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きっかけは〇〇!私がミニマリズムに目覚めた理由

世の中、ひょんなことからハマることがある。
ささいなことがきっかけで今後の一生に影響を与えることがある。

ここ数年のわたしは徐々に、そして確実にミニマリズムへと傾倒していってる。
そんなわたしも、あることがきっかけで当時は知らぬままミニマリズムの道へと進んでいることに。
そのきっかけとは…。


ズバリ!無職になって収入がゼロになったから!


そう、無職になったのだ。病気によって。
収入はゼロ。本当にゼロ。もちろん不労所得ゼロ。
数少ないお金を得る手段として、必要のないものを売って小銭を稼ぐぐらいしかない。
しかし、生きていくためにどうしてもお金がかかってくる。
さて、そうなってくると主に2つの能力が磨かれていく。

買うものと買わないもの

ひとつめは「本当に必要なものだけを買う」能力。
たとえば食器用洗剤を買うのが馬鹿らしくなってアクリルたわしに変えた。
食べ終わってすぐ洗えば洗剤いらなくない??と思ったからだ。
一時期は「トイレットペーパーっているか…?インドあたりは手を使って洗うらしいし…」ぐらいまで考えていた。(そして実行することはなかった)
食費もお菓子の類は一切なし。もちろんジュースもなし。
本を買わずに図書館で借りるようになったのもこの頃から。

一方で変わらないものもあり、たとえば口腔ケア用品はきちんと買っていた。
歯ブラシ、歯間ブラシ、フロス、歯磨き粉…。
これらは健康を維持するために欠かせないものとして購入。
ここを削るのは最後の最後だと思ってる。

「何にお金を使えばいいか」「何にお金がかかっているか」を知る機会になった。

手放すものと離さないもの

ふたつめは「本当に必要なものだけを残す」能力。
前述のとおり、不要だと思ったものはバンバン売ってお金に替えていった。
当時やっていたゲームは当然のように売却。
それにともない、入っていたゲームパスも解約。

逆にギリギリな状態になっても「いや!これだけは絶対に手放せない!」というものも当然残っていった。
わたしでいえばぬいぐるみがその代表。
よほどのものでなければ高く売れない、という事情もあるが。
あとはスマホもそう。ノートパソコンは売ってもこれは売れなかった。

こうやって手元にあるものをどんどん売っていくなかで、次第と「持ち物=資産」「出口戦略(リセールバリュー)」という考えが芽生えていった。
二束三文で売られる、かつての自分の生活品。
売れるならまだいいほうで、買取価格すらつかないものも多い。
衣類はまとめて100円!なんてのもザラだった。
それらは世間一般ではほとんど価値のないものだったんだなあと知ることに。

ものとともに習慣も断捨離

ものを売っていくことで、次第にそれ自体が断捨離につながっていった。
たとえば食器。
当時通ってた(という言い方も変だが)リサイクルショップでは、食器などは未使用品しか買い取ってくれない。当然お金にもならない。
むしろ交通費や時間がかかってるのでマイナスになってる。

その事実に次第に腹がたってくる。

買い取る価値もない、自分じゃ使い切れないくらい山ほど食器があるのに、肝心要のお金はない。一体このガラクタの山はなんだ???と。

だいたい「お茶碗」だの「小鉢」だのなんだ???こいつらがあるせいで無駄に洗剤も水も手間も時間も洗うものもかかってる!!
でっかい皿ひとつに全部盛り付けたらええやないかい!!と。

今までやってきた「アタリマエ」や習慣を見直すきっかけにもなった。

無料でも楽しむ!

趣味もだいぶ変わった。
比較的安定しだした今でこそ旅行が趣味だが、無職時代の名残で趣味の多くがお金のかからないものに変わっていった。

スマホがあればnoteでブログが無料でできる。
絵を描くのに紙とペンさえあればいい。
本は図書館で借りればいい。
筋トレは近所の公園ですればいい。
ウォーキングは普段着のままでいい。
ついでに好きな鳥でも眺めていよう。

これは実体験だが、人はお金をかけなくても十分楽しめることに気づいた。
昔の自分は「お金をかけないと楽しめない」と思っていたが、そういうこといってる人は「お金をかけても楽しめない」ことを身をもって知った。

あのときの経験が、今の自分のミニマリズムの原点になっている。
「不必要なものは手放す、好きなものだけは残す」
無職で無収入の時期が、今こうやって自分の生き方に大きな影響を与えていることが不思議ですね~。
それではみなさんも、よいライフスタイルを!

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