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変な野球書籍を読む

 仕事でどこかに泊まった時近くにブックオフや古書店があれば必ず顔を覗かせる。なかなかその地でしか見れない古書が置いてあることが多いからだ。
 もっと言えば地域柄も出る。東京は多くの書籍が集うが大阪兵庫界隈だとやはり阪神や高校野球が。名古屋だとドラゴンズでもOBであったり私学四強の本など珍しいものが置いていたりする。その郷土出身の選手が書籍化されたものが売られていたりするので想像以上に面白い。ジュンク堂を通っているだけではなかなか零れ落ちてこないような書籍もあるから古書というのは面白い。

 この前上野で一泊したのだが、そこでこんな書籍を手に入れた。
朝まで生テレビ 俺にも言わせろ!日本人とプロ野球
 ご存じテレビ朝日系列で放送されている朝まで生テレビのプロ野球を話題にしたものをまとめたものだ。おなじみの田原総一朗をはじめとしてなかなかに面白い面々が参加している。例えば80年代欧州の野球を週刊ベースボールでルポライトしていた軍司貞則氏や現役時代の落合博満を追ったねじめ正一。長嶋茂雄と付き合いの強い新宮正春に水本義政といった面々に映画監督の大島渚やお笑い芸人の西川のりお。若林正人やまだタレントだった頃のデーブ・スペクターと二回の収録に関わった人物は多い。
 野球選手からも出ており、エモやんこと江本孟紀。じゃじゃ馬青田昇に神様仏様稲尾様こと稲尾和久。武上四郎に東尾修と多くのOBも参加している。この本が出たのが1989年だから東尾も引退してさほど経っていない。そんな90年代に入る直前の、それこそ昭和の匂いを凝縮したような書籍だ。

 とはいえ彼らは全てがプロ野球に敏いわけではない。
 特に大島渚や西川のりおといった面々はプロ野球の事情そのものをなにも掴んでいるわけではない。所謂プロ野球視聴者の一人でしかない。軍司貞則も野球にこそ関わっているがプロ野球に関しては門外漢に近い。
 しかしそういった彼ら無知な人が原則的に話をリードしているのは面白い。
 本書は二回の放送を使っているのだが基本的に議論の原動力はどちらにも参加している大島渚であったりする。無知であるからこそ自分の思ったこと、また映画監督として見てきた世界からプロ野球の世界を解釈し、考察したことを口にすることで議論が走る。それに当事者であるプロ野球OBやライターが知っている内部事情を出しながら、当事者らの目線も含めて話していく構成になっている。
 読んでみるとその筋分けを行う田原総一朗がやたらに上手い。パスワークが非常に上手で識者から面白い意見をしっかり出させている。時には自らが過激な意見を言って相手から思わぬ言葉を出させていたりもするところがあるくらいだ。なるほど朝まで生テレビがテレビ朝日の看板番組にまでのし上がっただけある。
 なので文書化されたものなのにもかかわらずスピーディな読みごたえがある。目の前で議論しているかのような、会話すら見えてくるようなテンポ感が活字に変わっていても伝わってくるのはまれだ。

 ここに江本孟紀や青田昇といった面々が切り込んでいく。プロでの実績もさることながらやはり弁が立つ彼らが議論の原動力にさらに加速をかけていく。
 どちらかといえば彼らはプロ野球の現在に批判的でそれを本阿弥清や高橋三千綱が他の見方を乗せていく。
 なので意外と濃厚な意見交流になっている。
 本書では最後にプロデューサーである日下雄一が朝まで生テレビを「時代について本音で語り合うことをコンセプトとする討論番組」と述べているように専門家だけでは先の見えただけの会話になりがちで、何も知らない人では目先に映ったものに対する愚痴で終わりかねないものを程よいバランスで整えている。これが本書の魅力だ。
 いささか今の時代とマッチしない外国人選手登録人数問題や江川ルール含むドラフト問題など多少野球史の基礎知識を求められるがそれこそそういった層を育てていきたいベースボールマガジンの仕事であろうからまずはそちらを読んで基礎知識を得てから本書を読んでみると面白さに深みを覚えるかもしれない。

