酔った時が一番そのひとの本音が出ると思っているので酔っ払いがすきです

きっとみんないつだってさみしいし、なにかを埋めたいんだろうと思っていた。わたしはだれかのなにかを埋める存在になりたいと思っていたのだけれど

いちばんなにかを埋められなくて困っているのは自分自身なのだと気づいてしまった。

ひとりでおしゃれなバルに寄って、広めのカウンターに通された。

前菜の盛り合わせには、ふわふわしたなめらかなレバーペーストに、いつから好きになったのかわからない豚肉とピスタチオがはいったパテ、生ハム、かりっかりのバゲッド、カラカラのサラミにレーズンが添えられていた。

わたしはグラスワインを2杯飲んで、すべてを堪能した。店員はちゃんとまわりを見ている。気を利かせてお水もたくさんくれる。

「よくワイン飲むんですか?」なんて聞かれて雑談して、ああ良い店だったなあ、と思いながら歩いていた。

近所にもう一軒、気になっていたbarがあったのだけれど、まんぼうで時短営業していてもうやっていなかった。

じゃあ仕方ない、帰ろうと思って歩いていた。

こんなに良い店に出会ったとしても、わたしは満たされない、それはなんでなんだろうなんて考えながら歩いて帰った。

わたしはいつだって何をしていたって満たされることはない人間なのではないかと思った。

というか、満たされるということや幸せということはそもそも自分で決めることなんだとおもう。

「満たされる」んじゃなくて自分で「満たして」あげなければいけないんじゃないだろうか。

結局のところ、自分を満たしてあげられるのは自分で、OKラインを決めるのも自分なのだから他人がどんなにがんばろうったって満たすことなんかできないんだろうとおもった。

でも、じゃあそうしたら、他人はなんのために存在しているのだろうか、お互いで補えないんだったら無理して近くにいて傷つけあったりするほうが不毛で、お互いにちょうどよく都合よくふわふわと存在するだけなんだろうか。それだったら、そのときたまたまふわっと居てくれるひとは、わたしにとってなんなんだろう。

わたしはその人たちに感謝するけど、それだけでいいんだろうか。それぐらいでいいんだろうか。

それぐらいでいいのかもしれない。


じゃあ、他人になにも与えられない自分はなんなんだろう。

なんて、堂々巡りした夜だった。

ずーっとそう、むかしから同じことでぐるぐるしちゃうから、最近は「哲学」を勉強しなって言われる。

だからしてみます。意味ないことっていっぱいあると思うんだよ、意味あることもいっぱいある。

結局、見ている世界の大小だけであってすべて地球の歴史にくらべたらどうでもいいこともわかってる。

ぜんぶどうでもいいけど、でもせっかく生まれたなら何かしたほうがいいかなーーーーー、くらいのテンションなんだけどそれであってますか、賢いだれか。


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