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私は今年、”気持ちのいい人”になろうと思う。

 今朝、今年2度目の散歩へ行った。
昨日は雨が降ってほとんど歩くことができなかった。だから、お気に入りである近所の公園を散歩するのは今年初めてだ。


 今朝方まで雨が降っていたのか、まだ公園の土はところどころ水たまりがあってぬかるんでいる。足のおける場所を勘で選びながら、いつもよりも早足で歩いていた。

桜の花の撮影って難しいよね

 今年のドイツはかなり暖冬のようで、今のところ氷点下になる日のほうが少ない。今日も朝から気温が10℃近くあって、散歩にはもってこいの気温だ。

 ドイツにしてはかなり暖かい日が続いてしまっているせいで、公園にあった桜の木の枝に薄桃色の花がいくつか咲いていた。
道端の梅(プラム?)らしき木も年末から似たように花がついていたので、今年の冬は木も驚いて花を咲かせてしまうくらい暖冬なのだろう。



 8時を過ぎてやっと夜が明けてきた空を見上げながら、私はずっと今年の目標について考えていた。


 年末年始になると、新年の目標を立てる人は多いと思う。私もその一人だ。昨年は年始から渡航準備に追われ、考える余裕すらなかったので、今年は何かしらちゃんと立てようと思っていた。


 私はまず、目標の軸を考えることにした。
今までは目標を思いつく限り書いて、10個くらいに絞る形式でやっていた。 
 しかしこれには欠点がある。気まぐれな私のような人間の場合、その年が終わるまでに目標の約半分に興味が持てなくなってしまうのだ。

 興味がなくなると立てた目標を忘れてしまって、年の途中でなぜこの目標を立てたのかさえよくわからなくなることもある。基本的に熱しやすく冷めやすい性格なのだ。(もちろん仕事ではこうならないよう気をつけている)


 だから今年は、「この1年、どういう人でありたいか?(もしくは、なりたいか?)」というのを決めて、そこから派生する目標を決めようと思った。
「自分が目指す人には、どうやったらなれるか?」という観点から、具体的な手段を「目標」として並べていくのだ。


*1年間は「こういう人を目指す」という軸は変えない。
*そこを目指すための手段(目標)は適宜調整してOK。

 (ただし、信頼や金銭的なリスクがあるものは要検討)

 このくらい変更可能にしたら、気まぐれな自分でも目標が達成できるのではないかと思った。


 このシステムでいこうと決めて、次に考えないといけないのは、今年自分が目指す「 理想像 」だ。

 「 憧れの人は? 」とか「 尊敬する人は? 」という質問にいつも困る私にとって、ここが1番むずかしい作業であり苦手なことだったりする。
 変なところに慎重な私は、仮に素敵だなと思っているとしても、「憧れている」とか「尊敬している」と言えるほどこの人を知っているのだろうかと、つい考えてしまうからだ。

 仕事の面で憧れる人はたくさんいるのだけれど、「人」として憧れるというのは特にむずかしい。素敵だと思うことはたくさんある。その人のセンスや感性、思考など周りの人たちを見ていて、いいなあと思うことは日々あると思う。
けれど、「この人に憧れる」というくらいこの人を知っているのだろうか、勝手に自分で想像して、イメージで言ってしまっていないかと考えてしまう。結局最後にはわからなくなってしまって、憧れの人とか尊敬する人を考えるのをやめてしまうのだ。

今朝も朝日が公園を照らしている

 ここ数日ぶりの爽やかな天気とはうらはらに、苦手なことに直面して思い心とともに歩いていていた。すると、後ろからジョギングをする人の足音が聞こえてきた。

 その人は私の横に来ると「Hallo!」と声を掛けてくれた。
 この公園で過ごす朝は、こういう挨拶が日常茶飯事だ。いい天気の日に散歩をしていると、気分がいいからか、知り合いでもない私にも挨拶をしてくれる。
 私は現地の人とのコミュニケーションをとる機会があまりない。だから、こうやって少しでも声を掛けてもらえるのは嬉しいことで、私も笑顔で挨拶を返すし、目が合って微笑んでくれたときはこちらからも挨拶をするようにしている。
 朝の公園という、時間と心に余裕のある人が多そうなシチュエーションというのもあってか、基本的に気のいい人が多いのだ。


