拍手の意味【2024年5月18日】
みなさん、こんばんは!
note毎日更新4日目です!!
やっぱ、僕は物書きが好きだな〜と、書いているときにいろんなことが整理されるな〜と、改めて実感しています。
今日のテーマは「拍手の意味」
僕は、高校を卒業して、河合塾という予備校に通っていたんですが、河合塾では、授業の終わりに拍手で締めるという文化があったんです。
まあ、最初は普通に、授業をしてくれた先生に対する感謝とか、敬意を払うとかそんな感じかなと思ってたし、そもそも拍手ってそのためにするものだと思ってました。
ある、現代文の先生に出会うまでは。。
とある現代文の先生は、どうして授業終わりに「拍手」をするのか、その意味を教えてくれました。
それは、「個を出すこと」だ!と。
もちろん、拍手には感謝とか相手に対する敬意という意味も含んでると思います。
でも、それ以上に「個を出す」というところに「拍手の意味」がある、とおっしゃるんです。
どういうことかと言うと、数十人、多いときには100人を超える教室の中で、1番最初に、その場に自分の手の叩く音を響かせること。
手の叩く音を1番最初に響かせることで、自分の存在を示す、いわば「個を出す」こと。
1番最初に音を響かせるのは、勇気がいる。
誰かのあとを伺って、誰かのあとを追うように拍手したくなる。
でも、それは「個の埋没だ」
1番最初に音を響かせることができたら、それだけで拍手の意味がある。感謝とか敬意とかはどうでもいい。
だから、1番最初にお前の音を響かせろ。
と言うんですよ。
あくまでも、これはその現代文の先生の授業に関してだけの話かもしれません。
いかにも、現代文の先生らしい、考え方だな〜と思いましたが、「なるほど、確かに!と」と理解した自分がいました。
ネット社会が広がり、SNSが普及し、匿名でなんでもできるようになった、この社会。
自分の個を、自分の存在を示す、数少ない行為が「拍手」なんだと。
確かに、コンサートとかあるイベントとかで、いっちばん最初に、拍手して音を響かせる人とかいるじゃないですか。そういう人はすごく勇気があって、大衆に埋もれてない。かっこいいな〜と思うんですよね。
ああ、自分の存在を示してる。俺はここにいるぞって。
自分の存在を示さなくても、大衆に埋もれながらも、生きていける。むしろ、そっちの方が楽なのかもしれない。
ただ、せっかくなら、この自分の存在を、自分の個性を示しながら、生きていきたいと思うわけです。
自分の存在を、自覚しながら生きていきたいと思うわけです。
せめて、拍手の瞬間だけでも。
だから、もしこれから拍手するタイミングがあったら、勇気を持って、1番最初に音を響かせられるように、意識したいなと思います!
これを読んでくれた皆さんにとって、少しでも、こんなことを意識してくれたり、あぁそんな考え方もあるだって、おもしろがってくれたら嬉しいです!!
今日も読んでいただきありがとうございました!
さて、明日のテーマは「人生は春夏秋冬」です!
どうぞお楽しみに!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?