大塚
小説
哲学関連
不登校関連
教育論
青々とした海は静まり返っていた。厖大な海といえども波の飛沫の一粒一粒から成っている。佐藤国明は、海浜公園の砂浜に立って、それらの光景を見渡していた。海には海の時があり、砂には砂の時がある。海の水は時と限りなく一体化していた。佐藤は、不可逆な矢が地平線へと射られるような幻想を持った。 悠久の歴史を持ち、一粒の生命の誕生から人類の繁栄に至るまで、母なる海は絶えず揺蕩ってきた。 佐藤は汀の水を手ですくい、一口含んだ。塩辛い味がした。海水は魚にとっては栄養となるが、人間にとっては毒と
語学の勉強は楽しい。
不登校が引きこもりに遷延するパターンは必ずしも多数ではないが、仕事や学業といった社会参加に課題を持つ点において、不登校と引きこもりには類似点が見られる。 もとより、そのような課題があるからといって、直ちに負のイメージを持つのは早計である。社会参加から一時的に距離を取り、固有の時間を持つことで、それらの人々は、社会に対して新しい価値を生み出す可能性がある。つまり、引きこもりは積極的な形態を取ることもある。 しかしながら、改めて問題とされている事例はそうではなく、むしろ無為と
現代世界は、大量の知識に溢れている。そのため、情報を網羅するアプローチには限界があると考える。 たしかに、一定の知識の蓄積がなければ、そもそも思考することは困難であろう。無から何かが生まれることはないからである。しかし、だからといって既存の知識を収集することに専念していたら、人生がいくつあっても足りなくなるであろう。それは現代が情報爆発の時代だからではない。古代のアレキサンドリア図書館の時代であっても、同じことである。 したがって、大切なのは自ら思考する習慣である。何度も言う
現在、長編小説を鋭意執筆中。5万字は書いた。全体は、10〜15万字となる予定。
「自殺してはならない」という命題について考える。 宗教的な文脈において、死そのものに関して、さまざまなシナリオを描くことはたしかに可能である。例えば、死後の生として天国と地獄が存在し、死者は生前の行いに応じてそれぞれの場所に位置付けられるというように。そして、ダンテは神曲において自殺者を地獄に落としている。なお、現代のカトリック教義において、「教会は自殺者のためにも祈る」とし、自殺を罪とする原則を緩和している。 しかしながら、そのような宗教論を持ち出さず、現世かぎりの議論をす
最近は仕事が上手く行っていないため、体調が悪い。何をしたら良いか分からない状況だ。
投資についてよく問われることは、自己投資と金融投資のどちらを優先するべきかという点である。答えから言えば、両方行えばよいと私は考える。 もちろん、ゼロから始める場合、自己投資により「稼ぐ力」を高めることが先決である。しかし、だからといって少額の金融投資は無意味ということにはならない。 「元本が小さい場合、金融投資から得られる収益は低すぎる」として、金融投資を否定する意見もある。しかし、私はあくまでも少額の金融投資に意味があると考える。 一言で言えば、金融投資を行うことで
私は過去に数多く、学歴について論じてきた。以下はその最新の記事である。 そこから半年以上も時間がたった。改めて読み返してみれば、基本的な考えは全く変わっていないことが分かる。ただ、学歴は大切な問題であり、そのような問題を繰り返し論じることは必要であるため、もう一度、以下において簡単な学歴の議論を記したいと思う。 結論から言えば、私は学歴に対して否定的なポジションを取っている。私が否定するのは、学歴に過剰に囚われることである。それは徹底的に私は無意味であると確信している。
自由や多様性の価値は往々にして誤解されていると思う。これらの理念は、一見すると崇高で立派なものと思われがちである。しかし、実際はそうではない。 もちろん、実際に社会の上層部では多様な価値観が交流し、お互いがその自由を享受している。しかし、それは理性的な一部の人たちの話である。その論理を一般社会に適用することはできない。 簡単に言えば、いわば外部から移民を入れると文化面での摩擦が多くなり、社会の治安が悪化するということである。この点で、文化的な多様性は必ずしも望まれていない
今思い返すと、高校は社会の縮図であった。かく言う私は公立の通信制高校の出身者であり、入学難易度的に言えば、学校のブランドは下から数えたほうが早かった。実際、格別の学力試験もなく、面接と作文だけで合格をした記憶がある。 したがって、私は当時、社会の序列としては下の方にいたのである。学校の入試難易度やブランド、学校での学業成績、部活動での実績、友人関係の豊富さ、恋愛経験の有無、両親の職業や学歴――高校生はこのような観点から総合的にチェックされる。 経験則上、一つ言えることがあ
この本の内容を一言で言えば、個人に株式投資を勧める本である。 そして、前置きの中には、「10年あれば人は何者にもなれる」という力強いメッセージがある。つまり、仮に自由に夢を思い描くとして、何を願うかは人それぞれだが、とくに個人投資家になることも可能ということである。 株式投資の本はさまざまな立場から書かれている。この本は、基本的に日本の個別株投資を推奨している。その理由は以下のとおりである。 まず、それぞれの企業を深く分析することは、貴重な成長の機会になるからである。つ
一般論として、人間の人生は、遺伝、環境、努力といったファクターによって左右される。その中で、どのファクターを優位に考えるかについては、さまざまに意見が分かれている。 なお、遺伝は先天的要素であり、努力は後天的要素である。そして、環境は親から与えられながら、他方では年齢を重ねると自ら変更可能であることを踏まえれば、その中間であると考える。 そして私の立場は、一言で言えば折衷説である。つまり、遺伝、環境、努力は、どれも同じくらい重要ということである。言い換えれば、どの要素につ
私は、この二週間ほどの間に、60冊ほどの投資関係の書籍を読みあさった。Webライターの初収益と貯金を合わせて、日本の個別株を購入したいと考えたからである。何事もまず本から学ぼうとするのは、私の常道である。 もちろん、株式投資は奥が非常に深いから、たとえ千冊を読もうと、完全に理解し尽くしたということにはならない。ただ、まったく読んでいない初心者に比べれば、いくらかの共有するべき知見は生まれている。それを以下において文章にまとめたいと思う。 相場とは何か。それを一言でまとめれば
今日は非常にすばらしい日であった。そのことを忘れないためにオンラインの場で日記を記しておきたい。 といっても、一言で言えば、午後3時から7時まで、私はある一人の友人と会ったにすぎない。しかし、その効果はてきめんで、私のマインドブロックは外れ、より雄大な構想を将来に描けるようになった。この意味においても、得がたい友人に出会えたと思う。あらためて、私は彼に感謝している。 その会は、とある事務所を借りて、4時間の間、座談会と料理会を兼ねたものであった。冬ということで、鶏肉や牛肉
最近はあえて小説の執筆を控えて、過去の名作の読書に専念している。読書量の点で、同業他社に対して差別化を図ろうという趣旨である。 三島由紀夫、トルストイ、そして今はプルーストに取り組んでいる。それが終わったらユゴーか聖書を読んでみたい。