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”僕には救いの歌があるだけ”〜『BOB MARLEY: ONE LOVE』感想

ここ十数年で一番と言ってもいいぐらい、日本のレゲエシーンが沸いている。
着火剤となっているのは言わずもがな、レジェンド、ボブ・マーリーの伝記映画『BOB MARLEY: ONE LOVE』の公開だ。

公開前からプロモーションの熱の入り方が、ちょっと尋常ではなかった。
主にラジオの動きしか追えていないが、J-WAVEでは5月6日、9時間に及ぶボブの特集番組を組み、
俺が愛聴している大阪のFM COCOLOでも、週替わりの特集番組「WHOLE EARTH RADIO」で、レゲエに造詣の深いDJマーキーさんの進行で特集が組まれた。

さらに5月15日には、制作の指揮を執ったボブの長男ジギー・マーリーと、監督を務めたレイナルド・マーカス・グリーン、さらには作中でボブを演じたキングズリー・ベン=アディル本人が来日し、渋谷MIYASHITA PARKで日本のレゲエ有識者たちとトークセッションを繰り広げた。
俺は残念がら仕事で参加できなかったが、SNSの知人の投稿を見る限り、当日のMIYASHITA PARKの盛況ぶりはとんでもなかったようだ。

同じ「JA」で始まる国という縁もあってか、制作関係者のトップまでが日本でのプロモーションに協力してくれるのは素直に嬉しく思う。
そして念願叶い今日、映画本編を鑑賞することができたので、初発の感想をここにまとめたい。
※注:ネタバレあり※


1.鑑賞前の一抹の不安

公開を楽しみに待っていた一方、実は少なからず「観終わった後にモヤモヤが残ってしまったらどうしよう」という不安があった。
一部ではすでに指摘されていることだが、ボブ本人役を演じたベン=アディルはイギリス人。
イギリスはジャマイカの旧宗主国でもあることから、「ジャマイカの伝説的人物を植民地支配側の人間が演じるのはどうなのか」という批判が俺の目にも入っていた。

ジャマイカは1962年にイギリスから独立を果たしているとはいえ、法的に国家元首はいまだにイギリスの王様だし、日本でいう最高裁判所の機能は現在も同国にある。
植民地支配の歴史は決して過去のことではないのだ。

こういった「文化の盗用 Cultural Appropriation 」の問題は、得てして両極端に話が振れ、荒れやすい話題でもある。
だからと言ってカルチャーに携わる人間が決して逃げてはいけない話題でもあるのだが、問題解決のための対話には多くの知識と労力、そして忍耐を必要とする。

その議論に触れたこんな記事も公開前に挙げられてはいたものの、自分の不安を100%解消するまでには至らなかった。

これを観終わった後、その”両極端”に引き裂かれるような思いになったりはしないだろうか、その相反するエネルギーに胸が潰されたりはしないだろうか、という怖さはずっと頭の隅にあった。

2.不安を吹き飛ばした、ベン=アディルの発語の凄まじさ

結論から言うと、そういった不安は開始10秒で吹き飛ばされた。
ベン=アディルの極限までボブに似せられた風貌やライブ場面での振る舞いではなく、その喋り方によってだ。

ジャマイカの公用語は一応英語だが、現地人の多くは「パトワ」と呼ばれるピジン英語(現地語と公用語が混淆した英語)を話す。
音楽アーティストはほとんどがパトワを用いて歌詞を操り、ボブもその例にもれずインタビュー映像などではパトワを用いて喋っている。

したがって、ジャマイカに行ったことのない日本人であっても、レゲエ好きであれば楽曲のジングル部分やアーティストの映像などで、パトワのイントネーションを直感で理解している部分が多い。

今回のベン=アディルの役作りは、その風貌にとどまらず、そういった一聴して解るほどのパトワの泥臭い「匂い」をほぼ完璧に再現していた。
その聞きなれた語感が耳に入った瞬間、「あ、これは大丈夫だわ!」と見事に映画の世界観に吸い込まれてしまった。

