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俺と格闘ゲームの話 4 ~ストリートファイター2の話 4~

1、クソガキ、格ゲーと別れる

 今の格ゲーファンには想像もつかないかもしれないが格ゲーは一度絶滅の危機に瀕している。
 当時格ゲーをしていた人たちの年齢が上がり、いわゆる世代交代する事で一気に人口が減ったのだ。

 実際問題、俺達クソガキが中学生に上がる頃は格ゲーは大分苦戦していた。ストリートファイター3が出たという話を風の噂で聞いたくらいで、もう大半が格ゲーの事など覚えておらず、覚えている人間も大半がKOFとバーチャファイターに流れていた。
 その両者でさえ陰りが見えていたから田舎ではほぼ絶滅に等しい光景だった。

 事実小学生時代は格ゲー漬けに等しかったクソガキの俺も中学から格ゲーはほぼやらなくなる。復活するのは高校を経由しての大学からだ。
 もうすでに世の中では格ゲーは死んだジャンル扱いされており、実際2000年頃には一部やアマチュアが細々と続けていくだろう、みたいな見立てであった。

 クソガキたちの環境も変わった。

 まず格ゲーに変わる存在としてゲームボーイからポケットモンスターが現れた。
 ポケットモンスターも現在はすこぶる勢いだが当時は社会現象になるまで少し時間を要する。今のようにキラーコンテンツではなかったのだ。

 どっちかってーとじわ売れの印象が強い。
 当初は赤、緑があったのだが、コロコロコミックがガンガン扱ってやる層が増えていったという感じ。地元では赤よりは緑をやっている人が多かった。
 そうやって一時的なブームになったくらいのタイミングでコロコロ得点販売としてブルーバージョンが販売。そこから一気に跳ね上がってアニメ化に行きついて、という感じだった。

 ポケットモンスターの前にたまごっちが世間的に大ブレイクしていた、というのも大きかっただろう。たまごっちの落ち着きと共にポケモンが台頭した印象がある。

 たまごっちやポケモン、デジモンなどのいわゆる携帯モンスターゲームが小学校の中で流行っていき、今まで主役だった格ゲーが隅に追いやられて行った。実際クソガキだった俺もリュウよりはポケモンのブーバーとかバリヤードとか育てていた。

 それ以外にもミニ四駆やハイパーヨーヨー、ビーダマンといったホビーが流行っていったのもあった。俺はその頃にはガンプラにも触れていたか。
 ミスターマックスで弟と一緒に刀覇大将軍を買ったのを覚えている。

 一応映画などの影響もあってストリートファイターzeroなどもやられていたが、まあ昔とは程遠い状況だった。誰かの家で回しゲーなんて過去の事になっていった。

 そうやって格ゲーは落ち着きを見せていたのであった。

2,なぜ格ゲーがここまで消えたのかの考察

 実際2000年には格ゲーはほとんど姿を消していた。
 いわゆる一部の格ゲーマーがやるもので、興味のない人にとって格ゲーは過去の遺物となっていたのが俺がクソガキから思春期に上がる頃であった記憶がある。

 ただ、今思い返すと格ゲーにみんなが飽きていたか、というとちょっと疑問が残る。スパ2Xが出ていた時点でスト3が出る、という未確定情報は出ていたし、ストZEROだってあった。
 でも落ち着いていたのは本当でストZERO2くらいまではまだ人がいたものの、ZERO3はもう俺も知らないものになっていた。スト3が出た頃なんて知るわけもなく。

 ただ、あそこまで落ちぶれるとは誰も思っていなかった可能性はある。

 ではどこでしくじったか。
 俺はスパ2Xのコンシューマ対応だと思うのだ。

 当時のクソガキどもなら知っていると思うが、なんだかんだスーファミで格ゲーするのは鉄板だった。飽きが来ていたのもあったとはいえ、誰かの家に数人集まったら格ゲーをする、というのは割と定番だったように思う。
 それ以外だとロックマンズサッカーとか、バトルドッジボールとか対戦型のゲームが多く、とにかく遊びに行った時のゲーム選択に格ゲーは割とあった。

 だから何事もなければもう少し衰退は緩やかだったはずだ。

 一方当時、スーファミには割と限界が見えていたのもあり、次世代コンシューマゲーム機が戦争状態になっていたのは事実だった。
 FF6、クロノトリガーといった大作がスーファミで出ていたものの軒並み1万を超えており、親の懐にはまあまあしんどい状態だった。
 そしてスーファミが次世代規格を作る事をしていなかったために我先にと光メディア、いわゆるCD-ROM規格を使ったゲームメディアで戦争が勃発。どのコンシューマが先に出るか分からない状態だった。

 結果としてはご存じの通り任天堂の裏切りによってSONYが独自規格として出したプレイステーションとバーチャファイターなどの強力タイトルを持つセガのセガサターンの一騎討となり、FFを持つスクウェアを取り込んだプレステの勝利に終わった。