 今日挨拶をしてくれた男性は、見た感じは壮年と呼ばれるくらいの年代の方だった。私がいつも通り笑顔で挨拶を返すとその方は急にスピードを緩めて、私の歩くスピードに合わせてきた。
 最初はちょっとびっくりしたのだけれど、彼はドイツ語で「今日は暖かいね! この公園はよく来るの?」みたいなことを聞いてきたので「そうですね、私はだいたい毎日散歩に来ています」みたいなことを返した。

 するとその方は「いいね、この公園はとても美しいから」と笑顔で言った。その方は週に2,3回ジョギングか散歩に来るらしい。私が日本から来たことなどを話し「あなたは?」と聞くと、その方も自分のことを色々と話してくれた。
 2年前まで技術者をしていて、リタイアした今は毎日がホリデイだと笑って話してくれた。うまく言葉が見つけられなかった私は、いいね!の意味を込めて、一緒に「Yeah! Holiday」と喜んでみせたら、一緒に盛り上がってくれた。(笑)

 そして公園内の分かれ道にたどり着くと、その方は「良い一日を!バイバイ」と言って手を振って去っていった。

この公園は広いので、分かれ道がたくさんある


 手を振り返した後、自分の心臓がものすごくバクバクと音を立てていたことに気づいた。公園での挨拶からこんなに会話をするのは初めてだったし、ドイツに住む現地の人とこんなに会話するのも初めてだった。
語学学校の授業とも違う、生の会話だ。

 ドイツ語と英語のミックスで行われたコミュニケーションは言いたいことの半分くらいしか伝えられなかった。けれど、こちらの言いたいことを理解しようと話を耳を傾けてくれるその方の姿勢にはとても救われたし、おかげで緊張はしたものの楽しい会話ができたなと思えた。


 ドイツの人は日本よりも圧倒的にスモールトークが上手な人が多い。こういうちょっとした世間話が、コミュニケーションの基礎となっているので、聞くのも話すのも上手なのだと思う。
 これはフランスやスペインの人と話したときも感じたし、先日チェコに行ったときも思ったことなので、比較的ヨーロッパ全体に言えることかもしれない。世間話が無駄話ではないのだ。

 もちろん例外はあると思う。
 今日出会った方は見ず知らずのアジア人に声を掛けているわけで、それができるくらいにはコミュニケーション能力に自信があるのかもしれない。


 相手の事情はよくわからないけれど、私は朝から思わぬ出会いをして、緊張しながらも楽しい会話をさせてもらった。
 公園を出て家までの道のりを歩きながら、先ほど話したことを反芻しながら安堵と喜びに浸っていたとき、ふとあることを思いついた。



私もこういう” 気持ちの良い人 ”を目指すのはどうだろうか。


 関わった人の気分を良くすることができる人。
 「あの人と会ったら少し気持ちが上向きになったな」と思われるような人。
 そういう人を目指すというのを、今年の目標の軸にするのはどうだろうと思った。


 もちろん、関わる人全員のご機嫌を伺うような召使いサーヴァントになるというわけじゃない。心を偽ったりすり減らして、何枚もの舌を駆使して無闇やたらに褒めちぎることを目指すわけでもない。
 ウェット過ぎず、ドライ過ぎず。
 誠実で素直に、心身ともに健康的な自分のまま、できる限りの範囲で人と向き合うということを意識したいと思った。


 そうと決まれば、この「気持ちの良い人を目指す」を今年の自分の理想像として、具体的な行動目標に落としこんでいけば、今年の目標はひとまず完成だ。
 ドイツ語や英語みたいな言語的な「 言葉 」だけでなく、コミュニケーションとして「 言葉 」をもっと意識していく必要があると思うし、人の話を聞く姿勢や今よりも知識や教養を身につける必要もあるかもしれない。
 そういうことを思いつくのは得意なので、思いつく限り絞り出してみて、選んでいこうと思う。

気分もこの景色くらいに晴れやか!

 散歩をしながら考えていたら、まさか答えが挨拶をしてくる日が来るとは思いもしなかった。
 声を掛けてくれた方は私に何かを与えようとか、そういうつもりはまったくなかったと思うけれど、私はそんな何気ないことをきっかけに素敵な気づきと今年の目標を見つけることができた。


 人の出会いは、本当に不思議なものだ。
 こういう「 縁 」みたいなものに気づける余裕と健やかな心を保ちながら、今年も毎日を大切に生きていきたいと思う。



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