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無関心の必要性。

毎月、「旅をする」というタスクを自分に課している。

今月の旅は、「京都・奈良の旅」と「岡山遠足」。どちらも日程が先週に固まってしまい、さらに東京日帰り出張まであったものだから、けっこうな移動距離の一週間となってしまった。

岡山遠足の目的は、さとみさんに会いに行くこと。

さとみさんは、2年ぐらい前に、とあるセミナーで学び仲間として知り合った。数か月にわたるセミナーで、zoomのカメラ越しに会うさとみさんは、ほんとうに感情表現が豊かで、くるくると表情が変わる目が離せないひとだった。

zoomで受けるセミナーって、手間はかからないものの、人間関係は作りにくい。さとみさんは住んでいるところが少し離れているせいもあり、セミナーが終わると、自然と連絡を取らなくなった。
切れたと思っていた縁がつながったのは、わたしがファシリテートするライティング・ライフ・プロジェクトに、さとみさんが申し込んでくれたのがきっかけだった。彼女が送ってくれる課題は、どれも豊かな感情と気づきに満ち溢れていて、それを読むたびにわたし自身の感情も共振し、世界が少し違って見えた。

縁がつながってから知ったのだけど、さとみさんはココロとカラダ、コミュニケーションのことをとても真摯に学んでいるひとで、岡山で会った時にとても印象に残る話をしてくれた。

それは、人間の才能に関する話で、自分の感情を無意識にジャッジして抑圧していると、自分が本来持っている才能が発揮されないよ、ということだった。

例えばわたしの場合は、自分の中にある「無関心」という感情を悪者扱いしてしまうことで、本来持っている才能を発揮することができないらしい。
そう言われて初めて、わたしの中では関心の対象に、はっきりとした濃淡があること。そして、特に「その他大勢」なひとたちに対する関心の薄さは、悟られてしまってはいけないことだし、それを悟られないために、あえて親切に振る舞うことにエネルギーを使ってきたことに気づいて、愕然とした。

感情に良いも悪いもない、とアタマの中ではわかっていたけれど、結局それを隠そうとあがいていた。
「無関心」を隠さなければ、孤立してしまう。そういう恐れがあったのだと思う。

他にも「不安」や「見下し」などの感情を悪者扱いしているパターンもあるらしい。「そんなの持ってちゃダメだよ~」と言われそうな感情でも、必要性があるのだ。わたしたちは、自分の中から自然に湧き出た感情を、なにひとつ蓋をせずに、ただ見ていてあげたらいいのだ。

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さとみさんのお家でひとしきり話したあと、車で王子が岳に連れって行ってくれた。

瀬戸内に浮かぶ島々と、今年初めての夏雲。
自分の心の内側を、何も足したり引いたりせずに、さらけ出せるひと達と過ごす時間。

わたし、ぜんぜん孤独じゃなかった。

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カラダの声を聴くことを大事にしているさとみさん。
ブログもとても面白いので、ぜひ。
セッションでは、チャーミングな岡山弁も聞けます!




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