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窓際入口ゴミ箱近く

 一人で外食に行くときはなるべく窓際入口ゴミ箱近くに座るようにしている。マクドナルドやチェーン店なんかでその位置に座れれば大変良い。それもお昼、一番忙しいであろう時間帯だ。

 入口からは人がひっきりなしに出入りするしその度にジッと見られている気がする。ガラス窓越しの向こうからもなんだか見られている気がする。食べ方を見て笑われている気がするし、私が注文したものを見て「ひとりでそんなに食べるのかよ!」と指差されて笑われている気がする。隣りのゴミ箱へは皆恨みでもあるかのようにがしがしゴミを捨てて足早に去って行く。店員さんは溜まったゴミを「なんでこんなにこいつはゴミを溜めてんだよめんどくせぇ」というようにテキパキとゴミを回収していく。隣に座っている私はなんだか皆に急かされている気がする。

 だけど、ぜんぶ気がするだけだ。

 私を気にしてくれるのはガラス窓越しにこちらを見つめている鳩だけである。いや、その鳩も私が口に入れようと手に持っているポテトを狙っているだけかもしれない。

 すぐ人の目を気にしてネガティブ思考に陥ってしまう私にとって、この席は精神を安定させる良い席だ、と勝手に思っている。修行のようなものだろうか。

 案外みんな気にしていないし見てもいない。むしろ見ているのはこっちのほうだ。虚空を睨んでそのまま動かない私は、外から見るとちょっと危ないヤツかもしれない。でも誰も見ていないから問題ない。失敗してもゆっくりでも、周りの目さえ気にしなければ、自分のペースで良いのかなと思えてくる。世間様的には良くないことかもしれないが人には人のペースがあるのだから仕方がない。そうではありませんか。自分で自分の尻を叩けども叩けども動かず、何年も叩いてようやく一歩動く、そんな私なのです。もしかしたら叩く場所が違っていたのかもしれないし、そもそも叩くという行為が間違っていたのかもしれない。そればっかりはわからない。

 今は少しずつではあるけれど、いわゆる普通が崩壊していろんな普通が見え隠れしてきている。普通でなかったとしても迷惑をかけなければ他人はきっと気にしない。そんなに人の目を気にしているのはたぶん自分自身だけなんだろう。

 が、きっとまたこの席に、いろいろと気にしすぎる自分は座っているのだろう。

 そんなことをポテトを持ちながら考えていたら、カリカリだったポテトはシナシナになっていた。私はカリカリのポテトが食べたかったのに。仕方がない。シナシナポテトを頬張りトレーを持って席を立つと、ガラス窓越しに鳩が笑っているようだった。

 

 

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