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情熱と共同作業の先の選択。

3月末に息子が上京して、会う人会う人に
「夫婦二人の生活はどう?」
と聞かれるのだけれど、この時いつも少しフクザツな気持ちになります。

少なくとも
「新婚時代に戻った感じで、すごく新鮮!めっちゃハッピー!!」
…なんてことはありません。

息子が家の中にいなくなって一週間ぐらいは、いちいち息子の不在を感じて、鼻の奥がツーンとする感覚に慌てる日々でした。

二週間目は、家の中のコミュニケーションの在りようが変わったことを実感しました。いつの間にかわたしたち、子どもを会話の緩衝材にしていたんだな。会話って、当たり前だけど自分の言いたいことだけじゃなくて、相手に寄り添ったり興味を持ったりしないと上手くいかなくて、だけど夫に対してだけそういうエネルギーが湧いてこないし、自分がしないクセに彼がそうしてくれないことにとても苛立ったりしてね。ちゃんと向き合ってコミュニケーションすることを二十数年間も怠ってきたという事実に呆然とする日々。

三週間目。話も合わないし離婚しましょうってワケにもいかないので、いったん夫婦二人の生活を構築することにしました。家具の配置を変えたり、不要になったものを思い切って捨てたり、新たに必要そうなものを相談しながら購入したり。その過程でじわじわと二人の生活が続くイメージをお互いの中に滲みこませているような気がしました。

おぼろげながらもイメージができそうな予感がしたら、あとは少しずつそのイメージに向かって進むだけ。
まだまだわたしたちのコミュニケーションは問題だらけで(少なくともわたしから見れば)、けれど期待と甘えを手放してみればこれもそれなりに完全で完璧なんだなと感じます。

わたしにとって大事なのは、常に今の状況を自分が選択したことだと認識することです。常に選択肢はあり、わたしはこちらの道をえらんだ。
それを自覚したとき、わたしは初めて自由になれます。

関係を断つことは、いつだってできる。
でもこれまでの延長線上で関係を構築しなおすことは、今しかできない。
チャレンジできるエネルギーがあるうちに、今のお互いを丸ごとOKとしたらなにか面白いことが起こるかもしれない。

道は険しい予感ですが、ほんの少しだけワクワクしているのです。

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