南九州のfield of dreams ~薩摩おいどんカップ存在の意味~

大学、社会人、クラブチームはおろか独立リーグ、プロを交えたロイヤルランブルが始まる。

二月になると多くの大学や社会人野球部が九州に訪れる。
過去多くのプロ野球選手が別府で自主トレに励んだという文章が残るほどこの時期の九州と野球選手の関係は切り離せない。比較的気候の温暖な中九州から南九州ならではトレーニングしやすい環境だったというのが大きいだろう。

そんな南九州は鹿児島で県内の球場を使った大きな大会が実施されている。
それが薩摩おいどんカップだ。

「この話が持ち上がったのは3年ほど前ですね。鹿児島でキャンプを張っている大学野球の監督さんの間で『みんなで交流戦やったらいいんじゃないか』という話が上がって、去年の夏に具体化して、記者会見をしたわけです。

大会のアンバサダーは鹿児島県姶良市出身の川﨑宗則さん(元ソフトバンク、大リーグ、現栃木ゴールデンブレーブス)がお引き受けくださいました。当初は20チームを超えればいいほうじゃないかと言っていたのですが、36チーム。まさかこんなに増えるとは思っ

野球界の「縦割り」を打破する大会ができたワケ/東洋経済オンライン

これは大会実行委員長を務める小薗健一氏の言葉だ。
この時期は大体一月下旬から二月上旬にかけてキャンプを行い、その後オープン戦を開始し他大学や社会人野球チームと鎬を削り4月のリーグ開幕を目指すところが多いが、そういうオープン戦の概念が非常に強い大学野球から出た発想であることが容易に想像できる。
元々歴史的にみてもキャンパスが近いことからリーグが違えどライバルとしてよく練習試合を行っていた明治大と駒沢大みたいな関係もあれば旧帝大七校が帝大ナンバーワンを決めるために七大学総合大会で野球部も争うなんていうのは知る人も多い。(そしてその七大でも東大野球部がかなり強いことも知っているはずだ)
リーグが違えど交流をする、というのは大学野球を知っている人ほど多いはずだ。

この時期の大学野球や社会人野球のオープン戦は原則本人たちの間で行うために一般開放しないところもあるものの、普段所属しているリーグ以外のチームが戦う魅力的なカードが多く、しかも本戦ベンチに入るか否かみたいな選手が多く出てくるので面白い。私も昔慶應義塾大学と日本体育大学のオープン戦を見に行ったものだ。その時は現在ヤクルトで投げている吉田大喜投手や引退した元東芝北山比呂投手が松本航(現埼玉西武)、東妻勇輔(現ロッテ)の後を担うべく起用されていた記憶がある。

これを大きなキャンプを多くが行う鹿児島で大きなイベントとしてやってしまおうということだ。

かなり大規模なイベントで、多くの公式戦が開かれる鹿児島の球児ならだれもが知る県立鴨池球場(現平和リース球場)だけでなく、薩摩川内市の薩摩川内総合運動公園野球場、日置市の伊集院総合運動公園野球場、姶良市のビーラインスポーツパーク姶良野球場、鹿屋市のMORIオールウェーブスタジアム、枕崎市の枕崎市野球場。
まさに鹿児島全土が野球の会場となる。
その昔集英社の週刊少年ジャンプでやっていた漫画『キン肉マン』が敵の超人レスラーと戦う際、全国あらゆる土地にリングを作って戦う様式をしていたことを連想させる。キン肉マンが好きなファンなら
「ロビンマスクとアトランティスが戦ったのは上野・不忍池マッチで……」
というような具合に覚えているだろう。まさにそれを鹿児島県でやっているのだ。
あくまで交流戦のために順位付けなどは行っていないものの、二年目にして注目度は高く、アマチュア野球ファンなら知らない人はいない大会となりつつある。

今年こそソフトバンク、火の国サラマンダーズといったプロは参戦していないものの、2023年に関して言えばまさに独立含むプロアマが入り混じるロイヤルランブルであった。

現在NPBを中心にアマチュア野球やプロ野球の在り方が変化しているのは多くの人が指摘するところだろう。
1961年の直接的原因になった柳川事件に端を発すると実に半世紀以上各々の団体が独立性を保っている現状は珍しい。独立性そのものはアメリカでもそうなのだが関係が芳しくない中での独立というのは日本独自だろう。金銭による強引な選手引き抜きやエクスパンションによる社会人野球チームの撤退など、既存の野球界に喧嘩を売っているようにすら見える行動をしてきたプロ野球と、穴吹義雄と小説「あなた買います」などで社会的にも懐疑的にみられいたことを考えるとかなり融和が進んだように思える。

