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#2 将来に悩む“若手”こそ「真面目に会社員」をした方がいい

わたしたちNUTSは、20年以上にわたりオンラインショップを営み続けてきました。スタート地点は代表ヌマオの長年勤めたSEIKO社からの退職。

会社を辞めてからは、ヌマオ自身“デザイン”が好きだったことをきっかけにアーティストの横尾忠則さんとコラボウォッチを作ります。さらにそれが広がり、様々なアーティストと“アートウォッチ”を作り販売するように。

一見、すべてが順調な走り出しのようですが、その裏では製造の支払いが危うくなるほど崖っぷち。周りの助けがなかったら上手くいくことはなかったといいます。

EC事業者としてNUTSの足取りを辿りつつ、“働く”ことについて20代の編集担当・カタヒラが、社会人として様々な局面を越えてきたヌマオに訊いてみようというこの企画。

第2回目は、NUTSの“ものづくり”のお話と、多くの人が所属することとなる“会社”との関わり方について考えてみます。

○過去・続編は〈こちらのマガジン〉から!

“好き”なものを信じることの強さ

「“横尾忠則ウォッチ”の次に僕が作ったのは、“NUTSコレクション”というアートウォッチのコレクションでした。世界中の芸術家や写真家、映画監督など、アートに携わるいろんな人に腕時計をデザインしてもらう企画です。

はじめは1999年3月、アーティスト5人による腕時計をそれぞれ作りました。そして念願だったアートウォッチの展覧会を、原宿にあった“同潤会アパート”っていう古いアパート内のギャラリースペース・ROCKET*で2週間くらい開催できることになりました。

展覧会は、各アーティストのファンが集まってきたりして、けっこう盛り上がりました。まあ展覧会といっても、たった5本の時計だけですけどね(笑)

その後もアーティストからアーティストへと繋いでもらい、最終的には34名の人と時計を作りました。」

シド・ミード NUTS 腕時計

〈イメージコンセプター シド・ミードさんとNUTSのコラボウォッチ〉

ヌマオさんのアートやデザイン好きが高じて実現したという“NUTSコレクション”。好きなものを疑いなく自分のものにできる人は、いつの時代も強い。

莫大な情報とモノが溢れる現代では、自分と他人の“好き”の境界が薄れるように私は感じています。会ったこともないインフルエンサーがSNSで好きと公言したものに、大衆は飛びつき消費していく。これでは人それぞれの“好き”を温めきれないのではないでしょうか。

“好きこそものの上手なれ”とは言い得て妙で、心に寄りかかれる柱のような何かを持っておくことが、仕事をするうえで大きなヒントになると思うのです。何かとは、漫画だって、洋服だってなんでもいい。その疑いのない“好き”が、いつかきっと助けてくれる。

それにしても、同潤会アパートに、ギャラリー・ROCKET… 90年代の匂いが漂ってくるようなワードに、胸が熱くなるのは私だけじゃないはず。

*同潤会アパート(どうじゅんかいアパート)
財団法人同潤会が大正時代末期から昭和時代初期にかけて東京・横浜の各地に建設した鉄筋コンクリート造(RC造)集合住宅の総称。耐久性を高めるべく鉄筋コンクリート構造で建設され、当時としては先進的な設計や装備がなされていた。
「ROCKET」は1996年に、青山の同潤会アパートにオープンし、若手アーティストの登竜門とも呼ばれるギャラリースペース。現在は移設のため休業中とのこと。

製造コストが“資金を上回る”…ギリギリな状況を助けてくれたのは

総勢34名のアーティストと腕時計を作り販売したというヌマオさんですが、“時計づくり”が実現した背景にはヌマオさんの前職であるSEIKOの存在が大きかったといいます。

「僕が長く勤めてきたSEIKOを辞めて、独立の道を選んだのは38歳の頃。それからご縁あってアーティストの方々と時計を作り始めたのですが、この企画は前職の存在なしには実現してなかったと思います。

NUTSコレクションの製造を委託していたのは、“セイコータイムテック”というOEMを専門に扱うSEIKOの子会社でした。僕がSEIKOで最後に配属されていた場所ということもあり、実は支払いの期日など少し多めに見てもらっていたんです。

通常、BtoBで商品の製造などをお願いする場合、費用は前払いであることがほとんどです。でも、当初のNUTSは十分な資金がなく、製造コストの方が上回ってしまってました。そんな状況下で、なんとか発注から2ヶ月後の支払いに調整してもらえることになったんです。

だから例えば、4月に発注して手元に時計が届けば、翌々月の6月末に費用を支払うというわけです。その2ヶ月の間に時計を売って、製造会社に支払うお金を用意していました。まさに綱渡りで普通じゃあり得ないことですが、あの時は本当に助けられましたね。」

「“いまの会社”で一生懸命働くこと」の真価

時計を売るために楽天市場にお店をオープンさせていたものの、まとまった売上を作れるまでにはほど遠かった。だから卸売りも並行してやっていましたね。

主な卸し先は、TICTACやオンタイムなどの時計代理店。なにが何でも売って、お金にしなくちゃならないから、もう、とにかく必死に営業しました。でも、アートウォッチという過去の実績に当てはめにくい商品は簡単には受け入れてもらえなかった。

当時を振り返れば、営業中の僕の気迫は凄まじかったと思います。それくらい崖っぷちに立っていたし、あえて自分を厳しい環境に置いたというのもある。独立して、自分だけで稼いでいかなきゃならないから。

よく憶えているのが、やっとの思いで時計を購入してもらえることが決まったある納品先に行くと、なんと従業員やお客さん用のエレベーターは使わせてもらえず、段ボールを抱えて7階まで階段で登ったこと(笑)何往復も重い段ボールを運びましたよ。」

今では考えられないほどの苦労がたくさんあったといいますが、ヌマオさんは全く大変だとは思っていなかったそう。

ちっとも大変に感じなかったのは、きっと周囲の人に助けてもらってたから。独立する時、僕には“自分が作った時計は間違いなく売れる”という変な自信がありました。でも世間は想像してたよりも厳しく、自信だけではどうにもならないことを思い知ります。

こうやって今もお店を続けられているのは、元を辿れば前職のSEIKOの方々のおかげでもあるんです。金銭的なことだけでなく、後に出てくる商品の仕入れのことまで本当にお世話になりました。今も心から感謝しています。

だから教訓として思うのは、僕みたいにサラリーマンという働き方を疑問に思うことがあっても会社では一生懸命働くこと。その後のキャリアや人生に必ずつながってくるから。」

若い人たちは、私も例外ではなく、成長の近道を探して“会社で働く意味”を考えることが多い。悩んで迷って、会社に意味を感じられなくなれば、仕事を適当に済ませたり、あるいは(ブラック企業は別として)すぐに辞めてしまったりもします。

一方で、会社を動かしているのは絶対的に“人”です。ヌマオさんのお話にあったように、ただ雇われてるだけにみえるサラリーマンには実は、同僚、先輩、後輩、または取引先という強力な仲間が沢山います

だから会社で真面目に働くということはお金だけじゃなくて、これから社会で生きていく上での“味方”をつくることのようにも思えます。

社会は広々としてて自由できっと楽しい、でも時にこのコロナ禍のような“絶望”を突きつける。これをいい時もわるい時も、味方を集めて乗り越えていく冒険となぞらえれば、人が必然的に集まってくる会社は想像してたよりずっと“将来性のある場所”なのかもしれません。

(取材・編集 カタヒラ)


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