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謎解き体験とエゴの話。

予告通り、オットさんとお出かけしてきました。

チェックインの時に、謎解き用の本を受け取って、
21時までに正しい解答をフロントに提出したら成功。
それができなければ失敗となります。

本の内容は現実のホテルとリンクしていて、
本の中の指示やヒントを読みながら謎解きを進めていくのです。

ホテルに泊まったときって、
なんとなく、他の部屋はどんな感じか見たくなったりしませんか?
このプラン、謎を解く過程で、いろいろなお部屋に行かされるんです。
それらの部屋は、さも、その本の登場人物が泊っているような体になっていて、なんか小説の中に入り込んだみたいでワクワクしてしまいました。

けっきょく、
最初は余裕しゃくしゃくな感じだったのですが、
最後はぜんぜん時間足りなくて、21時の1分前ぐらいにやっと答えを提出できました。こんなに必死になったのは本当にひさしぶり。マジ焦った。

でもかなり面白かったし、泊まったホテルにもすごく愛着が湧きました。
また、機会があれば参加したいな~。

ちなみに、岩手や東京でも同じようにホテルで謎解きできるプランがあるみたいです。
あと、おうちに謎解きセットを送ってくれるやつもあるようで、次はこれにチャレンジしようかな~?と

***

ところで、
当日、家を出るタイミングで「用意できた?」とオットさんに声をかけたときのこと、オットさんのその日のスタイリングをみて、ちょっとイヤな感じがしました。

こともあろうに、楽しもうと意気込んでいるその日に、私があまり好きじゃない色と形のパンツ(ズボンです。念のため)をはいていたのです。

そのパンツをオットさんが購入するとき、私もその場にいて、内心
「ダサいパンツだな~。好きじゃないわ~。」
と思っていたのですが、まぁ好みはひとそれぞれだし、あえてそれを口に出したりはしなかったのです。

なのに、自分とふたりでお出かけするひとが、私の好きじゃない服装をしていることについて、いや~な気持ちになってしまったのです。

でも、これ、不思議ですよね?

彼がひとりでそのパンツをはいてどこかに行く分には、なんとも思わないのです。私と二人で行動する。誰かにカップルであると認識される。(例えばホテルのフロントの人とかね)そのシーンを想定したときに、とつぜん、彼を含めた「私たち」としての意識が発生して、彼の服装が自分のセルフイメージに合っているかどうかをチェックしてしまったのです。

「私と一緒に歩くひとが、こんなパンツをはいちゃうなんて!」

自分自身や自分と一体化したい物事に「が」という助詞をくっつけているとき、それは大抵「エゴ」の話なのだと思います。

「私が」
「私の仕事が」
「私の悩みが」
「私の恋人が」
「私の経験が」
「私の国が」

それを褒められればとても嬉しいし、
批判されるとすごく腹が立つ。

それはとても自然なことだと思うのだけれど、
ときに、それを重大なものだと考えすぎてしまい、それを守るために多大なエネルギーを消耗してしまっているような気がします。

エゴは、
私が生きることそのものでもあるのだけれど、
範囲が広くなればなるほど、私を苦しめるものでもあります。

私は、オットさんの服装に
自分自身を投影する必要は全くないのです。

***

というわけで、
オットさんのパンツへのちょっとした不満についてはおくびにも出さずに、
無事にお誕生日ツアーを完了しました。

謎解き、本当におススメです!!



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