伯父の軍歴調査の話(3)

前回につづいて、戦死した伯父の軍歴調査の話。
前回、船舶に関する情報や戦時日誌、戦闘詳報から伯父の当時の状況を調べることが出来た。
ただ、伯父自身がどのような人物であったのかは不明のままで、陸軍に徴用される前に何をしていたのかを調べることが出来ないか神戸にある戦没した船と海員の資料館に旅行がてら訪問した。

戦没した船と海員の資料館

ここでは新たな情報を得ることは出来なかったものの館長さんとお話しすることが出来た。
徴用さる前にどこで働いていたのか聞いてみたが、海軍、陸軍の工廠で働いていた記録は当時の軍事機密ということもあり見つけることは難しいとのことだった。おそらく学校で免状を取って働いていたのでは無いかとのことだった。
ここでも少しだけ寄付をした。

暁2951部隊について

厚生労働省から送付されてきた史料にはおれごん丸は「暁2951部隊」所属とあった。暁部隊とは陸軍の船舶部隊の美称である。
船舶司令部は、戦時における軍隊・物資等の船舶輸送を指揮統率した陸軍の組織である。 船舶司令部が統括した陸軍船舶部隊は、各隊に与えられていた通称号の兵団文字符「暁」か ら「暁部隊」と通称された。最大約 18 万人の将兵が在籍した。
防衛省 防衛研究所で「暁2951部隊」の記録を調べると他の史実と整合が取れないことが分かった。
相談員の方に確認した結果、「暁6178部隊」が正しい。

なお、暁6178部隊には戦友会は存在していない。

その後

伯父がどのような人物であったのかは結局分からないまま、2023年夏で伯父の軍歴調査を終了した。

伯父の調査記録はA4用紙にして150ページ近くになり親族数名に配布し、母からは自分の「亡き父も喜んでいるだろう」と言ってもらえた。

今年(2024年)の正月に久しぶりに実家に帰ることにした際に実家にあった古いアルバムから父の遺品(ほとんどないのだが)から知らない人物の写真を見つけた。
母も写真の存在は知っていたものの知らない人物とのこと。

写真立てから写真を取り出して、裏面を見た。

〇〇 進

伯父の名前であった。

ぼかしを入れています

82年を経て、だれもから忘れらていた伯父の記憶が現在によみがえった。

船員であった伯父の記憶をインターネットの大海原に流します。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?