ゆかたん

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最近の記事

限界を受け入れる勇気が強さをくれる

「どんなに人に迷惑をかけまいとして無理しても、自分の力で立てなくなり、食事をとることができなくなれば、他人の力を借りなければならない。  限界を認め、それを受け入れるということは、敗北ではなく、人間の強さである」 死に向き合う時 生涯現役、を旨として生きてきた自分が限界を迎える時 限界を認め、受け入れる強さ 断念する。断ち切る勇気、というのだろうか。 これまでの人生にこだわらず、執着せず 今の自分を認め受け入れ 今できることに集中する 今まで出来たことは、過去

    • 嫌だ、ということが分かれば理想も明らかになる

      「こうありたい」という願いよりも、「こうはなりたくない」という意識が人間の行動を規定する─ こうなりたくない、 それならすぐに思い浮かぶならそれでもいい ただ その反対側を見レバ良いだけなのだ

      • 人は知らないことに不安を感じ わからないことに恐怖を感じる 「がんになった緩和ケア医が語る「残り2年の生き方」より

        • 幸せとは、ともに居ること

          幸せとは、わたしにとって「ともに居ること」でした。 その「ともに居る」とは 深い呼吸で自分自身とつながり 自分自身とつながった状態で 今、目の前にいる人と 「つながろう」とすること。 それを怠った時、 相手とのつながりが切れ、 信頼が切れ、 向かう方向性が離れ、 そして 「ともに居る幸せ」が失われる。 ただ 彼が深い呼吸をしてください、と繰り返し 目と目をあわせるように促すしぐさを繰り返している それが 「今ここ」にいるように促すことであり 「つながり」を促

        限界を受け入れる勇気が強さをくれる

        • 嫌だ、ということが分かれば理想も明らかになる

        • 人は知らないことに不安を感じ わからないことに恐怖を感じる 「がんになった緩和ケア医が語る「残り2年の生き方」より

        • 幸せとは、ともに居ること

          他人に影響されるのが人間。 その上で 自分が何を頼るかは、自分しか決められない。 真実は他人の中には存在しない。自分の中に在る真実を見つけるしか、真実に辿り着く方法はないのだ。

          他人に影響されるのが人間。 その上で 自分が何を頼るかは、自分しか決められない。 真実は他人の中には存在しない。自分の中に在る真実を見つけるしか、真実に辿り着く方法はないのだ。

          四月は君の嘘

          何が悲しいって 2人とも自分の気持ちを伝えないまま 離れ離れになってしまったこと だからこそ 最後の手紙が際立ち涙が出てきてしまう... ーーーーーーーーーーーーーー 夫を亡くした自分が なぜ、いつまでも何年たっても苦しみを手放せないでいたのか 夫と出会った税務署 夫と立ち上げた税理士事務所 夫が打ち込んでいた税理士の仕事 公生とかをりが 音楽を通じて出会い 音楽をそれぞれ演奏してきた演奏家だったように 私と夫も、 税務を通じて出会い 税務をそれぞれが仕事としてき

          四月は君の嘘

          家族が病気になった時の声かけ

          あるグループで 友人のひとりが言った 今、娘が白血病で薬飲んでいると 私は祈ることしかできないって思って よくなるように祈らせてね、って云ったけど 幼い頃から体の弱かった友人がかけた言葉が秀逸だった 曰く、 水泳の選手で、復活した子がいたっけね。 うん、大丈夫。 大好きな事だけ考えて過ごすようにと、お伝え下さい。 って。 素晴らしい、と感じた。 復活した子もいるよって現実を伝えて そして 彼女が楽になるような言葉を 父として「伝える」という行動ができるように

          家族が病気になった時の声かけ

          愛する人のための祈り

          母の日に 素敵なメッセージ💓 愛する人がいるって素敵 もう天国へ昇った母が言っていた 子どもがいなきゃ日本はペシャンコになっちゃう、って 愛する母の血は私の中で 子どもたちを愛する気持ちに溶け合って生きているのかなぁ 母の願い 私の願い どうか 子どもたちが健やかに育ちますように✨