 で、問題のスト2だが、この時松下電器(現パナソニック)の出す3DO REALに出すことになる。
 3DOと言ってもあの当時の人でないと知りもしないだろうが、当時3DOというゲーム機があり、それも複数企業から出ている謎のコンシューマゲーム機だったのだ。
 複数企業が出ている理由も、ライセンス供給元の3DOカンパニーがライセンスを販売して、買ったメーカーがゲーム機を使って売るというもので、松下電器のREALを皮切りに、後々パナソニック傘下に入る三洋電機が3DO TRYを。金星社(のちLG)が3DO ALIVEを。とかなり混乱する事になった。

 で、売れたかってーと、やっぱり売れなかった。
 ウルトラマンが出るってのはクソガキも知っていたけど、続かない。
 ストリートファイターの新作が出るっていうが、クソガキどもはみんなスーファミで持ってる。
 マリオもなければロックマンもない。ドラクエもFFもない。
 んなハード誰が買いますかって話で、そのまま終わった。

 一方で前述したとおり、セガとソニーがガッチガチに殴り合ってスクウェアを味方につけたソニーの圧勝で次世代ハード戦争は終結を迎えることになる。
 任天堂もウルトラファミコンことニンテンドー64を持ってきたが時すでにおすし。FFと5000円近くまで安くなったソフトを前に沈黙を強いられるのだった。
 勿論こののちに格ゲー界に乗り上げてくるあるタイトルがニンテンドー64に現れたり、今後の布石になるのだがそれはまたいずれ。

 その次世代ハードの移行に失敗したストツーはクソガキたちから思い出される事もなく消える。同じカプコンのロックマンはPS,SSに移籍してそれなり成果を見せる一方、無残な結末を迎える事になった。
 そして過去のアクションにとどめを刺すかの如く現れたバイオハザードという怪物によってカプコンのストツーはクソガキのみならずほとんどの人から忘れ去られるのだった。

 もしここでスーファミないしPSかSSにスパ2Xが出ていたらもう少し違う未来もあったのではなかろうか、とは思ったりする。
 実際問題KOFはそこそこ頑張っていたから尚更。

 ある意味で貧乏くじを引かされたストツー。
 ここからストゼロを経由して冬の時代を迎えるのだがそれはいずれ。

 そうやってクソガキたちの元から格ゲーが消えていくのだった。
 復活するのはここから6,7年近くを要する事になる。

3,クソガキ、ストツー。そして親との思い出

 そんなクソガキの俺とストツー。
 一つだけ思い出がある。

 数話前でスーパーにストツーがあった話をした。
 俺の家はことアーケードゲームに関しては親が厳しく、後のNEOGEO編でも語るがアーケードゲームは基本的にさせてもらえなかった。

 そんな時、俺がおふくろとそのスーパーで買い物をしに行った時、スーパーの空いたスペースにおいてあったストツーをさせてくれる、と言ってくれたのだ。
 あの当時はストツーが多く出回り、海賊版もあったくらいだからそのスーパーにあったストツーがどのバージョンだったのか覚えていない。スーパーが廃業してもう十年以上経っている(下手したらもう二十年近くたっているか)ので真実はもう誰にも分からないだろう。

 だが、おふくろは俺のわがままをその時だけ聞いてくれた。
 おふくろが俺をストツーの筐体に座らせて、インカムに100円を投じてくれたのだ。

 ただ、それが1クレ50円かなんかだった記憶があって、100円で二回出来ると思っていたおふくろは出来ないと色々試行錯誤の上に「ぬかてぃ、これ壊れているから諦めなさい」俺に諦めさせて帰った。
 おふくろのいう事は絶対だったから俺も諦めて一緒に帰った記憶がある。


 結局遂に俺はストツーを筐体でやる事なくクソガキ時代を終えたのだ。でも妙にその記憶だけが残っている。

 あのおふくろが、唯一ストツーをスーファミ以外のゲーム機でやらせてくれようとした思い出。
 その時ロックマンにもはまっていたから、俺がカプコンに染まっている事を陰ながら色々考えてくれていたのかもしれない。それを表に出さなかっただけで。
 大人になり、そのクソガキがおふくろが当時のクソガキを子供に持っていた年齢になると、なんだかその姿がふと思い出される。
 あの時おふくろはクソガキの後ろ姿を見て何を考えていたのだろうか。おふくろはもうそんなこと忘れているだろうから聞いてもなにも思い出せないだろう。
 その程度の小さな思い出だ。

 だが、俺にとっては大きな思い出だ。

 そして今でも俺はあの、壊れていると言われた筐体の前に座って、うしろでおふくろが見守る中、ストツーをやろうとしているあの日の事を。

 今でも、今でも。
 俺は思い出す。

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