人はほとんど見当たらない。
かなり自動化が進んでいる。

天井に送風機があったが、この広さの工場にしては数が足りないのか、結構暑い。外は炎天下だということを考慮しても、かなり暑い。

なれない作業靴と暑苦しいヘルメットに辟易し、汗だくになりながらも、弊社の装置を設置したラインに到着した。

本社の再現環境で見慣れた装置がラインに設置されている。
現場の装置は本社の物とかなり違うように見えた。
多数の配線や作業台があり、実際に「仕事」をしている装置群だった。

客先担当者に色々と説明をもらいつつ、口実のファームウェアを変更し、あちこちを見学して回る。
説明はMさんがしてくれた。

Mさんはとても親切に教えてくれた。歳が近いせいかもしれない。
もともとハードウェア出身のMさんなので、設備の細かい内容について分からない単語も話に出てくるが、それを質問すると丁寧に答えてくれた。

その時、F主任がMさんを呼んだ。

F:「おい。このケーブル、3号ケーブルと違うようだが。」
M:「え?私がもらっている図面では、最初からこのケーブルですが」
F:「それは改訂何版だ?」
M:「ええっと、、、5版です。修正は今年のはじめ頃ですね」

F主任が考え込む。

F:「変だな。こっちにある図面は4版だぞ。このケーブルは3号ケーブルじゃあない。どうして変わってる?」
M:「わかりません。私がもらった図面では最初からこうでした。で、あれ?図面に”暫定”って書かれてますね。何でだろう?」

弊社の再現環境では3号ケーブルを使っている。
このケーブルは各装置をつなぐ通信線だ。
ノイズ対策が施された特殊なケーブル。

主任がすぐに客先担当者に連絡を取る。
担当者を呼んだはずが、J現場長がやってきた。
ちょっと機嫌が悪い感じがする。

J:「何か問題でも?」

かなりぶっきらぼうだ。
F主任がケーブルについて質問すると、さらにJ現場長は機嫌が悪くなり、話を続けた。

J:「ええ、そうです。これは今年の初旬に交換しましてね。設備の移設をする時に、そちらから購入したケーブルを弊社の担当者が誤って破損させてしまいました。新しいものを取り寄せようと思ったのですがね。そちらには直ぐには在庫品が無い言われましてね。かなり特殊なゲーブルらしいですな。」

ここからは妙に丁寧になって

J:「こちらのミスとは言え運転が止まったままだと問題なので、別な業者に言って新しいケーブルを取り寄せました。で、当面の代替手段として本ケーブルを使用するとそちらの設計者に連絡して、図面を更新して送ってもらったのですよ」
F:「当面、ですか? もう数ヶ月は経過しておりますが」
J:「問題なく動作しておりましたから、特に急ぐ必要はないでしょう。かなり高額な出費にもなりますから。耐用年数を見て適切な時期に交換させます」
F:「なるほど、よくわかりました。当面の施策ということですね。現在弊社の通信はシリアル伝文で通信しております。ノイズで伝文の一部が崩れることで、過去に同様な問題が発生したことがありますので心配になりました」

図面管理のずさんさをここで暴露しても仕方ないので、その点は横においておいた。
当面の施策ということで、設計部の方でも正式な図面管理に入っていなかったのだろう。

F:「今ご使用のケーブルの詳細をお聞きしてもよろしいでしょうか」

J現場長は怒るどころか、逆に笑みを浮かべつつ勝ち誇るように言った。

J:「ええ、良いですとも。でもですね、このケーブルでは”絶対”にノイズは問題にならないですよ。」
F:「ほお。何故でしょうか?」

現場長は一息おいて、続けた。

J:「それはですな。このケーブルは”光ケーブル”なんですよ。いいですか。
ひ・か・り、です。ノイズなんて乗るわけないでしょう?」

オーマイガー!神よ仏よ!我々窮地です!

(つづく)

ソフトウェア・エンジニアを40年以上やってます。 「Botを作りたいけど敷居が高い」と思われている方にも「わかる」「できる」を感じてもらえるように頑張ります。 よろしくお願い致します。