今更GRANDSLUMを買った

都市対抗野球大会も近づいてきたので今更ながら唯一定期的に出されている社会人野球雑誌「grand slum」を今更ながら買った。今年は前半がバタバタしていたから少しずつ生活も安定しつつあるのだろう。

基本的にgrand slumは春と秋に一度ずつ出される。
都市対抗野球大会のための選手名鑑、都市対抗野球大会総決算と全日本社会人野球選手権の準備号というのが基本か。ここに多くの選手が載り、時にはドラフトにかかり現在もプロ野球で活躍する選手の姿を見る事が出来る。

一方で特に春号はなかなか寂しい情報も載る。
チーム紹介の際、小さく表示される「退団」の二文字だ。
ここで多くの選手がユニフォームを脱いだ事を知る事になる。いや、実際はどこかで知りえていたのだろうがこうやって書面にされると改めて「勇退されたのか」と寂しい気持ちになるのだ。

仕方ない部分もあるが特に投手がよく減る。
神奈川に生息しているために神奈川の社会人野球を観ているがやはり数年前からエースやクリーンアップとして意識されていた選手がいなくなるのは悲しいものを覚える。
特にプロ野球と違って何か統一した機関から公示が出るわけでもない。チーム内で粛々と執り行われていく。
現在でこそSNSが増えた事によってその情報を得る事は多くなったが、それでも大々的に、という選手は少ない。
156km/h右腕小又圭甫投手(NTT東日本)や天理大の一番であった米満凪選手(北海道ガス)、大阪ガスのエースであった温水賀一投手、どちらかというとSNSでの印象が強い中川一斗投手(JFE西日本)などが消えていくのは時間の無情を感じさせる。

勿論例外もあってミスター社会人と呼ばれた一人であるNTT東日本の大竹飛鳥投手や守安重工守安と呼ばれるほど三菱重工神戸・高砂を支え続けた守安玲緒投手のようにプロ程とはいかなくとも紙面に載るような惜しまれる引退みたいなものはあるが、基本は多くの選手が志半ばにして「社業専念」という言葉と共に消えていく。
ENEOSをなんだかんだ応援しているので江口昌太投手や小林遼捕手の名前がそこに載っているのは寂しさを覚えずにはいられない。またライバルの一つである東芝からは日体大時代から追いかけていた北山比呂投手、近藤凌太投手や堀米潤平選手や吉田潤選手とバリバリキャリアだった選手が消えていくんのは時間の変化を感じさせられて悲しい気持ちにはなる。

社会人野球は高校や大学と違い、その次のステージがNPBしかないところからほとんどが選手としての終着点に終わる事が多い。勿論MLBへのステージもあるにはあるが何分吉川俊平投手(元パナソニック)の一件からなかなか声に出しづらいところがある。そうでなくとも田澤純一投手(現ENEOS、元レッドソックス他)の一件でタブーとまではいかなくともざわつきやすい界隈ではあるので今のところはNPBがほぼ進める唯一のリーグとなっている。

社会人野球の企業チームになると功利企業の看板を背負う事もあってか選手の新陳代謝は容赦ない。怪我をすれば待ってもらえる事の方が少なく、待つにはそこそこの理由を求められる。でなければ三年もしないうちに勇退の道を進めさせるパターンがほとんどだ。
試合数はプロよりも少ないものの肉体のケアと成長のバランスを維持しておかなければ試合に使ってもらえない。そしてその試合数の少なさは選手一人ひとりのチャンスが少ない事に直結する。自分のポジションにそのチームを代表するような選手がいた時は最後。死ぬ気で選手を他ポジションに追いやるか自分が他のポジションに移動せねばならない。
そのような事情が重なるために即選手失格の烙印を押されかねない世界の中でプレーしているのだ。そこには年間通して活躍できなければ即戦力外のプロ野球とは違った緊張感がある。

そのようなせめぎ合いの中でプレーを続けているのだ。

シティライト岡山かどこかの月間日程を見た事があるのだが彼らの生活は社会人としては厳しい。
仕事自体は三時間ほどなのだが午後から練習が入る。そしてそれが五日間続き土曜日も練習であった。そして日曜日やっと休みを貰えるというものだ。ここに大会など挟まればまた変わってくる。
パンチこと佐藤和弘がyoutubeでのコメントで「大会に出ると出張扱いでお金がもらえてよかった」と談笑しているが、それくらいどっぷり野球漬けにされ、それに対得られるメンタルを持たねばいけないのだ。
野球をやってお金がもらえるから羨ましい、と思われがちだが言い換えたら週六日勤務である。しかも来年の保証はない。
かといってドラフト確約の保証もなければプロ野球選手のように巨万の富を得られる可能性も強い名声を得られるわけでもない。それこそ杉浦正則(元日本生命)などのような砂の中の砂金みたいな存在になれるのは一握りなのだ。
好きかつ計画性がなければ生き残れない世界である事がよくわかる。

十数年以上いて社会人野球やアマチュア野球の発展に尽くしていく人もいる一方で、多くの会社が発刊するドラフト専門誌に名前を載せたことが最後で、そのままユニフォームを脱いでいく選手もいる。
独立リーグとは違った選手としての終着点なのだ。

そうでなくても歴史が古く、昭和的思考な内部が盛り上がればいいという考えがいまだに残る社会人野球で、ほとんどの選手が一部に知られるのみで名前を消しているのを改めて目の当たりにしてしまうのだ。
北山比呂のように日体大のOB戦で引退試合出来ればまだいい方なのだ。
そんなこともなくあいさつだけで選手は勇退という言葉と共に去っていく。社会人野球選手のOB会のようなものもないから尚更残らないのだ。(チームのOB会は別としても)

社会人野球にもまたプロ野球、過去を振り返ればオリンピックや多くの賞状に憧れた数多くの選手たちが立てていった無数の墓標がある。
そしてその墓標を背負いながら「プロを」「世界を」を夢見てもがく選手が企業の名前を冠したユニフォームを着る。

そういうのをこの一冊からいつも読み取ってしまうのだ。

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