パンフレット掲載の記事によると、ベン=アディルは約8ヶ月に亘ってボブの映像を徹底的に観続け、彼のイントネーションの習得に努めたとのこと。
先のローリング・ストーンの記事にもあるように、ジャマイカの国家的アイコンであるボブを、イギリス人である自らが演じること、その様々な意味での重みについて、ベン=アディルは十分に咀嚼し、その演技で見事に回答を与えていた。

3.リタを通じて描かれる「生身の男」としてのボブ

バックコーラス隊「アイ・スリーズ」のメンバーであり、ボブの妻でもあるリタ・マーリーの存在。
これが本作の重要なエッセンスなっていることには「そう来たか…」と言う感じで素直に驚いた。
俺自身リタについてはあまり関心を持って追って来なかったこともあり、盲点を突かれた思いだった。

アイ・スリーズのメンバーの中で最も「音楽的に」知られているのは、昨年来日公演も行ったマーシャ・グリフィスであるが、本作では彼女は脇役に徹している。
さらに、バニー・ウェイラーやピーター・トッシュといった元ウェイラーズの主要メンバーについても、作中で取り上げられたボブの活動時期もあいまってほとんど登場しない。

本作ではラシャーナ・リンチ演じるリタの存在によって、ボブの人間像がより立体的に描かれる。
本編はボブの過去と現在(1977~78年)をクロスオーバーする形で描かれ、その中でリタはボブのラスタコミュニティへの案内人となり、ウェイラーズの音楽仲間となり、そして多くの子どもを抱える妻/母となる。
ボブの浮気相手の子どもまで自らの手で育て上げ、アイ・スリーズの活動もこなす活動的な女性であるが、決して母性やミューズ性といったステレオタイプで語れる存在としては描かれず、清濁併せ呑む強さも持ち合わせている。

筋を通すためならボブに手を上げることも厭わない彼女の姿は、カリスマ的なスピリチュアリティの陰に隠れた、ボブの個人的葛藤や人間的弱さをより引き立たせている。
こういった描き方が可能になったのは、ひとえにリタ本人をはじめジギーやセデラといった、「家族」としての濃密な時間を持ったファミリーの面々が、プロデューサーとして制作の全面に関わったからだろう。

「ONE LOVEとか言いながら浮気しまくってんじゃん!」と一部小馬鹿にする向きもあるようだが、あえて擁護するならボブの言う「ONE LOVE」とは、そんなチンケな法に縛られた脆弱な制度の上に成り立つものではなく、より地球規模での人間存在を丸ごと包みこむほどに壮大な「何か」である。

だからこそ、「Marley Family」と言われるように多様で強烈な遺伝子たちが現在でも活発に息づいているのだろう。
その遺産を十二分に活用した、ボブの多面性をめぐる見事な演出が随所に見られている。

4.ライブ演奏も大満足!

本作は絶対に映画館で観るべきである。
それは、大観衆の声援に押されながら絶頂期のパフォーマンスを再現する場面が、大画面・大音量で堪能できるからだ。

サウンドシステムの轟音で聴かなければ、レゲエを本当の意味で楽しんでいるとはいえない。
このことはレゲエ好きであれば100%共感してもらえると思うが、映画館でならそれに近い環境でレゲエ本来の音のパワーを体感できる(IMAXなんかでもやってくれれば尚更いいと思うが!)。

しかも、演奏に参加しているのはオリジナルのバンドメンバーの息子たち(しかもプロミュージシャン)が多数を占めているとのこと。
リンチによるリタの演技と同様、こちらも現在に至るまで根付く血縁という名の遺産を十分に活用したキャスティング。
当時の匂いを極限まで再現しようという制作陣の覚悟がここでも窺える。

作中中盤の「War / No More Trouble」の演奏は、レゲエならではの「重み」を芯から味わうことができ、まさに圧巻。
同曲は現在でも、伴奏をサウンドクラッシュ(曲のかけ合いで誰が一番盛り上げられるかを競う、レゲエ独特のパフォーマンスの一種)で頻繁に用いられる曲で、火薬の焦げ臭い香りが漂うような危うさも孕みつつ、生命力あふれる魅力が再現されている。

音楽については文字に起こして伝えられることも限られているので、ぜひ実際にスクリーンを前にして堪能してほしい。
そして、何かを感じたら是非ともライブ盤にも触れてみてほしい。
オリジナルアルバムももちろん素敵だが、本当の意味でボブの魅力を理解できるのはライブ盤だ。
本作については願わくば、サウンドシステム上映会の開催も望みたいところ!

