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揉め事の起こし方 退職 研修医① 入職、休職

画像は元職場近くの落書き。壁に壁と描くセンスは嫌いではない。

医師国家試験にギリギリ合格

いろいろな課外活動に取り組んできたので、6年生になるまでほぼ勉強してこなかった。卒業試験もビリから2番目だった。最後の1ヶ月は毎日10時間以上勉強した。なんとか合格を勝ち取った。

国家試験には合格した。安堵感はあったが、喜びはなかった。むしろ大変な2年間が始まるという不安しかなかった(その不安は正しかった)。
皆は卒業旅行に飲み会に楽しんでいた。僕は試験勉強で無理をしすぎて、抜け殻の様に1ヶ月を過ごしていた。

そうして、研修医生活が始まった。

4月早々、病み期に入る

オリエンテーションを終え、4月中旬に総合内科に配属される。ひとりの指導医が有名病院出身でとても厳しく、早々に病んでしまった。
症例プレゼンの練習を毎日つきっきりで指導してもらったのだが、なにぶん型がわかっていなかった。
コロナ禍で病院実習が減ったのもあるし、元々大学のカリキュラムがゆるく練習の機会を積めていなかった。私の勉強不足はもちろんだが、彼の指導も厳しすぎたと思う。

2日に1回は早口でまくし立てられ、何を指導されているかも理解できず同じミスを繰り返す。「おっしゃっていることがわからないのでゆっくり話してほしい」と頼んだが、「人の時間を奪うな」と突っぱねられる。「確認する時間をください」と言えば、「患者さんは待ってはくれない」と。結局恐怖心だけが残った。

5月、休職へ

見かねた内科部長が、別の指導医を当ててくださりました。
それでも、一度すり減ったメンタルは簡単には治りませんでした。

心身の不調が現れてきました。カルテを書く手が急に止まる。食事中に急にぼーっとして食べる手が止まる。極め付け、夕方外にいると、自然と涙があふれてくる。

以前からADHDでかかりつけだった主治医のところで、適応障害の診断書をいただきました。
1ヶ月間休職することになりました。

(私の発達障害を開示するぞ、という形で、指導医側から今回の件を公にしない様な圧力も受けていたので、あえて全てをここに開示して執筆したいと思います。)


休職して、休んで戻ったらきっとまた頑張れる、そう思っていました。
ですがまだトラブルが続きます。

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