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見えなくても見えても私はフリーランさない

先日Noteで興味深い記事を読んだ。

「フリーランスで働いている」なんていうとちょっとカッコよさげだけれど、そんな
楽なもんじゃないだろうなと私はかねがね思っていたけれど、それをこちらの記事が
とてもわたりやすく丁寧に説明してくれていた!!
そうだろう。そうだよね!!

フリーランスになるという事は何しろ一国一城の主になるわけだから、営業も企画も
経理も総務も全部自分でやることになる。
人を雇うとなれば人事も自分の裁量。変な人を雇ってトラブルになっても誰のせいに
もできない。

人を見る目もなければリサーチ力もない。ましてや引き算ができない私がフリーラン
スなんて障害がどうのという以前に無謀にもほどがある。

何でもかんでも障害のせいにする人もいるけれど、私が無能なのは目が見えない事と
は無関係だ。


若くして亡くなった父が独立するときに母に言ったのが次のセリフ。
「失敗したら一緒に夜泣きそばの車を引いてね。」

昔々昭和中期の話だけれど、小さな子供二人の父は事業を立ち上げる時にはそのくら
いの覚悟だったようだ。

いやいや、夜泣きそばだって繁盛しなければ詰むだろう(獏)


その昔、企業が障碍者を雇わなければいけないなんてルールもなく、PCもスマホもな
かった頃、視覚障碍者の仕事と言えばほぼあんま鍼灸一択だった。

当時はマッサージ師を雇ってくれていた病院もあったし、他の人の治療院の従業員と
して働くとか温泉按摩とかもあったけれど、自分で開業する人もいまより多かったの
ではないだろうか。
これぞフリーランスである。

アルバイト的に近所の人たちに施術をしていたフリータースタイルの人もかなりいた
だろうけれど、ちゃんと開業して治療院を回していた人も今より多かったのではない
だろうか。

今は企業でも障碍者を雇わなければならないのでヘルスキーパーなんて言う名目で資
格を持っている視覚障碍者が企業内マッサージ氏として雇われるようになった。私の
周りでもあんま鍼灸を仕事にしている人はヘルスキーパーの割合が圧倒的に多い。

だけど会社で雇われていれば施術に関してもあれこれ規制がかかる。設備や手続きが
面倒なので鍼治療ができるところはほとんどない。煩わしい人間関係なんて言うもの
もあったりする。

だから鍼灸が大好きで真剣に「治療」をしたい人には物足りなくなってくるので何年
か会社で働いてから治療院を開業する人なんかも少なくない。
そういう人は会社でお得意さんをGETして、開業と同時に自分の治療院の患者にする
。彼らは会社に雇われながら同時に営業活動もぬかりなかったりするのである。

自分の治療院ならば自分のスタイルで患者さんたちを治療できる。スキルを上げて評
判がよくなれば千客万来、お金も稼げる。

仕事が趣味の人にとっては何年働いたところでよくて大卒初任給程度の給料しかもら
えない法定雇用率をやっているよりいろいろな意味で自分得になるだろう。


しかし自分で事業を始めるとなると前述のように全部を自分がやらなければならない

固定給ではないからその時々で収入も増減する。
しかも目が見えなければ領収書一つ書けないのである。
見える人の手助けがなければ音声での事務処理はとにかく時間ばかりかかるのだ。
鍼灸の勉強をしたいのに事務仕事で時間を取られるなんて本末転倒。

目の見える奥さんがいる人は確定申告は奥さんに任せているそうだが見えない人だけ
だったら専門家を頼むのだろうか。


中には雇われていたのがいやだったからという消極的な理由で開業した人もいたがそ
ういう人はやはり早々に立ち行かなくなった。

気合を入れて開業したはいいけれど、やはり一国一城の主に疲弊して企業のマッサー
ジに転職した人の話も何軒か聞いたことがある。


私が鍼灸マッサージを選んだのは国家資格で食いはぐれないだろうという消極的選択
。しかも1年生の1学期で自分には向かないいと判明。いつも言っているけれど、見え
なくてもマッサージはできるけど見えないからと言ってマッサージができるわけでは
ないのだ


結果、やはり私は見えるとか見えないとかの次元ではなくフリーランスとは最も遠い
ところにいるようだ。

こちらの記事は漠然と自分が思っていた自分の適性を改めて再認識させてくれた。
だから私の場合無駄な税金を払っても発給であっても大樹の陰で地味に樹液をすすり
ながら収入の範囲で好きな趣味を楽しんだ方がいいと再認識することができた。

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