 私はこういうあまり野球書籍っぽくない、いわゆる変な野球書籍を好んでいたりする。
 というのも私自身多少なり本を読む人種で野球書籍もかじってはいるのだがやはりこういった書籍は野球への愛情というか、言い換えれば多少重めのベクトルを感じる時がある。
 それは素晴らしいことではあるのだけれど、一方で話がどんどんとミニマリズム化してしまう事が多々ある。野球界という野辺に咲く花は美しい、というようなニュアンスをどこか含んでおり、その周りの野辺はどういう整備をされているのか、という、批判的な部分を含めて話されている書籍は少ない。
 一方で批判的になる書籍は批判そのものを躍起にしてしまうがために具体例などにかけ、読者ですら「それは偏見に近くなっているのではないのか」と思ってしまうほど主張が行き過ぎてしまうものも多い。この辺りが複数人の意見を挟むと意外な形になっていくことが多いからである。

 そういうところを本書では大島渚や西川のりお、デーブ・スペクターがよく指摘する。大島渚は選手を俳優、チームを制作現場と捉え、その中で見てきたものを語る。勿論正鵠を得ているものは多いとは言えない。
 しかし「映画では芸を磨いた俳優ではなく見た目がいい俳優というだけで成り立つ映画もある。男性だけしか見ていなかった(70年代までの)プロ野球と、西武ライオンズ参入以降の女性が観るようになってきたプロ野球でも同様の事象が起きているのではないか」というものは恐らく野球関係者から生まれる発想ではないだろう。
 西川のりおが「阪神が勝ったことの方が嬉しい」といえば田原が「弱くていいプレーをする選手がいるわけでもないのに」といえば西川が「たまに勝つからいい。八勝七敗でも『たまに勝つ』ことが刺激になる。内容なんてどうでもいいから勝ってほしいし、それが叶ったら嬉しい」というところにファン心理がうかがえる。そこには普段の社会では上司や営業先に言われっぱなしだからこそ球団に投影して、勝てないかもしれない相手を倒してもらうところがあると西川は述べている。生活のガス抜きとして使っているのだからプレーそのものはどうでもよく、勝てば全て許される、という社会とファンの関係を述べている。
 これもまた球団の内部にいる人間からしたらなかなか出てこない言葉であろう。

 こういった自分の世界でも厳しいところで戦ってきた人々の鋭いコメントが飛び出てくるから思わず目からうろこ、となる事が多い。どうしても知識を持ってしまうと、知らない人の言葉やかじったくらいの中途半端な意見を知識ですりつぶそうとしすぎるきらいがある。かといって力こぶを込めて全てを出しても理解してくれる人は少ない。とはいえ感情だけで動いている人の意見は意見としてまとまっておらず、かみ砕くのが大変だ。

 こういう時に、様々な経験を通して事象を語る人の言葉というのは大変貴重になる。「門外漢にはこう見えている」これを得る事がどれほど難しいのかは多くのマーケティング戦略が常識となりつつ現在ならば理解できるところだろう。
 興味のない者の私見を通した意見というのはどれほど鋭い指摘になりうるか。勿論全てがあっているわけではない。自分の経験しか通していないからこそ過去の踏襲を踏まえていない、見当違いな意見も出てくる。しかしそれでもいいのである。それをきちんと切り分けるのが学んだ人間が最もやらなければならない行為なのだから。

 だからこそ改めて自分の意見がどの程度の位置にあるのか、を見直せるのである。自分の思った事柄について妄信的になっていないか、かといって重要となっている話題に無頓着になっていないか。ここを改めて見直す立派な自己否定の教材となるのである。

 昨今は情報の伝達が多くなってしまっており、こういう玉石混合の意見を混ぜたような書籍が見当たらなくなってしまった。ほとんどが意見を寄せたコンセプトメイキングな書籍ばかりになってしまった。そうでなくても野球は批評的な題材を扱う者が少なく、あったとしてもセンセーショナルさばかりが際立つ内容になりがちだ。その書籍たちにはまとまった意見が入手しやすくなった半面、本書に流れる意見がどれだけ社会通念と繋がるかといったところから乖離しがちだ。言いたいところを言い切ったから満足、という書籍は過去も多くあったが今はかなりそういう書籍が増えてきたように思う。

 だからこそこういう書籍というのは価値があると思っている。

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