三日桜(Oh_Mitsukabi)
箕形原物語のまとめです。
明暦の大火にまつわるお話をまとめました。
米沢藩主 上杉鷹山公にまつわるお話です。
江戸時代中期の天明時代、時代の寵児となったクリエイターたちを、その時代背景とともにご紹介します。
「横笛」:横笛は平安末期のお話(エピソード0) 「火宅の女(ひと」:は現在執筆中の鎌倉~南北朝時代のお話です。 同じ滝口寺であった二つの物語です。
滝口入道 ある高野聖がおりました。名を滝口入道と申します。 在俗のときの名を斎藤滝口時頼と申しまして、名門滝口武士の出であったことから13歳で召し出され、小松殿(平重盛)の衛士をしておりました。 ある日時頼は、建礼門院(徳子)の雑役に従事する下級の侍女であった「横笛」という名の娘と出会い、恋に落ちます。 時頼を良家の婿にして宮仕えをさせようと思っていた時頼の父は、娘の身分の低さを理由に、結婚を猛反対します。 父があまりにも苛烈に諫めるもので、時頼は横笛との結婚をあきら
はじめの一歩は「着手すること」や「ビギナー」と言う意味で使われがちですが、本来は「千里の道も一歩から」の意味らしいです🥺 本日で連続投稿365日目です。毎日投稿とはいえ、私の場合はほとんどつぶやきですから日常生活の負荷になることもなく、何となく続けられました。いつくらいか分からないのですが、たぶん2~3か月目くらい(100歩目あたり)で、今日はnoteあげたかなぁ、なんてモヤモヤしてきて、通勤時間など寸暇を利用してあげていた次第です。 noterさんの中にはいろいろな目的
今日のことのは 「一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば百歳の間三万六千時を失う」吉田松陰 5日は休んで良いというわけではなく、当時は旧暦なので切り上げで360日と言うことでしょうか。些細なつぶやきでも1年間投稿を続けたことで日々何かを得ることができました。
いただいたスキが10000になったとnoteさんからお知らせがありました😂 ほぼつぶやきでしたが、皆さまのスキが日々の励みになりました。心より御礼申し上げます✨🥺 明後日、連続投稿一年(365日)となります。感謝、感激、改めてお伝えできればと思います🙇
今日のことのは 「虎狼より漏るが恐し」民話 虎や狼よりも人の口から漏れる誹謗中傷、噂話の方がはるかに災いになりやすいとのこと。 馬屋に忍び込んだ狼(虎)と夜盗が家人の語りを聴いて驚き逃げ出したという複数の民話から来ているとの説も。「狼よりも泥棒よりも、ワシゃ雨漏りが恐ろしい」と😅
今日のことのは 「雁が飛べば石亀も地団駄」諺 雁が飛ぶのを見て、飛べない亀は地団駄して悔しがったという寓話から、それ程でもない者が優れた者に嫉妬することを言います。 一方で亀は水を泳ぎ、硬い甲羅を持っています。苦手なものに見切りをつけ、自分の強みに気づき伸ばすこともアリかと😅
今日のことのは 「猫の首に鈴をつける」イソップ 鼠会議にて猫対策の話し合いの末、猫の首に鈴をつければ直ぐに逃げられて良いのではないかという案が出た。それは妙案だけど誰がやるのよ?と年寄り鼠が言ったとさ。 強者への対抗策があっても実行する段では引き受け手がいないことを言います😮💨
今日のことのは 「犬も朋輩鷹も朋輩」諺 犬も鷹も、鷹狩りする上では同じ主人に仕えている。身分は違えど仲間、同僚だと言う時に使われます。一方で「犬骨折って鷹の餌食」という諺では、犬が苦労して追い出した獲物を鷹に攫われる様から、手柄を横取りされることを言います。鷹狩りにもドラマあり😅
今日のことのは 「おせどに木の実の落ちる夜は」童謡・里の秋 おせどとは背戸、所謂裏口の戸のことです。背戸から木の実の落ちる音、戸に当たる音さえ聴こえてくる静かな、母と二人きりの夜。 南方の父の無事を祈りつつ、母と過ごす囲炉裏端の情景は何ともしみじみとさせます。昭和の名曲です🥲
今日のことのは 「せんちで饅頭」たとえ尽 せんちは戦地でもcmでもなく手洗い(雪隠)のことです。「隠れて上手いことをしようとする」、あるいは「空腹を満たすならどこでも良い」という意味があります。また、「あやしい場所でもらうものは大抵不浄」との意味もあります。諺自体が面白いです😅
今日のことのは 「箕売りは笠にて簸(ひ)る」井原西鶴 箕(み)を売っている者は売り物の箕を使わず笠で代用していることから転じ、他人のために働いてばかりで自分のことが疎かになることを言います。箕は着る「みの」のことではなく、脱穀や塵取に用いる農具の方です。「ひる」は「ふるう」です🧐
今日のことのは 「釜魚甑塵(ふぎょそうじん)」後漢書独行伝 後漢の范冉という人物は若い頃日々の食にも困る有様で、長らく煮炊きしていないため釜にはボウフラがわき、せいろには塵が積もるほどでありました。極貧の生活を意味する言葉のひとつで、釜中(ふちゅう)の魚とはボウフラのことです😰
今日のことのは 「大根を正宗で切るよう」諺 大根を切る時に名刀(正宗)は使いません。道具や人材の用法が当を得てないことの例えとして使われます。特に優れた人物につまらない仕事を与えること、人材の無駄遣い、所謂「大器小用」を言います。適切な配置と妥当な報酬付与こそ人事の妙でしょうか😅
今日のことのは 「破鏡重ねては照らさず、落華枝に上り難し」伝灯録 一度割れた鏡はもう映らず、落ちた花は二度と枝には戻らないことから転じ、一旦壊れた人間関係の戻り難さ(特に夫婦仲)を表す時に使われます。また亡くなった人をいつまで嘆いていても仕方がないという意味もあるようです🥲
今日のことのは 「恋文横丁」 渋谷109のそばにかつて存在した通り。戦後書士業、所謂「代書屋」が軒を連ね、中には進駐兵と「嬢」とのラブレターの翻訳、代書をする業者もいたようで、いつしか恋文横丁と呼ばれました。まさに「文は遣りたし書く手は持たず。」ですね🥲横丁の姿はもうありません。
今日のことのは 「口に糊(のり)をする」諺 「糊口を凌ぐ」とも言います。糊とはお粥のことでして、少ない米飯をお粥にして凌いでいるほど貧しい様子、ギリギリの生活を表しています。口に接着剤をして黙らせるという意味ではありません😅 食客、居候など宛行扶持の身分などにも使われたようです🧐