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受け取る。

わたしがやっている仕事のひとつに「ペアレントメンター」という仕事があると、以前書きました。
その仕事で、わたしは久しぶりに「先輩」と呼びたい存在に出会いました。

会社員時代には当然「先輩」という存在がいました。
ただ単に先に入社している人はたくさんいたけれど、心から「先輩」と呼べるひとは一人しかいなくて、その先輩が辞めるときはこっそり涙をぬぐいました。

そこから10年ぐらい、名実ともに「先輩」と呼べるひとには巡り会わず。もちろん人生の先輩として尊敬できるひとはわんさかいるのですが、一緒に仕事をするわけではないので、わたしの中の「先輩」の定義とはちょっとズレるんですね。
ところが、昨年ペアレントメンターのお仕事を始めたら、何人もの「先輩」ができました。

何人もの先輩に頼りながら、ひよっことして仕事をできる幸せ!!!
この仕事を始めてからはほんとうに試行錯誤の連続だったので、「大丈夫?困っていることはない?」と聞かれることはほんとうにありがたかったです。

仕事を始めて2か月ぐらい経ったころ、わたしはほんとうに自信を失っていました。いったい何を根拠にこの仕事ができると思ったのか?勢いこんで応募した過去の自分を殴ってやりたいとすら思っていました。

そんなとき、たまたま先輩のひとりとzoomで話す機会があって、ついつい「コミュニケーションに自信が持てない」と弱音を吐いたんです。
先輩はそんなわたしに、大丈夫だよ、とか、ちゃんとできてるよ、と声をかけてくれたと思います。そのあたりの言葉はほとんど覚えていないんですが、そういうときって自分で自分にジャッジした「できてない」に凝り固まっているので、たぶん「う~~ん…。」みたいな煮え切らない返事をしたんですね。
すると、その先輩が
「きちんと受け取らないとダメ。」
と厳しめに言ってくれて、その言葉の強さにハッとしました。

自信がない時って、どれだけ人に褒め言葉をもらっても受け取れない。
受け取れないのに「どうやったらちゃんとできるようになるんだろう?」ってグルグルしている。
自分の思考の声の大きさで、ひとの声が聞き取れなくなっているんですよね。
その先輩のひとことは、わたしを思考のグルグルからすくい上げてくれました。

むかし母親がよく「他人がほんとうのことを言ってくれるワケがない」と言っていたのを覚えています。それを聞いているときは、なんとも思っていないつもりだったのだけれど、もしかするといつの間にかその思想を受け入れて、どこか疑心暗鬼になっていたのかもしれません。あるいは真に受けて後で傷つくのを恐れていたのかもしれません。

戦わなくて良い世界で生きるためには、ひとの言葉、特に褒め言葉をきちんと受け取って感謝すること。
「わたしは褒められるの好きだー!」
と世界に向かって表明すること。

そんなことを気づかせてくれた先輩が、この春でペアレントメンターの仕事を卒業されました。
先輩という存在そのものが、わたしにとって素晴らしいギフトだった気がします。

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