5.個人的BOBおすすめ3曲

映画の感想に加え、サントラに収録されていない楽曲から個人的な思い入れのある曲や、おすすめの曲をいくつか紹介したい。

①Thank You Lord (1967)

俺が初めて買ったボブの7インチシングルだ。
「レゲエアーティスト」として名が知られる以前のボブによる、1967年ごろの作品。
作中では、コクソン・ドッドに披露したスカナンバー「Simmer Down」が取り上げられていたが、こちらはスカがテンポを落とし「ロックステディ」というジャンルへ分化している。

ロックステディでは作中ボブがメンバーに指示していた「ワン・ドロップ」のリズムが初めて登場し、春の暖かな陽気が似合うゆったりとした雰囲気が個人的にも好きだ。
アルトン・エリスやケン・ブース、デリック・ハリオットなど著名なアーティストも多い。

②Who The Cap Fit (1976)

1976年発表のアルバム「Rastaman Vibration」収録。

レゲエの世界では「フレネミー(friend+enemy)」という言葉があるように、裏で安易に人の噂話を流すような人間や、友達のふりをして近づくような人間を強烈に嫌う言説がよく流される。
映画の作中でも、ボブを騙して裏金を作っていたマネージャーが、彼に激昂されめった打ちにされる場面がある。

タイトルはそういった人間に、印となる帽子を被せてやれという意味。
優しいメロディの中にも、生馬の目を抜くような人間関係の機微に敏感だったボブの感性が、遺憾無く発揮された作品だ。
こういった作品の数々が、世界中のレゲエ好きが日常生活を送る上での指針となっているのだ。

③Iron Lion Zion (1992)

打ち込みのリズムが多い「ダンスホール」というサブジャンルからレゲエに親しみだした俺は、正直最初はボブの音楽がピンと来ていなかった。
そんな俺が初めてボブの魅力に引き込まれたのが、彼の死後に発表されたこの曲。
テンポがゆったりめでじっくり聴ける曲が多いボブにあって、アップテンポで聴き手を内から燃え上がらせるようなナンバー。

日本のレゲエの現場でも人気が高く、夜中の3時ごろにこれをかければ盛り上がること間違いなし!という曲だ。
サビの「Iron! Like a lion! in Zion!」はお馴染みの合唱部分。
日本人のファンにも歌いやすいのが嬉しい。

おわりに

最後に、これから本作に触れるという方へお願い。
この映画でレゲエという音楽、というよりも「カルチャー」の豊かさを少しでも感じることができたら、ぜひ日本のレゲエの「現場」に足を運んでほしい。

映画の音響なんて問題にならないほどの、腹の底から響いてくる地鳴りのようなサウンドシステムの轟音に、ぜひ触れてほしい。
それぞれの実存のコアに突き刺さるような何かが、必ず見つかるはずだ。

率直に言って、ひと頃に比べレゲエのシーンは元気がない。
ヒップホップの現在の勢いからは明らかに後塵を拝している。
一方で俺の知り合いのパフォーマーはみんな、そんな状況に引け目を感じることなく「レゲエの魅力を分からせてやる!」という気概を持って頑張っている。

とはいえ、「MUSIC MAGAZINE」のような一流音楽誌に「日本のヒップホップはここまで来た!」なんて書かれると、俺は死ぬほど悔しい。
レゲエという、ここまで生命レベルで訴えかけるような豊かなカルチャーが確かにこの国にも根付いているのに、それが顧みられていないことがただただ悔しい。

だからこそ、本作の公開が後年「あれがシーンの潮目の変わり始めだった」と振り返られるような、そんなチャンスになってほしいと切に願う。

入口なんてなんだっていいじゃないか。
「レゲエはいいぞ!」
そう思ってくれる人が一人でも増えてくれれば、こんなに嬉しいことはない。
本作は、その大きな流れを作ってくれる、間違いない「はじまり」となってくれるはずだ。



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