現在でこそプロ野球の二軍と社会人野球部が試合をすることも増えてきたが過去を考えればありえないしあってはならないものだった。
プロ野球が2リーグ制になった1950年を見ても社会人野球の強豪であった林兼商店、西鉄が参入。別府星野組にいた多くの選手が毎日オリオンズに入るなどかなり恨みを買うような環境になっている。都市対抗野球大会における補強選手が2リーグ制に端を発することを社会人野球ファンはご存じのはずだ。

都市対抗野球大会が「いずれはメジャーリーグのように」とあくまで都市の代表として試合に出るという、いずれはプロを視野にいれていた社会人野球にとって1938年の読売新聞と東京野球俱楽部の存在はまさに横槍だった。
今でもドラフトで指名された選手を我が物のように主張するプロ野球ファンを快く思わないアマ野球ファンは多い。ある意味社会人野球はプロ野球に奪われてきた経緯がある。

それこそ1981年のロサンゼルスオリンピックで野球が公式種目に選ばれたために「社会人野球はオリンピックのもの」という新たな目標を得られたものの、84年の制度改定に伴いプロ解禁になってからその地位は揺れ始め、最終的に00年代にはオリンピックすらプロのものとなってしまった。
そういう意味では21世紀というのは社会人野球の存在がいつも論じられるようになってしまった。そうでなくともバブル崩壊から熊谷組野球部解散に至るまで会社と人の在り方に変革を迫られた結果、家族的集合体としての側面を持ちえた企業と個人の在り方が崩壊し、各々が距離を持つ時代に突入した結果社会人野球の根底が崩壊してしまった。
そういうところを含めてのプロ野球と社会人野球の雪解けという側面を持ち合わせている。

また00年代に登場した独立リーグの存在も大きい。
最初こそ「牛を飼う球団」ともっぱら金銭的余裕の感じさせられない、存在感の薄い独立リーグであったがノウハウを確立してから育成指名を中心に指名が増えていき、遂には本指名の獲得やFA権利取得に伴う移籍選手の発生など、力強い土壌が生まれているのは誰もが知るところだろう。
未だに封建的な部分を持つ大学野球や社会人野球をやめ、独立リーグで一念発起という選手も特に去年から増え始めた。
今まで「大学や社会人の野球部へ推薦されなかった、またはそういったコネクションがなかった選手の行き場所」「自分へとけじめをつけるためのもの」であった独立リーグが変わり始めつつある。
改めて社会人野球部の在り方が変わってきたのだ。

かといって独立リーグもNPBの二軍エクスパンションなどで変化を迫られている。独立リーグとして建てる予定だった球団が急に方針転換をしてプロの二軍になったり虎視眈々とNPBに取り入ることを考えるチームも出てきた。
経済的側面から地方に籍を置いていたチームが関東にやってきた結果、そのチームを応援していた人々から顰蹙を買うなど、過去のような形から大きく変化している。
社会人野球が好きだがプロは、という人がいるように独立リーグは好きだがプロは、という独立リーグへの帰属意識を持つ人も少なからずおり、彼らを顧みない変化にその怨嗟にも等しい苦しみを吐露する文章を書き連ねる元独立リーグファンもいるほどだ。
独立リーグがどうあってほしいか、今後どうあるべきかも20年は経つ独立リーグ史の中で変化が伴い始めている。

そういう意味では大学野球はよかった。
プロであろうが社会人であろうが就職させればそれが実績なのだから。なんなら現在は独立リーグに行くことも実績としてカウントされる。
彼らの最終目的は学生である球児を育て、チームを優勝させ、選手の活躍如何関係なく選手を就職させるものだ。それがプロ野球で大学の名前を日本全国に響かせるもよし、その多くが一流企業である社会人野球部に入部するもよし、それを辞めて一企業人として野球部のある企業に就職するもよし、独立リーグで現役を続けるもよし。就職させてしまえば全てが実績となる。
過去社会人野球と共に独立のほうへ向いた大学野球ではあったが、就職という点では全員一学生だ。強引な手を使ってでも選手を囲い込みたいプロ屋雄と、プロ野球と対立の方向へ向かざるを得なかった社会人野球と、追従と猛変化の独立リーグとは違った関係に落ち着いていった。
なにがあっても最終的に「うちの大学卒で就職してくれればいい」大学が強かった。

そういう歴史を踏まえれば鹿児島という野球選手の多くがお世話になる地と大学野球という存在がその複雑怪奇に絡んだ三者三葉の面々をまとめた、というのは面白い。
さらに言えば過去その形が基本であったのにも関わらず資本介入が弱いために社会人野球の日陰者のような扱いをされてきたクラブチームも多くが参加しているのも大きい。
九州から多くのチームが参加しており、欽ちゃん球団と言われた茨城ゴールデンゴールズ対戦のために集められた、いわゆる全鹿児島が原型の鹿児島ゴールデンウェーブ。
2019年、久留米にクラブチームを、という言葉と共に作られたREXパワーズ。
ライオンズブルーの名を作った80年代西武黄金期の司令塔にして西武、ロッテの監督をした伊東勤が総監督をすることで話題に上がったARC九州。
広島でリリーフの一角を担った一岡竜也を輩出したことで有名な沖データコンピュータ学院。
そして私の地元である筑豊からも嘉麻市バーニングヒーローズが参加している。昨年度は独立リーガーも輩出したこのチーム。私は嘉麻市以前の山田市がどういう場所であったかを記憶しているのでぜひあの山間の町からも野球に闘志を燃やす人々がいることをプレーで出してもらいたい。

