悪者になりきれなかった僕【短編】
ーー今、改札出たとこ
チハルちゃんからのメッセージを見た僕は、有名な犬の像の前にいた。
ずっと好きだったチハルちゃんにやっと思いを伝えて、初めてのデート。
付き合う前も何度か二人で会ってきたけど、デートと言えるのはこれが初めてだった。
チハルちゃんの隣を歩くためにふさわしい服を選んだ。
隣を歩くのにふさわしい服って何だよ。
自分にツッコんでるうちに「ソウタくん、お待たせ」という声が聞こえてくる。
この声の持ち主を僕が間違えるはずはない。
大好きな人だから。
◇◆◇
「初めまして、チハルです」
初めて会ったとき、チハルちゃんは僕の幼馴染の彼女だった。
保育園から中学校が一緒で、高校でバラバラになった。
そんな幼馴染が高1の夏休みに紹介してくれたのがチハルちゃんだった。
『彼女』っていう言葉が照れくさかったのか、少し照れて微笑んでいた。
その笑顔に、時が止まった気がした。
幼馴染の彼女に、一目惚れなんてない。
あっちゃいけない。ありえない。
でもありえてしまった。
◇◆◇
「面白かったね」
映画の後、カップルに人気のスポットにあるベンチに座って、チハルちゃんは言った。
「うん」
あそこが良かったとか、ここが好きだったとか、言いたいことは頭の中にたくさんあるのに。なんでか喉に引っかかって口から出てこない。
なんだよ『うん』って、もっと気の利いたこと言えよ。
わかってたけど、僕は多分不器用だ。君の前では。
◇◆◇
紹介された後、何度か彼女のいるところに呼ばれたこともあった。
けど、行かなかった。
幼馴染と気まずくなりたくないし、チハルちゃんにも迷惑を掛けたくない。
そしてなにより、幼馴染の彼女に一目惚れするような男だって思われたくない。
でも初対面のチハルちゃんが、頭から離れなかった。
もう一度会いたい、でも会いたくない。
そんな気持ちを抱えたまま、距離をおいた。
そして彼女の幸せを祈った。
でも秋に入った頃、道で見かけた幼馴染の隣には別の女の子がいた。
性格悪いけど、僕はそれを見てガッツポーズしたくなったんだ。
これは神様かなにかの『おぼしめし』ってやつなんじゃないかって。
とはいえ僕には、チハルちゃんの近況を知る方法がない。
SNSをこっそり探すようなこともしたくないし、「別れたなら連絡先教えてよ」とも言えない。
でもそんな逆境じゃ諦められないくらい、彼女が好きになっていた。
クリスマスが過ぎた頃。
電車の中で偶然チハルちゃんに会った。向かいの席に座ってて。
言葉にすると恥ずかしいけど……
欲しかったクリスマスプレゼント遅れて届いたって思った。
口から心臓飛び出そうなくらい緊張しながら声を掛けて連絡先を聞いて、
連絡を取り合うようになった。
それが嬉しくて嬉しくて。
幼馴染には悪いけど、僕は好きにさせてもらおうって思った。
チハルちゃんのそばにいられるなら、僕は悪者になったっていい。
幼馴染には一切言わず、やりとりを続けた。後ろめたさも感じないで。
この時の僕はちょっと浮かれてたんだと思う。
◇◆◇
「そう言えば通知切ってた」
「あ、私も」
そう言って、二人でそれぞれスマホを見る。
すると僕のスマホにゲームの通知に埋もれながら、思いがけない人からメッセージが届いてた。
――チハルと付き合ってるってほんと?
どういうことか、わかってる?
ちゃんと好きなの?
