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『内部生命論』

透谷の名を初めて知ったのは、
平野啓一郎さんの「一月物語」という小説の冒頭に書かれていた、「蝶のゆくへ」という詩の一節からでした。

明治30年、自由民権運動に挫折し、詩人となった青年真拆は、「神経衰弱」を癒やす旅の途上で、一匹の美しい蝶に誘われ、奈良県十津川村の山中に迷い込む。毒蛇に噛まれ、九死に一生を得た彼は、夢と現との狭間で、運命の女性との邂逅に心奪われる。

月を象徴とする神話的な物語は、全平野作品中、最も耽美的。バイロン的ロマン主義と縁起との相克を、「情熱」的に生きようとする青年の姿が、典雅な文体で夢幻的に描かれている。

平野啓一郎氏の公式サイトより抜粋


平野氏の小説は、芥川賞を受賞した「日蝕」よりも
個人的にはこちらの小説が好きですね。



さて本題。


北村透谷「内部生命論」

人間の内面を表現することが文学の役割だという事が、明治時代ではとても新しい感覚だったと云うことに驚いた。いつか、読んでみたいです。 


3ヶ月後にnoteにて見つけたので、
現代語訳を読み上げました。
現代語訳だと、エッセイって感じで読める程度の文章の長さなので読みやすいです。

我が心が、私に五十年の人生以外はすべて夢であると告げるとすれば、私はむしろ勤労をやめ、事業をやめ、逸楽と安眠をもって残りの人生を送るだけである。

現代語訳 一部抜粋

自分のこれから先の人生というか生活って、夢か幻と捉えても良き…?



最近、また内部生命論の現代語訳を読みました。
旧文体で書かれたものを読んではみたいとは思うけど、読むのに時間が数倍かかるだろうな。笑

上河内氏のnoteには、他にも透谷の現代語訳が有るので他の作品も読んでいきます。

知りたい、読みたいものがリンクして見つかる
noteやっていて、書いていて楽しいと思える瞬間ですね!

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