          愛する人のための祈り

          イイと思ったことはやる

          頭の中で引きこもりたいー 面倒くさいー 思ってても行動しちゃう! 感情と行動を一致させなくてイイ。 やった方がいいことはやり始めちゃう するとどんどん進んでいく

          イイと思ったことはやる

          過去がどうでも未来がどうでも、今楽しくていいんだ

          GWは何してた? 私はGWの後半はずっと 家の中で仕事と あと小説読んでた😆 で、 私は どんな時でも何してても 一日うち本読んでない日がないくらい、 人生の半分は 物語の中の住人なんだけど だからかなぁ 死にたいくらい落ち込んでる時期も、 写真を見返すと結構笑ってる。 当時は無理して笑ってたと思ってて苦しかった けど、今見たら そんな時でも私 本当はちゃんとその時その時を楽しんでいたのかな、って最近感じる。 で、 私は その「今楽しんでる」ことに罪悪感を感じ

          過去がどうでも未来がどうでも、今楽しくていいんだ

          幸せになってほしい

          幸せになってほしい そう 思えるのは きっと 自分が幸せだから 自分を幸せにしてくれてるから 相手にも幸せになってほしいと思うんじゃないかな でも 気づいてしまった 自分が幸せなら 相手だって もう きっと 幸せなんだって だから だから 自分が幸せになってほしい なんて 願わなくても 大丈夫なんだって 幸せになってほしい、なんて まるで幸せじゃないみたいに言うのは 相手は幸せじゃない、って言ってるようなものじゃないかって だって もう 幸せなのだ

          幸せになってほしい

          書かずにいられない文章と 〆切があって書く文章は違うのだろうか? 違うし同じだ

          書かずにいられない文章と 〆切があって書く文章は違うのだろうか? 違うし同じだ

          こわい

          あれほど幸せだった状態から また変化が起こってきている 一体感と信じられないほどの幸福感 その頂点から 再び 道を歩いていくときが来て 私はまた 恐怖に慄いている こわい たとえ この先に また 例えようのない 更なる幸福が待っていると知っていても こわいものはこわい 状態が変化していくことは 私にとって、まだ こわい ことなのだ こわい うずくまってしまうのが 怖い 迷惑かけてしまうのが 恐い 自分が何をしてしまうのかが こわい怖い恐い...

          人の話、聞いてない人いるよね

          私には、スピリチュアルの師匠とも呼べる友達が2人居るんだけど どっちも、割と人の話聞いてない、って感じる時あるんだよね そーいえば スピリチュアルコーチをお願いしたコーチも、そんな部分あったかも でね、 自分もそーいう時がある、って最近気付いた。 渋沢栄一が「論語と算盤」で言ってたんだけど、自分は正しいと信じる道をゆずるほど円満で不甲斐ない人間ではない、って。 円くなり過ぎると転びやすい、って。 そう つまり 今まで自分は他人に共感し過ぎてたのかも? 共感する部

          人の話、聞いてない人いるよね

          まるくなるな、星になれ!

          渋沢栄一の「論語と算盤」に こんな一節がある 人間はいかに円くても、どこかに角がなくてはならぬ。 ひとは円いとかえって転びやすいことになる。 私は、正しい道に立ってなお悪と争わず、これに道を譲るほどに円満な不甲斐ない人間ではないつもりだ。 と。 私自身も 実は幸せだ幸せだと毎日ゆるんでばかりではなくて、時々、気が立つ事がある。 愛する人の言動に苛立ちを感じることがある。 最初はそれを苦しく感じた。 けれども今、その両方が自分なのだと受け入れた時 完全にまるい人間に

          まるくなるな、星になれ!

          ルールやマナーには何かしらの理由がある

          登山している時、道を譲ろうとガケ側へ避けたら、年配女性から 「あなた危ないわよ」 と声をかけられた。 そして すれ違った後、 「あたしゃ、それで落ちた人を何人も見ているのよ」 の言葉に背筋が凍った😱 山で「道を譲る際は、山側に身体を寄せる」というのは、登山をする人たちに知られているマナーです。 その理由は、万が一ぶつかってしまった時の転落を防ぐため。谷側の人が道を譲ると、転落するリスクが高まってしまうのです。 また同様の理由で、登る人か降りる人が道を譲る場合、登る人

          ルールやマナーには何かしらの理由がある