今一番野球選手を平等に扱う大会へと変化していっている。
そこにプロ、アマの垣根なく、各々が一クラブチームとして試合を行う、まさに選手にとっては夢の環境が鹿児島に生まれたのだ。

また鹿児島全域で行っていることも含めおいどんパスポートなど地域活性化に役立てようとしていれば(2024おいどんパスポート創刊!)、慶應義塾大学野球部との夕食会開催といった野球ファンや関係者に影響を与えそうな規格を催したり(慶應義塾大学野球部との夕食会開催のお知らせ)、ZETT共催のもと親子グローブ作り体験教室を開催(【無料】親子グローブ作り体験教室開催!)するなど多くの社会貢献と経済効果の提供をもたらそうとしている。
多くのチームが野球をすることによって多くの副産物を落とし、それが多くの経済波及効果を生むことを鹿児島が証明している。
まさに一世紀近くかけてナショナルパスタイム的な存在として成長した野球がなせる業でもあり、それを生かした鹿児島県の技あり一本なのだ。(本来ならばこの前に同じようなコンセプトで始まり2023年に6回目も無事終わらせた釧路市で行われる夏のロイヤルランブル、タンチョウリーグinくしろを先に紹介せねばならないのだが、やはり私は九州出身の人間なのでどうしてもこちらを肩入れしてしまうので許していただきたい)

口を悪くいってしまえば、本来プロ野球が率先してやらなければならないことを今鹿児島が全力投球でやっているのだ。今や娯楽の王道がテレビではなくなった。だから大都市の球場だけで野球をやっていたら野球人口が増えるわけではない。見てみろもはや日本の野球人気は大谷翔平でなんとか賄っている現状だ。プロ野球選手を言える人は減っていても大谷翔平の名前を言える人は日本人どころか世界で増えている。
これを打破せねばならない時期まで来ていることにそろそろ気付いてもらいたいのだが。(そういう意味では2022年日本ハムの北海道巡業は意味がある。23日の釧路における日没コールドなどはこの先プロ野球で何人がそれを経験できるか分からない記録、記憶共に最高の21世紀が生んだ20世紀の残り香がする伝説になっていくだろう)

閑話休題。

私は野球は地域を活性する手段になるべきであると常々言ってきた。
クラブチームを応援するのも結局は「おらが村のチーム」「おらが町のチーム」が人の往来を活発化させるためであり、それがそこに住む人の娯楽になるだけでなく地域経済の活性にも役立つためだ。
まさにその理想を鹿児島はかなえている。

「薩摩おいどんカップ」は、大学から社会人、プロまでがカテゴリーを越えて戦う大規模な交流戦で、初開催となった去年は2万人以上が集まり、経済効果はおよそ6億3000万円に上りました。

薩摩おいどんカップ開幕 開幕戦は慶應大vsJR東日本 来月10日まで熱戦続く 鹿児島/MBC南日本放送

特に田舎出身の私からしたらこのようなスポーツによる経済波及は見逃してはならないと思うのである。

そしてなにより選手にとっても理想だ。
選手にとっての夢とは何だろうと考えた時、一つは多くの試合に出たいという事だろう。
中には「あのユニフォームを着て」「あのユニフォームを着た選手たちと」というような思いを持つ選手もいるはずだ。
それが今着ているユニフォームで戦う事が出来る。ソフトバンクのユニフォームを着た選手たちと。名門社会人野球部のユニフォームを着た選手たちと。あの大学のユニフォームを着た選手たちと。
着ることが叶わなかったあの、いつか着たいと思ったあのチームの選手に居間の全力をぶつける環境があるのだ。

私は「field of dreams」という映画が好きで、いつも観る度に「野球にとっての夢とは」と考える。
我々観客席側の住人はえてして稲尾だの沢村だの榎本だの山下だの、自分にとって都合のいい選手がこれまた都合よく活躍する姿の夢を見がちではあるのだが、選手にとっての夢とはなんだろうか、と考えた時、これが満場一致の答えとは言わないまでもこのおいどんカップは一つの夢をかなえているのではなかろうか。
今後叶う夢もあれば、振り返った時に見える夢もある。それを掬って拾える場所のような気もする。
鹿児島への経済効果がその夢への賃貸料と思えば、決して高いものではないと思うのだ。少なくともアイオワのトウモロコシ畑に払う20ドルと同等くらいはあるだろう。

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