ぞわっとした。
「……コウ」
「え」
チハルちゃんは驚いた顔をする。
「ソウタくんのところにもメッセきてる?」
◇◆◇
連絡を取るようになってから、時々学校帰りに会うようになった。
チハルちゃんが幼馴染を好きすぎて自分の気持ちを伝えられなかったこと。
そのせいで幼馴染をイラつかせてしまったが別れの理由だと聞かされた。
そんなことで別れるなよ、コウ。でもありがとう。
好きすぎると気持ちって伝えられない。
その気持ちは、僕には痛いほどよく分かる。
◇◆◇
「チハルちゃんのところにも連絡きてるの?」
「うん、ソウタくんと付き合ってるのかって。あと……ほんとに好きなのかって」
なんて質問してんだよ。
でも、それは僕も知りたい。
でも、こんな形で聞きたくなんてなかった。
◇◆◇
少しずつ、少しずつ縮めていた距離。
でも距離が縮まるほど、まだチハルちゃんの中には幼馴染がいるような気がした。
幼馴染の話はほとんどしなかったけど、ときどき見せる寂しそうな顔、無理に笑う顔。そんな表情の端々に隠しているものが見える気がした。
これ以上距離を縮めていいのか。
チハルちゃんにとって迷惑じゃないかってずっと悩んで、悩んで悩んで。
でも、好きな気持ちは止められなかった。
だから「好きだから付き合ってほしいって」って伝えたんだ。
言うだけ言って、自分の中では『終わった』って思った。でも……
「うん。いいよ」
そんな返事がくるとは思ってなくて、人生で一番ぽかんとしたのを覚えてる。
終わってなかった。
でもその返事は喜びとともに、不安を連れてきてしまった。
本当に、僕のことを好きなのかって。
◇◆◇
「そっか……」
それしか僕は言えなかった。
そしたらどこか心配するような眼差しでチハルちゃんは言った。
「コウくんには言ってなかったんだね、私達のこと」
◇◆◇
2週間前の土曜日、僕は好きな子の彼氏になれた。
好きになって1年。やっと手に入れた君の隣。
でも彼氏になってからの方が、いつも不安だった。
まだ『好き』って言われてないから。
僕より幼馴染のコウが好きだからかも。傷ついた心を癒やしたくて、僕と付き合ったとかかもしれない。ときどき、そんな気持ちでいっぱいになった。
もし失恋を癒すために僕を彼氏にしたとしてもいい。
それでも、そばにいられるなら。
心の隙間を狙って近づく、悪者になろう。
そう言い聞かせて、悪者になろうとしてたんだ。
◇◆◇
「うん、伝えてなかった」
「そっか。ごめん、言いにくいよね。幼馴染だもんね」
チハルちゃんは申し訳無さそうな顔をした。
ごめん。僕が臆病なばっかりに。
君がそんな顔する必要なんてない。
全部、自信のない僕が悪い。
悪者になってでも彼氏になりたいと思いながら、なりきれない僕が悪い。
チハルちゃんは、スマホに向かって何か打っている。
なんて書いてるかなんて、怖くて想像したくない。
「飲み物買ってくるよ」
悪者になりきれなかった僕は、その場にいるのに耐えられなくてベンチを立つ。
本当に弱虫だ。ダサい。情けない。
こんなやつじゃ、彼女の隣は歩けない。
でも、このまま逃げたら彼女を傷つける。
そんな悪者にはなりたくない。
自販機で飲み物を買って重い足を引きずりベンチに戻る。
チハルちゃんは待っててくれて、僕の買ったジュースを笑顔で受け取ってくれた。
なんか返事をしたかって聞きたかった。
でも聞く勇気がなくて、ちびちびジュースを飲んでいた。
それしか出来なかった僕に、チハルちゃんはこう言った。
「さっきのコウくんに、これ送ったんだ」
――言ってなくてごめんね。
ソウタくんのことを好きになりました。
まっすぐ見つめてくる瞳。
見たことのない瞳。
ずっと欲しかったのは、これだったのかもしれない。
「……ありがとう。僕も好き」
ぼそぼそとしか言えなかったけれど、チハルちゃんは笑ってくれて。
ベンチに座ったまま、彼女の手を握る。
人の目なんて気にしてられない。
この後どこに行くかなんて思いつかない。
でも、せっかくだからこのまま彼女と歩きたい。
どこまでも、どこまでも、ずっと一緒に。
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