1、自伝系の難しさ ~約束のマウンド 大塚晶則~



「約束のマウンド」(大塚晶則/双葉社 2007年) ブックオフ川崎店にて200円(税抜)で購入
野球の本、っていうのは結構多岐に渡るんだけど、その中でも一大ポジションにあるのはプロ野球選手の自伝系かな、と思う。毎年一冊は出てるんじゃないかな?
自伝系の書籍ってのはめちゃくちゃ面白いものと全くそうでもないものの二極化が激しい印象を持つ。
こいつが意外なもんで有名選手だから面白い、というものでもなく、案外控えで目立たなかった選手などの方が面白いなんて事は案外多い。
控えの選手はどちらかというとノンフィクション作家の方々がまとめることが多く、その中でも高校野球時代有名だった選手がその書籍のウリになることが多い。
そういう意味では控えの選手で一冊出せる場合は野球でもカルト人気を持っている場合が多い印象を受ける。元巨人→中日の小田幸平とか。

では面白い野球自伝系、と言えばどういうのが出てくるか、というと、大半がどう活躍したか、とかよりは一種の身内本が受ける可能性が高い。
例えばあの選手はこんな性格、こんな面白いエピソードがある、などなど。
これを上手く喋りに纏め、書籍にもしているのは元近鉄の金村義明などではなかろうか。当時でも疑問に思っていたことが社会に出て改めて「やっぱり変だった」と言わしめる姿は講談師のそれだ。
次に出てくるのは何かしらの当事者だった場合。
元巨人槙原寛己などはその典型例で、巨人初のFA宣言、そして残留。94年のメークドラマ。阪神からのバックスクリーン三連発、新庄剛志からのサヨナラヒットなど何かしら現役時代持っているエピソードが多い選手が「あの時はこうだった」と語るものが好まれる。
槙原氏も金村氏同様語りが上手いのは面白い特徴だ。本人達生来の語り好きに加えて何度も語ったエピソード故に話のコツをしっかり作っているのだろう。
大体この辺りが面白い自伝になっているパターンが多い。

…言い換えたらどっちもイマイチな場合はかなり読むのに苦労する。どこを読んだらいいかよくわからないのだ。

一応例外にもあるにはあって、元日ハム→ダイエーの島田誠のようにあまり描かれない社会人野球時代を色濃く書いている場合などは人によっては食い付いたりする。大学や社会人などの中々メディアに当たらないところを丁寧に書かれているものは好かれる傾向は強い。
が、こういうところも弱かったりすると購読意欲は一気になくなる。

書籍の恐ろしいところは書かれた時から時代が過ぎた後にも読まれるというところだ。その時代を知っている人には掴める作品でも五年変われば「なにそれ?」となる読者の方が多くなる弱点を持つ。
そのため文学を語る際は書かれた当時の周辺事情を整える作業が必ず発生するのだが、面白くない自伝系はそこが非常に弱い。
「当時問題になったんだろうな~」
くらいにしか読めないのだ。
読者の関心が薄いものは殊更読まれないので段々と自伝でも「面白くない」ものは結構放り投げられる傾向にあるのだ。そうでなくともタイムリーな話題ではない、という言葉で安くなりがちでもあるのだけど。

特にプロ野球選手の自伝で面白くないものになりがちなのは、最後辺りの章に設置された申し訳程度の技術論が書かれている場合だ。
確かにプロ野球選手の技術を目の当たりに出来る、とプラス思考に捉えられるのだけれど、ある程度読み慣れた人間が読むと
「書くことなくなったな?」
と邪推されてしまう。

これは自伝にのみならず、ノンフィクション作品などでも、今までの作品と全く関係ない浮き足だった章がポッと出てきた瞬間に書籍の頁合わせ、という辛い現実を垣間見た気がしてしんどくなっちゃったりする。
書籍とは頁数の世界でもあるのだ。

書いてる側が申し訳程度に入れているからこちらも申し訳程度に読み返してしまう。
「おっ!」となる記述もあるが、待っているのは前章まで読んだ内容との比較なのだ。
それだけリスキーになりがちだ。

大塚晶則氏の出したこの書籍、値段は1,400円+税金。
これを出す価値は間違いなく時代のタイムリー性、というところだろう。
NPBからMLBへのポスティングが熱い時代、かつそれに敗れ、FAでMLBに進んだ投手、というのは当時の世間を揺るがすほど話題になった選手のMLB移籍と、それほどではないがプロ野球を知っている人なら概ね名前が出てくる選手の事情を読み取ることが出来るのはこういった書籍ならではだ。
案外当時を知るための資料的な価値にはなりうるのだ。
しかしそこには読み物として手に取るというよりは「なにかしらの目的」を求めて手に取る事になるわけで、やっぱり積極的に読むことはない。

そんな資料的扱いになりがちな野球自伝、としてこいつはうちの本棚に眠っている。

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