ここ最近の事を通して思う事

1,日米の懐かしい記録が掘り起こされていた

改めて時代の変化を感じている。
ヤクルト村上宗隆が55本の本塁打を打てばヤンキースアーロン・ジャッジが遂に61本目を打った。
日米で一つの壁とされる王貞治の55本、ベーブ・ルースの60本が一気に見直される年となった。
村上は日本人の55本越えを、ジャッジはロジャー・マリス越えの62本を乗り越えてくれることを期待されてこのシーズンを終えるのではないだろうか。特にジャッジはアメリカ生まれのアメリカ人かつルース、マリスと違いヤンキース一筋の生え抜きである事は付記しておきたい。
それが成功するにせよしないにせよ、怪我無くシーズンを乗り越えてほしい。記録は紡ぐものであり、夢見るものであって、それは来シーズンでもありうる。その成就のために体に無理をしないでほしいものだ。

そういう意味では多くの記録が塗り替えられる一年となった。
日本の佐々木朗希が完全試合をしたことを皮切りに多くの投手がノーヒット・ノーランやそれに準じた試合を連発。遂に1950年以降のシーズンノーヒットノーラン3回を超える4回を達成、アメリカではカーディナルスのアルバート・プホルスが700本目の本塁打を打ち個人通算4位に浮上。
特に1位のバリー・ボンズにはステロイドによる本塁打の増加などもあるために彼を除けば一位のハンク・アーロン、二位のベーブ・ルースに次ぐ三番目となる。アメリカ出身でない選手初の700号という事も付記しておきたい。

そうでなくても阪神のエースがサイドスローの青柳であったり、西武の勝利数稼ぎ頭がアンダーハンドの與座であったりと多くの事を反芻する一年となった。

2,一方で去る選手たち

一方で私は今年でユニフォームを脱ぐ選手たちの姿を見ると時代を感じずにはいられなかった。

まずヤクルトにいた嶋基宏が引退をした。
彼のプレーを覚えている人も多かろうが、最初に思い出されるのは2011年における東日本大震災で選手会長としてプロ野球による東北へのスピーチではないだろうか。
東日本大震災という未曽有の大災害を受け、その影響も少なからずあった東北楽天ゴールデンイーグルスの選手会長として自分の言葉を発する事は当時のプロ野球を代表するシーンそのものだったはずだ。
その彼が遂に引退をする。

同じくヤクルトに在籍した内川聖一も引退をする。
多くの問題を抱え、球団身売りに発展してしまったTBS傘下での横浜ベイスターズで活躍し、首位打者を獲得。FAで地元福岡ソフトバンクホークスに行くとそこでも首位打者を獲得し江藤慎一以来の両リーグ首位打者を経験した、文字通り打撃職人であった。

そして最後の近鉄戦士である坂口智隆も引退する。
あの大きな喧騒に包まれた2004年を知る選手が遂にいなくなった。
また、逆指名時代の大型選手であった福留孝介、自由枠の投手から野手という異色の経歴となった糸井嘉男と、平成の大決算と言わんばかりに選手が消えていっている。逆指名、自由枠を知る選手も残すところ数名となった。

700号を打ったプホルスも今年での引退を言っている。
2000年代を支えた長距離砲が遂にバットを置く。

まるで平成が終わる事を伝えるかのような幕引きを見せているのだ。

3,野球外に目を向けても

先日「楽太郎」の名前も懐かしい六代目三遊亭円楽が亡くなり、今日、プロレス界の雄アントニオ猪木がなくなった。
私のような30代の人間だとすると「テレビをつけたら結構見る人」「あんまり落語やプロレスを知らなくても名前を知っている人」というような、いわゆる2000年代まで顔役を引き受けていた人が多くなくなっている。

勿論毎年多くの方がなくなられているが、これほどメディアで知られた人が一気にこの世を去るのは驚きを覚えずにはいられない。

ふと思い返すとある意味我々が慣れ親しんだ「テレビ」の世代がここ数年でも今年は一気にいなくなった、という印象が非常に強い。

ここに名前を列挙した人物の多くは主戦場を持ちながら「テレビ」という世界で多くの人に知られた。
アントニオ猪木の試合を観ていなくても「1,2,3ダ―!の人」と言えば同世代には伝わるし、落語を聞いていなくても「笑点の紫」と言えばピンときた。
嶋のスピーチ、近鉄最後の選手、という言葉はテレビジョンから得て、そこから選手たちに繋げていった人も少なくないだろう。

だが村上やジャッジといった今活躍する人々はもうテレビの人ではない。
佐々木や村上はテレビよりはSNSなどのインターネット媒体で知ったという人も多かろうし、今では当たり前になったチャンネル契約で多くの試合を観る中でジャッジを知ったという人も多かろう。
もう民放がその人にクローズアップしてそこから注目を集める形ではなくなりつつある。(勿論まったくなくなったというわけではなく、未だにインターネットの情報媒体はテレビや雑誌経由という事も多々あるためその機能を失ったとはいえないが)

そんな新たな時代のスタンダードたりえる選手たちが新たなメディアの中で周知されていき、昔ながらの多くの人に広く浅く認知される世界で活躍した、いわゆる古いメディアの人々が一斉に華やかな舞台から去って行っている。

そこに私は時間の流れを感じずにはいられない。

4,故きを温ねて新しきを知る

大谷翔平のようにレッドソックス時代の、野手をこなしながら投手をこなしたベーブ・ルースが現れれば、アーロン・ジャッジのように、ホームランを見せる可能性を高めるために作られたヤンキースタジアムで60本のホームランを打ったベーブ・ルースが現れるなど、本当に歴史上の人物の名前が聴ける一年であったように思う。
特に日本では王貞治(本当はバレンティンの存在がいるが触れられていないのは日本人故に仕方ない)、槇原寛己と巨人の名前が募る記録に、一方ではヤクルトが、一方ではロッテが名を残すことを考えると、遂にテレビの王様であったプロ野球中継、それも巨人戦が終わりを迎え、巨人をベビーフェイス、他球団をヒール(もしくはその反対)とした構造が壊れていっているのを目の当たりにしている。
またその二球団が東京に所縁あるチームなのもまた何とも言えない。国鉄、サンケイと身売りを繰り返していたスワローズに東京から出ていかざるを得なかった毎日という二つのチームから巨人の輝かしい記録にかみつく事になったのはある意味プロ野球巨人体制の終焉であり、ヤンキースと同じように「アメリカのヤンキース」ではなくニューヨークの1クラブチームとして生きていく事を求められる時代になるのだろう。

そういうのを捉えると、昭和、平成と続く一つの文化が一旦フィナーレを迎える一年であったと言えるのかもしれない。

それは言い返せば新たなスターや物語が始まる前触れでもあると私は考えている。
戦後に力道山が出てきて日本のプロレスを作り、長嶋茂雄や王貞治の登場がプロ野球を一気に進化させてきたように、新しい時代が訪れる段階が遂に来たと言っても差し支えない。

彼らの記録が掘り起こされて新たなヒーローの誕生を喜ぶ。
そういう故きを温ねて新しきを知る時代が始まった、と確信にも近いものを私は覚えている。

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