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誰かを思って綴ること。

ライティング・ライフ・プロジェクト0期が始まって、明日で5日目。

すでに、楽しくって、楽しくって仕方ない。
まだ、一方的にメールを出すことしかしていないのだけど、
それがめっぽう楽しいのだ。

ライティング・ライフ・プロジェクトのメールは長い。
わたしが受けたときに、ファシリテーターであるみおさんからもらったメールも長かったし、わたしがメンバーの方に送るメールも長い。

***

宛先がある文章って特別だ。

このnoteも、なんとなく「こんなひとが読んでくれるのかな?」と想像しながら書くけれど、メールや手紙は最初からそれがはっきりしている。
メールに関しては、複数のひと宛に出すことも多いけど、
それでも、それを読むひとの人物像のようなものは、noteよりずっと鮮明だ。

そして、ただひとりに出すメールやお手紙は格別だ。
相手のことをリアルで知っていても、知らなくても、
わたしの中でそのひとのイメージは生き生きとしていて、固有のオーラを放っている。
メールや手紙は、もちろんひとりで書くのだけど、
わたしの右肩には、宛先のそのひとがちょこんと座っていて、
わたしは、そのひとと喋っているようなつもりで、言葉をつづる。

誰かのことだけを思って、言葉を紡ぐ。
その時間、絶対的にわたしは孤独ではなく、不幸でもない。
むしろ、それは至福の時間だ。

たくさん、言葉を連ねれば、
わたしの幸せは長く続く。
だから、いつまでも書いていたい気持ちになる。

会って話すより、
電話するより、
手紙を書いているときがいちばん、
あなたといるような気がする。

***

ライティング・ライフ・プロジェクトで、たくさんメールを書いて、
これからも書くべきメールがたくさんあることを思うと、
嬉しくてうれしくて、ニンマリしてしまう。

わたしは、誰かにお手紙を書きたくて、
誰かひとりのことを思いながら言葉を綴りたくて、
ライティング・ライフ・プロジェクトのファシリテーターになりたかったのかもしれない。

もしいつか、ライティング・ライフ・プロジェクトに誰も応募してくれなくなったら、「お手紙やさん」を始めてみようかな。



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